2018年4月 韮山反射炉
投稿日 : 2018年04月11日
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韮山反射炉
2015年7月、『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産の一つとして、世界遺産に登録。
稼動を終えたのち150年以上、地域住民の理解や協力の下、適切な補修・修理工事を重ねながら今日まで保存された。
観覧料 一般個人500円
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韮山反射炉
韮山代官江川太郎左衛門英龍をはじめとする蘭学に通じた官僚たちにより、近代的な軍事技術や制度の導入が図られ始めた。
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韮山反射炉
江川英龍は、西洋砲術の導入、製鉄大砲の生産、西洋式築城術を用いた台場の設置、海軍の創設、西洋式の訓練を施した農兵制度の導入など、一連の海防政策を幕府に進言している。
このうち、鉄製大砲を鋳造するために必要とされたのが反射炉である。
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韮山反射炉
嘉永6年(1853)、ペリー艦隊の来航を受け、幕府も海防体制の抜本的な強化に乗り出ざるを得なくなった為に、以前から様々な進言してきた江川英龍を責任者として、反射炉と品川台場の築造が決定された。
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韮山反射炉
反射炉は金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉で、内部の天井がドーム状になった炉体部と、煉瓦積みの高い煙突からなる。
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韮山反射炉
石炭などを燃料として発生させた熱や炎を炉内の天井で反射し、一点に集中させることにより、銑鉄を溶かすことが可能な千数百度の高温を実現する、このような、熱や炎を反射する仕組みから反射炉と呼ばれた。
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韮山反射炉
鉄製24ポンドカノン砲(再現)
カノン砲とは、長い砲身を持ち、比較的低い弾道で遠距離の目標を攻撃する為の大砲。
江戸湾防衛のため、鉄製大砲を量産し、品川台場に配置することを目的として築造された。
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韮山反射炉
ガイダンスセンターは築造に至る時代背景や経過から、稼動当時の状況、そして現在に至るまでの保存の取組などについて、建築空間を活かした映像演出や最新の調査研究成果を反映した展示などにより発信する。
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