
先日あるニュースで2年前の祇園暴走事故の被害者の話をしてました。それは大怪我したオーストラリアからのご夫婦の話。奥さんが巻き込まれて一時意識不明の重体、けど1ヶ月後にはなんとか退院して帰国されたとのこと。その時もニュースで見た記憶があり、おそらく中華系の奥さま、病院の方やいろんな方に励まされて良かった、また日本に来れたらと言って帰国されてました。その当時、これは綺麗事のお世辞かと思っていたけど、先日のニュースで再来日した模様が放送してました。
やはり怪我の後遺症で歩きにくかったり痛みもあるみたい。でも一切恨みごと言わないんですよね。大変とは言いますが、例の死んだ加害者についてもなにも。ご夫婦は中途になっていた旅をちゃんと終わらせたいと。そして他の被害者にも会ってみたいと。それである亡くなった方の家に行ってました。
こういう事故と言うか、ある意味防げたであろう事件では、被害者は怒りでいっぱいになり、そしてそれを晴らそうと裁判やいろんな方法を取ると思います。もし自分がそういう目に会って家族がとかなるとそうしてしまうかもしれません。その立場状況に立たないと判らないかもなので軽くは言えないことも重々承知。
無念、これって確かに辛い。向うの勝手な理由で殺められて怒らない訳がない。そりゃー絶対怒る、恨む。けどこの前までやっていた朝ドラでヒロインは息子を戦争で亡くし、あるアメリカ兵も息子を亡くす。お互い憎んで苦しんでいたのだけど、最終的にはそのアメリカ人が“憎まないことにも憎むことにも苦しみが伴う。同じ苦しむなら憎まないほうがいい”と語るのです。そうだよな~と朝から頷きましたよ。
人生の中で本気で人を怒り恨む事ってそれほどないけど、やはりその多くは生死に関わる際に出て来ると思います。僕は恨む程でなかったけど二人の母親の病院での死には微妙に疑念が残るとこもあり。でも恨んで訴えてもどうなるかと言う気もしてます。明らかに殺意があってと言うなら別ですが、祇園の事故や戦争など落ち度はあってもそうしようとしてなったので無い場合、結局どうやっても恨みは晴れないのではと思うのです。
許すってもの凄くパワーと精神力が要ると思うけど、身に付けたい心遣いと思いますなぁ。
余談ですが、そのオージーの夫婦、事故があった夜に行くはずだったと言う料亭に今回、食事に行かれていました。なんでも入院している際、そのお店からお花が届いたと。そういう気使いが出来るようになりたいと思ったのと、その店が昨秋に
友人に連れられて行った店でなんだか色んな事を考えてしまいました。
Posted at 2014/04/17 12:17:52 | |
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