
昨日の銀座、GT-R(R35)に絡めて「GT-R」について回想してみた(←画像は今年2月、日産の横浜新本社にて)♪
「GT-R」と言えば個人的には1989年8月に16年ぶりに復活した!こちらのR32型が思い出深い。いろいろ(?)漏れ聞こえて来るところから当時のことを語ると、時は1980年台後半、おりしも6気筒エンジンを積んだGT系がトヨタのマークⅡ3兄弟と競っていたハイソカー・ブーム(←今や死語だね)の頃。内装と見栄えにこだわった7thスカイライン(R31)で、そのラグジュアリー路線を追い駆けたにもかかわらず、サッパリの売れ行き。途中から出した2ドア車で巻き返しを図るも時既に遅く、GTS-Rで限定800台を作っても、それも所詮限定車(Gr.Aホモロゲ取得のため)。
そんな苦難の時代だったからこそ会社で動いた901運動(?)ガッツポーズした頑張る男の子を記した黄色いバッジが、開発部門の社員を奮い立たせたのか、その901運動(1990年に技術世界一になる、「技術の日産」の復活)。その技術的頂点でもあった次期型スカイライン「RX(R32の開発記号)」、スカイラインの車型コード「R」に「X」を示すのは未知なるものだったか?実は当初「GT-X」の名で作った4WD車の開発。901運動の数年前から、R30型で中央研究所が主体で駆動系を先行で開発のため走っていたとか・・・。その甲斐あっての「GT-X」、せっかくだから排気量もアップして、コンパクトな車体にして、レース(Gr.A)参戦の姿が見えた時(Gr.Aを狙った微妙な排気量がその意味も)。いつしか「GT-X」のバッジは「GT-R」になったとか。。。。そのGT-R(R32)レースデビューは1990年の春、実はGr.Aを西日本で、またGr.Nを仙台ハイランドでどちらもデビュー・ウインを飾っている。そんなレースシーンがこの「ゼクセル・スカイライン」(Gr.Nの仙台ハイランドではまだ旧社名の「ヂーゼル機器・スカイライン」)だったのかも知れませんね。
↓2007年12月 ニスモフェスティバルにて(1991年のスパGr.N仕様)
そして、本格的なGr.A時代の到来。R31の頃に苦戦していた海外勢にも対等に競えるようになって、ようやくレースシーンでGT-Rが復活したのでした。
↓2006年12月 ニスモフェスティバルにて(1991年の国内Gr.A仕様)
以上、このお話一部に妄想もありますので、そのつもりで、汗
スカイラインと言えばこちら(↓)、その聖地も先月18日オープンですね!
Posted at 2010/05/12 23:24:09 | |
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