
黒のクルマは炎天下で洗車したらダメですね…kazunariです。
大震災から2ヶ月が経とうとしてて大きくは進んでないながらも地道に一歩づつ復興へ歩んでると日々ニュースを見ていて感じていました。しかし“がんばろう東北!”とか日本中が言ってても被災者の間では街や個人で「復興格差」があるのが現実なんです。自分も“負けてたまるか!”とか思っててももう一人の自分が復興格差の事を考えてましたから…
阪神大震災の時でもこの復興格差が話題になっていました。震災から十何年経っても町並みとか表向きは綺麗になって復興できたと思ってても経済的な問題や年齢的な問題で本当の復興が出来てない人が僕らが知らんだけで見た目以上に沢山いるのが事実なんです…仮設住宅に入ってもお金や仕事がある人はすぐに退居して新たな土地で頑張っていけるけど、結局最後まで仮設住宅に残ったのが身寄りのないお年寄りでヒッソリと孤独死したニュースを聞いたりしたのも元を辿ると復興格差だと思います。家や会社を立て直すにしてもそこにはお金が必要で、「おら金持ってんだぁ~」の人とか会社が儲かりまくって蓄えがある人は復興へ向けてすぐ前向きに進む事ができるかもしれないけど、デフレで不景気なこの御時勢で日々カツカツの生活をしている人も多いはずだから何もかも流されて失ってしまって家のローンが残ってさらに家を買うとなったら二重のローンが残って負担が増えます。それに加えて仕事再開のめどが立たないし体力があって仕事したいのに何も出来ないのはストレスが溜まって歯がゆいだけです。有名人が復興支援に現地で物資を持って言ったり炊き出ししたりのニュースもあったけど、メディアの取り上げ方も復興格差に繋がってる部分もあるんじゃないでしょうか?ニュースになってた避難所は物資が揃ってるのに隣町では物資が全然来なくて避難された方が不満漏らしてたとかネットで見たことありますよ。
今回の震災では町役場そのものが被災されて町ごと避難されてる場合もあるし、福島だと原発の問題がクリアしない事には何も前へ進まない町もあるし、さらに行方不明な方も沢山いるから瓦礫の除去も進まない、震災から2ヶ月経って張り詰めた糸が切れた状態になってPTSDといった心のケアが必要な時期に来てるかもしれない…阪神大震災の頃はまだ国も個人も多少の蓄えがあったから復興への道筋をつけるとそこからはペースアップした感じがあったけど、今はデフレスパイラルと長い不景気で個人所得も貯蓄もあの頃に比べると減ってると思うので阪神大震災以上に格差問題がクローズアップされるんじゃないかなあ~企業や個人レベルでの復興は走り出しても結局は国が被災された方々を手助けするために何をどう行動して道筋をつけていくか…ここが始まらないと全てが始まらない。自分も被災された人みんなが一日も早く笑顔で復興できる日が来て欲しいと思っていますよ。しかしムードに水を差すかもしれませんが、現実は精神論で片付くようなそんなに甘いもんじゃないと思います。
“被災者にとって、遠くからの「頑張れ!」といった激励は精神的に追い詰められるだけだ…”って記事に書いてるんですが、自分もそこは同感で精神的に参ってた時にまわりから「頑張れ!」と言われても「ここから何を頑張ればエエねん』って思ってた事があるんで『がんばろう!ニッポン!!』とか言う言葉を安易に使わないようにしています。それは上から目線に聞こえるし被災された人は誰に言われることなく日々人並み以上に頑張って内なるものと戦ってるんですから…
こんな話題を取り上げたら怒られるんだろうなあ~ あくまで個人の意見と思って御理解してください…長文、駄文を読んでいただきありがとうございます。
日刊サイゾーからの引用です…
東日本大震災の復興計画をまとめる「東日本大震災復興構想会議」が設立され、建築家の安藤忠雄氏や脚本家で元横綱審議委員会の内館牧子氏がメンバーに名を連ねたことで話題を集めている。
このような国家規模の復興計画とは別に、被災地では日々復興に向けて動きだしているが、被災者にとっては、いまだ「復興」に違和感があるという。
宮城県では例年通り新学期に合わせた教育委員会の人事異動が行われ、学校も再開された。しかし、現実には学校そのものが津波で流されてしまったり、避難先では学校が統合されているケースも多く、教師が一律に担任をもって授業をするわけにはいかない状態になっている。
ある学校関係者は、「同じ被災地でも、避難所になっている学校とそうではない学校の先生とではまったく違う」と語る。さらに「避難所になっている学校は授業どころではなく、片や何もない学校の先生は例年の新学期なんかよりはるかにのんびりしている」と教師の間でも差がつき始めている現状を教えてくれた。
このように、被災の状況によって新生活に差異が生まれ始めていることに危機感を抱く人は多い。仙台市内の親類の家で暮らすAさんは石巻市で被災し、自宅と職場を失った。そのAさんが感じているのが「復興格差」だという。
「同じ地域の被災者同士でもかなり温度差があるんです。うちはまだ電気やガス、水道が復旧していないのに、数軒隣の家の人はライフラインがそろっていて、普段通りの生活をしているんですよ。なんというか、街のバランスが大きく狂ってるように感じるんです。みんな同じ場所で被災したのにね」
さらにAさんによれば、石巻市内から車で10分ほどの距離にある街道沿いではパチンコ屋がフルタイムで営業していて、客も超満員だったりするという。
Aさんの知人のある男性は「うちは自宅が無事で、まとまった現金が家に置いてあったのですぐに中古車を購入できたんです。移動手段が確保できたことで、物資の買出しも被災から1週間ほどで可能になったので今はストレスはありません。むしろ、何もすることがないのがストレスですね。正直、今は退屈ですね」という。
こうした現状に違和感を抱いているのはAさんばかりではない。宮城県の沿岸部に住んでいるサラリーマンだったBさん(33歳)の勤め先は、今回の震災で社屋を失った。震災から2カ月近くが経過しても、いまだに仕事再開のめどが立たないという。
「仙台には週に2~3回行っていますが、町並みはだいぶ復興し始めている感じがする。だけど、仕事面ではどうかな。会社が使えないから自宅で仕事をしている人もいるけど、ほとんどの人はパソコンなどが全部流されてしまった」
Bさんが言うように、会社自体が津波で流されてしまった沿岸部では、いまだに復興する手段がない。小売業で在庫を失ったような会社はもちろんだが、多くの会社では仕事に必要なデータが入ったパソコンを失ってしまったことが足かせとなってしまっている。
ほかにも「東北地方の沿岸部に多かった水産関係の会社は軒並みアウト」と語るのは、石巻市で水産加工業者に資材を納品する会社に勤務していたCさん(40歳)だ。彼によれば、地場産業として宮城県の沿岸エリアの経済を支えていたのは漁業や水産加工業だった。
「同級生には水産加工会社の息子もいたんですが、本当に羽振りがよかったですよ。免許を取ったらすぐに高級車とか買ってもらってね。でも、いまじゃ会社と工場と自宅、全部が津波で流されてしまってどうやって復活すればいいのか本当に分からないし、いまだに何から手を付ければいいのかって言ってましたよ」
直接的なダメージを受けたのは沿岸部の会社だが、今後、取引先の関連会社などの倒産が増える可能性もある。自分一人だけが復興したとしても、それだけで社会は回らない。そのことを考えると、前向きになれない被災者も多いようだ。先ほどのAさんは不安を抱えた現在の気持ちを語ってくれた。
「生活面では不安だらけなんだよね。自宅が半壊して地元にとどまった人たちは1カ月くらいたったころから猛烈に将来の不安が襲ってきているんだよね。メンタル的に相当きつくなってる」
そのような状態にいる被災者にとって、遠くからの「頑張れ!」といった激励は精神的に追い詰められるだけだという。
「自分たちで乗り越えなければならないことは分かっている。お金があれば生活を立て直せるというような問題ではないのかもしれないけど、それは極論だからね。現金が残った人、仕事が残った人、それぞれに差がつくことは仕方ないのかもしれないね」
復興の進度は一律ではない。今後、震災によってもたらされた経済格差も被災した人たちの間で大きな問題になっていくことは間違いないだろう。
(取材・文=丸山ゴンザレス/http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/)
Posted at 2011/05/08 14:37:49 | |
トラックバック(0) |
News'11 | ニュース