いつかの「スカイラインとともに(わが人生2)」を開きながら、クルマ作りと故人の足跡に想う。。。と、言うのもクルマ作りに最近想うこと。残したクルマ達とその商品哲学、ありがたい言葉が懐かしかったです。
突然ですが、そんな恩師の著書を眺めるきっかけ、実は海外のクルマづくり(自動車会社)の姿勢に納得しないものある最近、名設計者(エンジニア)の祖、櫻井さんは現代のクルマ製品(クルマ造り)をどう思っているだろうか・・・!?
さて、その小冊子1977年の「スカイランと私」、プリンス誌、別冊から(備忘録)。
「スカイラインと私---8」
~~~「S」には、ひとつの魂をそそいだのです。~~~
厳密なことを言えば、1つの言葉には1つの意味しかないのではないか、と考えることがあるんです。その意味というのも、何かこう時代とか伝統とかに裏づけされた確固たる事実が一緒に備わっているような。たとえば私は長い間クルマの設計をやってきましたけど、クルマに関する名言というか至言には、特にヨーロッパのものには、誰でもうなづかせる中味があるものです。イタリアが生んだ世界的な設計者エンツオ・フェラーリの言葉にも「真のGTとは操縦しやすく安全で長距離運転に耐え、しかもレース経験をおりこんだクルマである。」というようなものがあります。彼のクルマは豪華というより、その言葉に忠実な中味を備えた”名車”ということができます。私は自分なりに納得したクルマをつくりたい---そんな夢というかスピリットを持ったクルマにしたいとか、かねがね思ってきました。そうしてできあがったのがGTの「S」だったのです。かつてのGT-Rも幸い数々のレースで勝利をおさめることができ、全体のバランスという要素も含めて、いわゆるクルマの性能に関して評価を受けてきましたが、世の中の流れを的確につかみ、いつもその先をいくというのがスカイラインの使命だといつ考えているんです。もちろん「S」にはGT-Rが経験したレースでの有形、無形のノウハウが生かされていますから設計のベクトルは変わっておりません。けれどもさらに均衡のとれたGTにしようと、たとえばGT-Rの足回りをそっくり生かし、走る機能をフルに発揮した時の人間の反応を考えてみたわけです。連続走行した時の疲労を少しでもおさえるため信頼のおけるブレーキにしなければいけないだろうとか、シートは体がどんな状態でもすっぽり受け止められる「S」にふさわしいものにしようとか-。リヤウンイドワイパーにしても1枚のブレードで払拭できる最大の面積を追及していったのです。しかし、実際に乗ってみて走る人の身になってコックピットを設計したように、スカイラインは見たりさわったりカタログを読んでもわからないんです。やはりハンドルを握って走ってもらわないと。
Posted at 2011/07/22 15:00:31 | |
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