
画像引用元 https://commons.wikimedia.org/wiki/
今日は忘備的に、アルピナとの出会いを記しておく。
1970年代中期。
小学生の私は、週刊少年ジャンプ連載、池沢さとし氏作「サーキットの狼」に影響を受けたスーパーカー小僧であった。
1970年代後期。
私はなけなしの小遣いをはたき、あるいは書店の立ち読みで、月刊カーグラフィックを読み漁るエンスー高校生となっていた。
もちろん、免許などあるはずも無い。
当時の私のアイドルは御多分に漏れず、フェラーリBB、ランボルギーニカウンタック、ポルシェ930ターボといった定番のスーパースポーツ達であった。
そんなある日、いつものように立ち読みしていたカーグラフィックの、とある海外リポートに目が留まる。
ポール・フレール氏のショートインプレッションで、写真は小さな白黒だったように記憶している。
それは短く「BMW B7」とだけ称する、E12型初代5シリーズベースの、「謎の改造車」であった。
チューナーの名は、「アルピーナ」と言うらしい。まだメーカー認証を取得する前のことである。
一瞬、「アルピーヌ」の誤植?かと思った。
「謎の改造車」の正体は、驚くべきものだった。
なんと加速は、当時世界最速と謳われたポルシェ930ターボを凌ぎ。
あの、空気抵抗の大きそうな箱型の5シリーズを、250km/hまで引っ張り、そのままタンクが空になるまで走り続けられるスタビリティと信頼性を持ち。
5シリーズの実用性をまったく損なわないばかりか、ベース車よりも静かで、ハイクオリティな内装まで備えているという。
いかにもダウンフォースが大きそうな、中折れで迎角の付いた巨大なフロントエアダムは、ラッセル車の如し。
一方、ラバー製と思われるトランクスポイラーは、現在のアルピナ車同様、控え目なサイズであった。
当時のベース車はフロントのリフトが大きく、前後バランスを取るためと思われる。
ノーマルフェンダーぎりぎりに収められた、リアの225/50VR16ピレリP7(まだミシュランが超扁平タイヤを開発する前と思われる)は、当時の水準では極太、かつゴムベルトの如く薄く。
20本フィンスポークホイールも、ボディに比して過剰に大きく見えた。(その特徴は、今のアルピナにも受け継がれている)
このため小さなリアスポイラーにも関わらず、リアスタイルも強大なパワーを暗示し、ただならぬ迫力を秘めていた。
現在のアルピナより幅が広いアローストライプを持つ。

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控え目と言われていても、我々エンスージアストの目には、並のBMWとは一線を画す特殊なクルマであることは、一目瞭然であった。
しかし、いくら速くとも、当時のグループ5などのレースカーや、凡百の改造車とは趣を異にした、あくまでもロードリーガルであり。
アルピナ車に固有の、知性、エレガンス、社会性といったものを、早くも備え。
その後の歴代アルピナ車が纏う事となる孤高のオーラを、既に放っていた。
B7は、今に至るアルピナの文法、様式美の、源流と言って良いだろう。
当時、速いクルマは獰猛なスポーツカー、レーシングカーに類するものであり。実用性、快適性、社会性は、犠牲にして当然であった。
今でこそ速いセダンは枚挙に暇は無いが。
「ポルシェターボをも凌ぐ速さの、知的でエレガントなセダン」というコンセプトは、当時目にしたことのない斬新なものであった。
今にして思えば、私はその時、「謎の改造車、アルピーナ」に魂を奪われたのだ。
高校生の私は、寝ても覚めても「アルピーナ」への思いを募らせて行った。
いつかそのステアリングを、この手で握ることを夢に見た。
50年の歳月が流れ。
「謎のチューナー、アルピーナ」改め、「自動車メーカー、アルピナ社」は、静かにその歴史を閉じた。
いま、私のガレージには。
2018年にブッフローエからはるばる日本にやって来た、D4が佇んでいる。
偉大なB7より加速タイムは速いが。
カリスマ性では、比べるべくもない。
しかし、「速いが知的でエレガント」という唯一無二の個性は、受け継いでいると思う。
この、稀有なクルマ達を日本にもたらしてくれた、ニコ・ローレケ氏(私にとっては、全日本F2ドライバー、ニコ・ニコルさん)に。
この場を借りて、感謝を申し上げたい。
Posted at 2026/04/21 02:34:05 | |
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