
日曜日、インドアの一日、今日は先日の
雑誌を見ていたりしながら、懐かしいモータリゼーションの時代にしばらくタイムスリップ。
はたまた、こちらの
大先輩の”不変の設計哲学集”をながめながら、また思い返すその日でした。「その12」何だか題目と内容がうまく一致していないようですが、それは、それ、今一度、30年前のクルマ造りに学んでみよう!
来月11月また
聖地で故人を偲びたいと思います。
スカイラインと私―――12 (スカイライン設計主査・桜井真一郎)
子供には無限の「可能性」があるのです。
いつも新鮮な感覚で仕事ができるよう朝はつとめて早起きしますが、私にはわずかばかりの朝の時間がとても貴重なんです。頭を空白にして1人静かに新聞をめくっていると、ささいなことだけど根の深い問題に出会うことがよくあります。先日も学習机がずらりと並んだデパートの広告で子供に買い与えるものとしては考えてしまうような机ばかあるのです。マンガのパネルが貼ってあったり温度計が付いていたり、いかにも子供たちは興味をそそるでしょうけれど、本来、学習机というのは子供の成長のプロセスで、あらゆる可能性をみつける場でなくてはならないし、無限の創造の場であるべきでしょう。それをただ子供が楽しめる、子供にうけるということで温度計とかパネルとかに短絡させるのは、いかにも「お為ごかし」っていう気がするんです。考え方によれば限定された創造の場でしょう、そういう学習机は、物をつくる側と使う側にコミュニケーションがなければ、結局その物は破綻されちゃうんじゃないでしょうか。わたしがいつも「血の通ったクルマづくりをしたい」と強調するのは、そういう売らんかなの販売優先策がいかに危険なものであるか、レースやスカイラインの設計を通じて肌で体験したからなのです。けれど、もしそれを思想と呼ぶのなら、「そういう思想だからスカイラインはいいんだ」という言い方はあまり好きじゃありません。お客さまにはレーシングドライバーもいるでしょうし、きのう免許を取得した奥さんだっているでしょうし、とにかく無限に広がってゆくお客さまがたが一様に自分の手足のように自由に動かせ、いつまでもハンドルを握っていたいなって感じていただければそれがスカイラインの本来の姿だと思うんです。カタログの数字で表現できない、つまりお客さまとのコミュニケーションがいかに大切か、実際ハンドルを握って走った時にわかる「味」だと思っています。
Posted at 2011/10/23 20:53:28 | |
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