パート2
イヴァルディさん:いずれにせよビトゥルボ中傷者に私たちはそれに沿ったデータを説明できます。その部分をマーカーフロップで示します。
多分知られていませんが、長年マゼラティベストセラーで有りました。
マーカーフロップとして商業的に1社でこんなに長年にわたり販売された車両は有りません。車両として出来が良くなければ、実質20年間に渡りラインナップされることは有りません。プロジェクトに有効な特性がなければ、長期間生産を続けることは不可能です。確かにマゼラティには、新しいものを設計するリソースがなかったかもしれないが、ビトゥルボとその派生モデルは20年間ラインナップに残り、好調な年もそうでない年もブランドを支え、とにかくビジネスの継続性を実現し、それが次の時代に引き継がれ、今日まで続いているのです。
アンドレアー二さん:プロポーション的には70年代の車としては当時の標準に比べてかなりワイドだったので今見ても良いプロポーションです。現在道路で見ると当時の車よりも幅が広く、4名の乗車が充分できる車高もそれほど低くない均整のとれた車です。
先ほども申し上げましたが、このプロジェクトは他に類を見ないユニークなプロジェクトだと思います。今日にこのような物語を再び実現するのは確かに難しいでしょう。このプロジェクトに参加できたことを嬉しく思います。
イヴァルディさん:ビトゥルボのデザインは、今日では角ばったラインのデザインで確かに時代遅れだと認識されていますが、80年代前半はそうではありませんでした。
70年代後半から80年代前半にかけては角ばったラインが流行していたからです。当時生産されていた他の車を考えてみれば、ビトゥルボのラインは、ちょっとした傑作と定義されるほどの均整と調和を備えていました。そしてこれは多くの人が知らないかもしれないデザイナーのおかげです。
彼の名前はピエランジェロ アンドレアー二で、当時マセラティのデザインセンターの責任者としてビトゥルボで素晴らしい仕事をしました。ビトゥルボが調和のとれたラインを持ち、均整のとれたデザインであったことは、それが何十年もの間生き残り、マルチェロ ガンディーニのような他のデザイナーが取り組んだときに、とにかくすばらしく良いものが生まれたという事実からも分かります。なぜなら、マルチェロ ガンディーニはビトゥルボを出発点として、ギブリ、シャマルや4代目クアトロポルテのような非常に魅力的で、非常にアグレッシブな車を作り出すことができたからです。
もう1つ言わなければならないことは、ビトゥルボが誕生した当時は極めて高性能な車だったということです。そのセグメントでは最速であり、実際フェラーリと対等に競争するために生まれたわけではないため、より上位セグメントの車よりも速かったのです。
ビトゥルボは、ポルシェ 924、アルファロメオ アルフェッタ GTV、BMW3シリーズ上位モデルが存在するセグメントに位置付けられていましたが、一部のフェラーリ モデルや一部のポルシェモデルなど、上位カテゴリーの車を驚愕させるほどの非常に高性能なマシンでした。
加速においては、それらはほとんど誰にも負けませんでした。ゼロから100まで驚異的な加速力を持っていました。本当に爽快な推進力のある3速を持っていました。つまり当時運転した人にかなりの満足感を与えた車であり、今日でも運転した人に満足感とアドレナリンを与えることができます。
ギドーニさん:最初の試作バージョンには外側に2つのキャリブレーターがあり、V 型エンジン中央にはパイプがあり、かなり熱くなりました。彼(デトマーゾ)が日本出張から帰国した際に、2つの小さなターボを持ってきましたが、以前にKKK製ギャレットを見ていたので特に驚きませんでした。これらはすべてはるかに大きな寸法でしたが、そこから新しいプロトタイプが作られ、キャリブレーターをボックスに収めて中央に配置し、2 つのターボを側面に配置しました。短い排気マニホールドでスロットルが即座に反応したためです。そこからさまざまなバージョンのビトゥルボ開発が続行されました。
1982年、アスカーリ氏とデトマーゾ氏の意見の不一致により、アスカーリ氏はデトマーゾの元を去り、ピエロ ラルディ(現フェラーリ副会長)の所に行きました。これはまだ機密扱いとなっているプロジェクトが漏れることを恐れて、私たちマネージャーは会社を異動することができなかったのです。その間、私はこの外部 (多分別会社)テクニカルオフィスの責任者に任命され、その標準ビトゥルボから、いくつかのプロトタイプを開発しました。いくつかの選手権で戦ったバルケッタ用に燃料供給が異なった、その後生産されなかった6バルブ、3つのインテークと3つのエキゾーストを備えた別のプロトタイプが開発されました。これがあらすじです。2800ccもデュアルイグニッションで製作しましたが、2つのイグニッション用ディストリビューターを調整するのに問題があり、そこから試作が生まれたり消滅していきました。
ベルガミー二さん:とにかく224Vの機械部品の設計を開始し、最初は5速その後6速になった新しいゲトラークのトランスミッションの導入を始めました。このプロジェクトで、ゲトラークのトランスミッションがシャマルに直接搭載され、その後ZFの工場在庫がなくなったため、全量産に拡大搭載されました。
とにかくこのような重要なプロジェクトに携わることは誇りであり、また設計者レベルで現場エンジニアはなく技術者は多くいましたが、経験を積むための視野を広げることができました。とにかくこのトランスミッションは実験部門のプロトタイプで開発されテストされ、最終的にシャマルに量産されました。ZFのギアボックスは1速レバー位置が後側にありました。しかしこれは1速レバー位置が前側で、リバースはさらにその左側前方にありました。
その後224Vに移行していくつかの改良を行いましたが、その後非常に重要なプロジェクトであるシャマル プロジェクトに移行し、打ち抜きプレス加工シェルからチューブラーサスペンションアームに移行してリアサスペンションを改良しました。
これは、当時テクニカルディレクターであったエンジニアのカリッリのアイデアでした。その後シャマルには搭載されなかったABSに備えてハブも変更されました。そこからギブリプロジェクトが生まれました。私たちの隣には、デトマーゾがメカニズムで絶対に何も変えたくなかった最初のシリーズであるギブリ93年型モデルもあります。その結果依然として、ツインターボの伝統と言えるこの古典的なサスペンションが搭載されており、ここでもサスペンションのこの部分は少々目新しく、少し新鮮だったと言えるこれらのリアチューブラーアームを挿入したいと思いましたが、彼の考えを変えることはできませんでした。
しかしサスペンションは改良されました。ショートタイプのステアリングボックスと改良されたステアリングリンケージが導入されたため、とにかくすべての機構にわずかな改良がもたらされました。とにかく93年型モデルギブリはABSなしで、とにかくこれらの特性なしで生まれました。306psの強力なエンジンを搭載していましたが、これも車両の路上走行を維持する為に一定のスキルが必要だったと言えます。
その後デトマーゾの病気で経営陣が変わり、フィアットが参入し、エンジニアのアルッアティ氏が参入したことでギブリは改良されましたが、このらすべての箇所で大幅な改善が見られました。フロントサスペンション全体的に作り直され、すべての箇所が変更されました。重要事項であったABSが導入され最終的にチューブラーアームを備えたリアサスペンションが導入されたため、メカニズムとロードホールディングのレベルで明らかに改善されました。
アンドレアー二さん:その状態では、すでに当初計画されていたクアトロポルテバージョンがありました。まず私が最初にやったことがルーフを取っ払った2ドアモデルで、どのショーかは覚えていませんが、発表したスパイダーを作るためのベースとしでストーラ社製の赤く塗装されたショーモデルでした。その後数年間ザガートはスパイダーを生産しましたが、ホイールベースが短い2シーターでした。
その後にデトマーゾが私に228プロジェクトを依頼しました。私はすでにモデナを去っていましたが、彼はそのために私を呼び戻しました。これはビトゥルボの特徴を取り入れながらも、より大きく快適な車でした。このプロジェクトにはクアトロポルテ版も含まれていました。これは4人乗りで快適なコンパクトカーとして誕生したものの、長距離旅行には不向きだったビトゥルボとは異なり、快適なセダンとなるはずでした。しかも39%という法外な付加価値税が課せられていました。エンジンは既に大型化されていましたが228は残念なことに少量生産でした。そのためクアトロポルテ版は残念ながら実現しませんでした。なぜなら非常に快適で、非常によくできた車だからです。その後デトマーゾがガンディーニに色々なバリエーションのデザインを依頼したため、別のバージョンから登場しました。
そしてデトマーゾがバリエーションを作るよう依頼したガンディーニがやって来まして、他のバージョンもデザインしました。その1つがシャマルと他のバージョン(多分222とか...)です。私は実質的にそれらが気に入ったというわけではありませんが、若干は好感が持てます。
ガンディーニがデザインしたクアトロポルテは、私にとってはマセラティの従来型から少し外れていました。まあそれは少し違うことをする試みでした。しかしこれは歴史であり、私は繰り返したくはありません。
ベルガミー二さん:ところで、このことについては常に何らかの見返りがあったとしましょう。クアトロポルテはフィアットのプロジェクトではなく、デトマーゾ氏がまだ指揮を執っていた頃からのデトマーゾによるプロジェクトでした。
ある夜、最終段階のシャーシが到着しましたが、それは単なるフレームで、テスト部門に置かれました。このシャーシは、誰にも見られないように金属板で囲まれており、鍵付きのドアがあり、数人の彼の取り巻きしか入れなかったので、私はそこには入れませんでした。ある日、私はデトマーゾ氏と一緒に入ることを許されました。デトマーゾ氏と数人の幹部がいて、エンジン部分についてはギドーニ氏が、冷たい機械部分(多分エンジン以外)についてはとにかく私が担当し、彼は私たちに従うべきガイドラインを少し教えてくれました。
そこでも私たちはデトマーゾ氏のところにギブリ93のすべてのメカニズム、つまり同じエンジン、同じサスペンションに戻しました。要するに何も変更せずに。このプロジェクトは、フィアットとの交代により中止されましたが結果としてギブリ94のすべてのメカニズムを備えたクアトロポルテが誕生しました。そのためリアサスペンションも格子状になり、新しいサスペンションパーツはギブリ94から持ち込まれました。これらの改良は、クアトロポルテ6気筒エンジンから8気筒エンジンの開発と進化につながりました。電子制御を備えたコニ製ショックアブソーバーは、最初のビトゥルボから考えると、94、95、96年の話です。最初のビトゥルボのメカニズムを考えると、品質の飛躍的な向上が期待できました。
ギドーニさん:いくつかのプロトタイプが作られ、そのいくつかはマセラティワンメイクレースに出場した車のように量産されました。別のプロトタイプは、当時としては極めて高い出力、つまり350、360 馬力の 6バルブで作られました。しかしこのワンメイクレースに参加するはずだった車がワンメイクレースが中断されたため熟成されませんでした。前述の3バルブは 1 つのエクゾーストと 2 つのインテークで構成されており、配分に大きな問題は発生しませんでした。ただし分割ダクト付きのインテークマニホールドでプロトタイプをテストしたときに問題が発生しました。短いダクトを使用した場合は即時反応でしたが、短いダクトから長いダクトに切り替えると、エンジンがパワーを失う瞬間があり、結果として期待した結果が得られませんでした。その後他の欠陥が見つかり、エンジンは排気量が標準2800 ccとデュアイグニッションに増加しました。デュアルイグニッションは、2つのディストリビューターを一緒に冷却することが難しいため、生産されませんでした。そのため、ウェーバーマレッリは問題が発生しないと保証しましたが、これも断念しなければなりませんでした。
イヴァルディさん:しかしながら、当初ビトゥルボは非常に大きな成功を収め、初期の顧客の中には最初期ロットの車にいくつかの問題を抱えて不満を抱いていた者もいたにもかかわらず、注文は大量に届き続けました。この状態は数年間続き、その後商業的には衰退しましたが、デトマーゾとマセラティの技術者たちはビトゥルボの進化と改良に絶え間なく取り組み、長年にわたり真に大きく改良されたことは言うまでもありません。ほぼすべての設計上の誤りが修正され、キャブレターの代わりに電子制御燃料噴射装置が採用され、インタークーラーが導入され、セットアップ機構が改善され、グリーソントルセン製の新型セルフロック式デファレンシャルが採用されました。つまり彼らは車の完成度を徹底的に追求したのです。また製造品質の面でも改善が見られ、1気筒あたり4バルブなどと、最終進化型まで本革や本木製ベニヤが使用されていましたが、商業レベルではこれらの提案では、ビトゥルボをデトマーゾが望んでいたトップセールスに再び戻すことはできませんでした。正直なところ、ビトゥルボの進化型は優秀な車で、製造面でも秀逸で、パフォーマンスも非常に優れているため、これらの車はトップに立つに値しました。
ベルガミー二さん:V8は、マセラティの歴史的エンジン設計者でもあったヴァルター ギドーニ氏によって作られ、V8はシャマルからクアトロポルテに移行し、3200GTクーペの開発に進み、上部も改良され、インテークマニホールドも改良されて成功を収めました。
ギドーニさん:その後24バルブが製作られ、24バルブヘッドが設計されました。これはそれより下部分はすべて従来のビトゥルボでした。
ヘッドは、アルファロメオで働いていた紳士、レベッキによって設計されました。彼は基本的なアルファスッドエンジンを設計し、F1エンジンではキティの直接の協力者でした。
ある時点でデトマーゾは市場のニーズが何であるかを調べるために市場調査を行い、V8の時代到来でした。彼らはそれをV6を拡張したビトゥルボだと言いましたが、絶対に真実ではありません。ビトゥルボはビトゥルボでした。V8はフラットプレーンクランクシャフトからバルブトレインまで完全に新しく設計され、ヘッドの新しい冷却システムも提供されたため、多くの作業が行われました。それが強化されたビトゥルボV8だったというのは絶対に真実ではありません。テストベンチでこのビトゥルボV8エンジンは370~380馬力と非常にパワフルで、特に低回転域で実に強力でした。しかしシャマルはショートホイール車であるため、発進時に過剰なパワーが伝達され、車が横滑りするという問題が発生しました。そのためドライバーはアクセルを踏み続けなければ車はまっすぐ走らず、アクセルを離した瞬間に車が回転するコマになってしまうのです。こうした状況から出力を下げるという解決策が採用され、360~370馬力から320馬力程度にまで下げられました。当然ながら、以前のような輝きは失われましたが、エンジンに余裕が生まれ、信頼性が向上しました。
イヴァルディさん:しかし、ビトゥルボと政治の繋がりはデトマーゾにとって問題でもありました。彼に資金を提供していた政治家たちは雇用面での対応を求め、労働者に早く働くよう要求したのです。これはデトマーゾを窮地に追い込み、車の開発が完全に完了していなかったにもかかわらず、デトマーゾはほぼ強制的に生産を開始せざるを得なくなったのです。確かに当時の車は未熟でしたが、後になって一部の人々が言いたような悲惨な結果にはなりませんでした。むしろ機会を逃したと言えるでしょう。数か月のテスト(誇張すれば1年ほど長くかかったと言えるでしょう)があれば、ビトゥルボは既に大幅に改良された状態で市場に投入されていたでしょう。
ギドーニさん:標準ビトゥルボ最初のバージョンは、両外側にキャブレターを搭載し、ターボはV字管の中央に配置されていましたが、ターボのヘッドアップが大きく発生しました。第2シリーズでは、デトマーゾ氏が日本から持ち帰ったIHI製ターボという”小さなおもちゃ”を取り付け、キャブレターを中央に配置しました。これはすぐには問題を引き起こしませんでしたが、夏の暑さでは、過熱とべーパーロック現象による問題が発生しました。パワーが必要な追い越し時に、気泡が発生するとパワーが低下する小さな問題が発生しました。
その他の問題は、耐久テスト中に誰が直接報告していたら簡単に解決できたはずです。私たちは間接的にいくつかの異常を知り、それをより早く知っていれば、特定の問題や顧客からの苦情を防ぐことができたはずです。顧客は「あそこに問題がある、ここに問題がある」と言ってくるでしょう。
これらの問題は、夕方にエンジンを交換することで解決されました。例えば配送車は新しいエンジンを積み込んで出発し、夜中にローマの整備工場でエンジンを交換して、翌朝には新しいエンジンを搭載した車を引き渡すことで、顧客を失望させないよう配慮されていました。
もう一つの問題はベルトテンショナーでした。ベルトテンショナーは当初は問題を引き起こしませんでしたが、ターボ熱や外気熱などによる高温により、ボンネット下は常にかなり高温になり、当初は問題を引き起こさなかったが、このシステムの機能性が問題を引き起こしました。そこでタイミングシステム用のピレリベルトとオイルテンショナーを組み合わせた新しいシステムが開発され、これが最後まで使用され、様々な問題を解決しました。
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