
この日曜日、欲しかったトミカが在庫切れ・・・!?
そんな情報に右往左往していた休日のご報告。
実はメルマガでいただいているトミカ情報でトミカリミテッドヴィンテージ(TLV)のシリーズで欲しかった「
Be-1」在庫切れを知ってビックリ。確かに東京駅のトミカショップをしばらく覗いていなかったので悔やまれましたが、そこはご近所の
取扱店に問い合わせて在庫を確認、ご近所のその店舗(
街のおもちゃ屋)に行って無事購入できました、笑。
実はその日産「
Be-1」、1985年のモーターショーで登場するも、好評だったことから翌1986年急遽
日産社内で市販化に向けたプロジェクトを発足。中でもあの櫻井さんの存在があってこその商品化。聞くところの情報によると、病床から回復して間もない櫻井さん、それまでのスカイラインなどの量販車種(R31の途中まで)の開発から立場を変えて、1986年1月に「技術車両設計部」との統括部長に就任。当時の久米社長からは他社にできない車、個性ある車を世に出して欲しい・・・との意向も受けて、少量の車(パイクカー)の
開発と生産にたずさわることになった。
それでも少数車種の市販化はまだなかった頃のこと、普通に新しい車両を世に出すには、届出から認証試験、型式認定の手続きまで最低2年はかかった頃。当時の運輸省(新型車認定の部署)から直接、櫻井さんに連絡あったとか、「櫻井さん、少量車種の認証だったら、派生車(改造車)の扱いで認証試験を省ける手はあるよ(早く認証できるよ)!」との声かけは長年車両開発にたずさわっていた櫻井さんならではの人間関係から得られた情報でもあったのでしょう。
その甲斐あって、新設になった樹脂外板の評価を主体に、衝突試験などを最小限にこなして、無事に1987年4月の発売に漕ぎ着けることができた。1985年のモーターショーからわずか1年半で世に車を出せたことは今も櫻井さん伝説として記憶にあります。もちろんその後の
オーテックジャパンの発足は、このBe-1での成功があったからでしょう。
↓パイクカー生産には誉れ高い「高田工業」
Posted at 2011/02/22 23:56:07 | |
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自宅にて(ミニカーなど) | 日記