THE SKYLINE"Symbol of 25 Years of Quality(Since1957)" より(P195)
”ジャパン”から数えてちょうど4年目の昭和56年(1981年)8月、「クルマは愛だ」のキャッチフレーズをひっさげて、6代目スカイラインがベールをぬいだ。型式番号はR30型。ボディ・サイドのサーフィン・ラインは跡かたなく消え、ウエッジシェイプをはっきりと全面におし出したダイナミックなスタイルである。先端を低くおさえたフード、スラント・ノーズ、しかし、左右の部分に後退角をつけたヘッドライトまわりは、やや、丸みをもたせたなめらかな構成で、”走り去る一瞬のうちにも、スカイラインらしさを鮮明に印象づける”個性的なスタイリングだ。
・・・・とあるように、この新型スカイライン(R30)、CMにポール・ニューマン氏を起用するところなど、当時の日産にしては宣伝への力の入れようがうかがえる。
その頃のこと、私も当時、夏休み明けて学校に通う途中で販売店に立ち寄ったことが懐かしい。いつものように自転車で学校帰りに立ち寄ったのだが、土曜の午後、すでに販売店には大勢の人で溢れていた。みんなクルマを眺めては、あれこれと変わったところを評論していたのだが、私はと言えば、カタログを後ろの諸元表から見るくらいのメカ好き少年だったこともあって、エンジンがジャパン(前モデル)の頃と同じL20ターボ(145馬力)で変わり映えしないことにはガッカリした。ただ、その2カ月後(10月)にはFJ20(4気筒DOHC)が登場するのだが、これも4気筒2.0リットルで150馬力だったので、自分にとっては印象が薄いものだったように覚えている。
その後、FJ20にターボ+インタークーラーを搭載して最終的には205馬力まで高出力化するのだが、他社(他車)がそれを凌ぐ馬力競争もあったことで、この1980年代は魅力あるクルマが出揃ったものでした。私も免許取って間もない頃、一度、友人のDR30(FJのNA)を運転したことがあったのだが、低速トルクが薄いことで走り難かったことから、やはり、「スカイラインと言えば6気筒」を肝に銘じたものでした。
社会人になってジャパン(C211)が愛車だった当時、順当に行けば、そのまま新型スカイライン(当時のR30)になるのだが、モデル末期だったこと、周囲の友人がかなりの数でR30を所有していたことで、その後のモデル(R31)まで待つことにしたのでした。
R30はオーナーになっていないものの、身近かでは接する機会があったので、とても他人事には思えない・・・。実はその後、勤務先で鉄仮面のターボXを社有車として面倒を見たことがあったが、ルーフ上のアンテナ(たぶん何人も洗車機で折っただろう?)、そのアンテナを洗車機で引っかからないようにする技(ガムテで止めないでも避ける方法)、習得するまでには半年かかった、汗。
そのスカイラン(R30)が、
この夏 で30周年とは年月を感じる。
自分にとっても、あの学生の頃だった夏から30年過ぎたことになる・・・汗
↑画像)懐かしい岡谷の聖地で、R30オーナーを招いてアウディ(A4)が揃ったときのこと、2005年10月。こちらのR30オーナー、昨夜のNHKニュースでインタビュー登場してビックリでした(週末は海の向こうで頑張って下さい、笑)。
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Posted at 2011/08/05 13:35:50 | |
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