
今日も休車の日!?
次週の
旧車エベントに絡めて、旧車を回想中。
この人の話題からしばらく遠ざかっていたことを思い出す。いつもの
備忘録ネタ(?)、その本編も全17話のうち、ようやく14話までやってきました。
このあたりになるとリアルタイムで、プリンス誌で見たことを遠い記憶ながら覚えています(苦笑)。
スカイラインと私―――14 (スカイライン設計主査・故・桜井真一郎)
マシンの精度が高まれば高まるほど
ヒューマンな要求が増えてくるのです。
私達の設計の応接室には雑誌社などのマスコミの方が「スカイラインの特集を掲載したいのですが」とよく訪ねてこられます。そこで彼らはスカイラインの開発に日本グランプリをはじめてする数々のレースで得たノウハウがいかに生かされているか知っていますから、必ずそのレースのことを聞くんです。「自分の設計したクルマが目の前でレースを展開しているのを見るのは、どんな気持ちですか」と。なかなか一言ではできないんで、そのたびにちょっとつまってしまうんですけど・・・・。そうですね、たとえば子供の運動会を見る親の気持ちっていうんでしょうか、“勝った歓びを味わいたい”と親なら誰でも願うでしょうが、それよりもっと大きなウエイトで“なにもあんなふうにムリをしなくても”っていうような本能的な情が混ぜこぜになるでしょう。なんていうか、そういう感情と根の深い所で通じていると思うんですね。たしかにあらん限りのデータを集積し、コンピューターにかけて分析し、計算上は絶対に勝てると結論が出るんですが、スタートしたらドライバーからの意思表示は何もなく、こちらから一方的に判断を下さなければならないでしょう。余裕をもって走っているなと思う反面、それよりさらに大きなウエイトで“あの走りなら”とか“あのエンジン音なら”とか、そうかと思うとパーツのアレンジメントが突然ポッと頭にうかんだり、とにかく、あれだけの長丁場にあらゆる感情が拮抗するわけです。ところが、その耐えられないほどのレース中の時間が、終えると瞬時に解き放たれて、勝利の歓びはもちろんですが、それより“よく走ってくれた、がんばってくれた”という気持ちですね。クルマという冷たい材料でできた箱が完成度が高くなればなるほどいかに人間の情趣や生理に関係しているか、スカイラインの「血の通ったクルマづくり」はレースから得た貴重なサジェスチョンだったのです。
Posted at 2012/02/19 07:06:19 | |
トラックバック(0) |
人 | 日記