
その
ニュースから約1ヶ月、雑誌やネットで亡き
櫻井氏を偲ぶ記事を目にするようになりました。自分でも
最後にお会いした時のことを思い出しながら、休日過ごしてみました。
画像)そのイベントで購入したもの、裏表紙にサインをいただいたので、今では大変貴重なもの。
今思うと、せっかくだから持っていた
ミニカーにもサインいただいておけば良かった。もう櫻井さんから、生でお話を聞くことができなくなってしまったので、書籍や写真その当時の記録から想い馳せるしかなくなりましたが、せめて、またいつかの
イベントがあれば行ってみたいと思います。
では、
スカイライン、
50年を超える歴史から、また櫻井さんとの出会い、ちょっと私事ネタを・・・。
初めてのスカイラインとの出会いは親戚が乗っていた箱スカ(C10)。当時はまだ我が家ではマイカーがなかったので、その親戚が車で来ることが楽しみであった。夏休みには親戚が揃って、毎年何台かの車で海水浴に行くこと、幼い子供ながらに海水浴よりもドライブが楽しみで仕方なかったように思う。
当時、自宅に集まった車、スカイラインの他にコロナ、スプリンター、ブルーバード、軽自動車ではスズキ・フロンテやジムニーがあったかな(?)。その夏休みには自宅の庭が車の展示場になったような賑やかさと嬉しさでした。
その後、近所でも新しくなったスカイライン(ケンメリ:C110)を目にするようになり、サーフィンラインが妙に格好良かったから、小学生の学校の行き帰りで近所のディーラーにも目が止まるようになり、真っ先に立ち寄ったのがその日産プリンス店でしたね。
当時のディーラー、約4年に一度のモデルチエンジ新車発表会ともなると大イベント、増してや看板車種のスカイライン。発表会での展示車も多く、当時の地元(東北地方の小都市)でも、展示車が一店舗で10台近くあって、2ドア、4ドア、ボディカラーもほぼ全色揃える勢いがありました。
その販売店で販促グッズもたくさんあって、子供にもステッカーや粗品を沢山配っていたので学校帰り(特に土曜日)には毎週のように立ち寄っていたのでした。思えば小学生を相手に良く愛想よく対応してくれましたね、特に
スカイライン・ジャパン(C210)の時の発表会は、当時流行ったTシャツと一緒に大賑わいだった記憶、子供ながらに当時の強い印象が今でもあります。
「桜井真一郎」、初めてそのお名前を知ったのは、その時いただいたカタログ、パンフレット(小冊子)に出て来た名前と写真。何やらテストコースを櫻井さんが
実際に運転していたり、
図面を眺めながら難しいそうな顔をしておられたこと、「そうかぁ、自動車は工場で組み立てるだけでできるんじゃないんだぁ・・・・。」と、今思うとその時に子供ながらに自動車の開発に興味をもったのでしょうか?
初めてその名前と顔を知る機会は、そのディーラーからいただいた小冊子(プリンス誌)だったことと記憶してます。
櫻井さんにちなんで、そんな昔話を綴ってみた。。。。つづく(かも?)
備考)ご本名=櫻井眞一郎、
会社や雑誌記事での表記=桜井真一郎、と区別させていただきました。
Posted at 2011/02/19 16:01:23 | |
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