
「スカイラインと私」その第2弾
実はこちらが櫻井さんの逆鱗に触れたS4、S5、SH、SIと開発記号で表現してしまった号でした。マニアには良いのかも知れないが、確かに今見てもS4、S5、SHって何??櫻井さんの言葉をそのまま記事にしてしまった編集者(プリンス誌)の負けだったのかも知れない、笑。
画像)実は4月29日のイベントで、また懐かしい方々とご対面。櫻井さんの告別式の画像を眺めながら、その世界に浸って感銘を受けました。
~~ 以下、小冊子より ~~
スカイラインと私(2) 桜井真一郎
レースで鍛えぬかれて育ったメカ
スカイラインのメカにはドライバーと通いあえる情のようなものがあると思っています。この性格は、レースでの経験とS5時代に培われたものといえるでしょう。電子計算機や計測器を存分に駆使して、メカ理想を本格的に追求し始めたのはS5の時代からでした。当時、日本のメカの技術は発展途上にあり、諸機構はただ理屈っぽく複雑で、扱いにくいものが多かったように思います。
車は傷んだ時のつらさはS5より前のプリンス車SH、SI、S4を通して私自身が痛切に体感してきたことで、この時以来私は車からメンテナンスフリーの精神をはずしては、車づくりはあり得ないと考えました。タフなメカニズムで故障知らずの手のかからない車をつくりあげることに、全情熱を傾け、ほんとうの車をつくろうと私たちはS5に取り組んだのでした。当時のS5に象徴された設計思想は、「信頼のおけるメカ、安心して乗れるタフな車」でした。改良といえばSH、SIの頃、一般の車は約20ヶ所グリスニップルを持ち、定期的にグリスアップすることが当然とされていました。S5ではこのグリスニップルを全廃し、かつグリスアップを行っていた時代よりも、耐久性を上げることに成功しました。そのほか、エンジンを封印して耐久性の良さを自身を持って、この世に送り出したのもこの頃でした。このように日本発の新技術を豊富におりこみ、当時の話題を呼んだS5の誕生となったのです。メカの性格はS5の時代にはぐくまれ、この基本的な思想はスカイラインの伝統として、これからもたゆみなくスカイラインに注ぎ込まれるでしょう。
Posted at 2011/05/16 21:36:26 | |
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