
昨日に続いての雑誌ネタで恐縮です。
昨日よりは少しだけ年代が進んで1991年11月号の
カーマガジン(ネコ・パブリッシング)。こちらは懐かしい『
グループB』を特集していたのでポチって購入。 まっ、250円(送料込みで400円)であればコスパに勝ること、恐らく先月のカーグラフィック(1200円)よりも価値ある買い物に違いない、そう勝手に自分を信じている。
その今日、日曜はあいにくの天気で、またまたインドアの日。
そんな日には好都合の読書の日、ならぬ回想の日。。。。
↓グループB・カーが勢揃い、左上から時計回りで、フェラーリ288GTO、ポルシェ959、フォードRS200、アウディ・クワトロ・スポーツ。スーパーカー的ではあるがひと味違う、勝つためのクルマ!?
そのグループB(Gr.B)1980年代は国内、海外とも魅力あるクルマが登場した頃。ちょうど日本の自動車技術も進歩を遂げて海外(輸入車)に引けを取らない新技術を引っさげて登場した頃。その背景にモータースポーツの影響もあったことは明白でした。そのひとつが『グループB』の登場、それまでグループ1から8、実質はF1やプロトタイプ・カー(Gr.6)を除くとGr.5が最高峰。つまり市販車をベースにした箱(ハコ)の最高峰がGr.5であったこと、そのGr.5が消滅して格下のGr.4を引き継いだのがGr.B。
連続した12か月で200台を生産して、そのうちの20台(正常進化版)を競技車にできること、ある意味特別な市販車(200台)から派生したさらに特殊な車両。ちょうど
ワールド・ラリー・チャンピョンシップ(WRC)が、このGr.Bに移行したので、各社そのベース車両を発表すべく競って高性能の車両を開発したのでした。
時は1982年、昨日のネタに関連するのであるが、1983年がそのGr.B元年、各社、競って発表また開発に忙しかった頃でした。折しも4WDに先見の明を見出したアウディや、欧州モータースポーツ業界と密接な関係を持つランチャ(フイアット傘下)のGr.B車両も・・・。しかし、そのGr.Bも、1986年、3年とは短かった。立て続けて発生した事故はついにはドライバー&コドライバーの死亡事故で終焉をむかえた結末。
まさにひと時の栄光に終わった物語が、今も懐かしいクルマ文化の片鱗でしょう~。
↓こちらの雑誌。サイト見たら、まだ出版を継続していました、笑。
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モータースポーツ | 日記
Posted at
2012/04/22 18:31:28