
おそらく・・・
1995年のWRCと言えば、あの大事件がシーズンを通じての一番の出来事だったのではないでしょうか。
ということで「1995年のWRC」、これで最後のネタになると思うのですが、トヨタが犯したレギュレーション違反事件について思うことを・・・
事件の概要は以下の通り。
第7戦カタルニアにおいて、TTEのセリカ3台に装着されたリストリクター(エンジン吸気量制限装置)が、吸気制限を緩和できるよう細工されていた。
これは故意にこのような細工を施してエンジン出力を高めようとする、明白なレギュレーション違反である。
この違反により、95年WRCにおけるTTEのチーム、およびドライバーが獲得した全てのポイントを剥奪し、次戦RACラリーと96年WRCの全戦への出場を禁止する。
当時、この罰はあまりに重すぎるのでは?との声もありましたし、逆に何故永久追放としないのか?との意見も耳にしました。
あまりにもあからさまなルール違反ということで、FIAも相当に厳しい対応を決定したのでしょう。
私は95年のポイント剥奪は妥当だと思いましたが、今でも96年の参戦禁止は厳しすぎたのではないかと感じています。
結局この裁定を受けてTTEは96年のみならず、97年のフル参戦も中止を決めました。
そして97年以降導入となったWRカー規定に合致する新マシン(カローラWRC)を開発して、97年の幾つかのラリーにテスト参戦し、98年からフル参戦を再開すると発表されました。
当時はこの事件に酷く失望したものでした。
王者トヨタが、その座にすがり付こうとするがゆえの違反ですから・・・
それほどまでに、新興のスバル、三菱の存在はトヨタを追い詰めていたのでしょうね。
しかし、素直に新鋭に対して負けを認めることもまた、王者の資質というものではないでしょうか。
それが出来なかったトヨタは、やはり王者たる器ではなかったのです。
負けること、或いは失敗すること、何かを失うこと・・・
これは酷い苦痛を味わい、誇りや尊厳を失うことでもあります。
けれど、その経験によって得られるものは、何者にも代え難い貴重なものではないでしょうか。
負けた経験や失敗体験は人を強くするものですよね。
トヨタは98年鮮烈に復帰、翌99年にはマニュファクチャラーズタイトルを獲得してWRCから撤退しました。
復帰後僅か2年の活動でしたが、再び競争力溢れる独創的なマシンを開発し、勝利数こそライバルに敵わなかったものの、タイトルを獲得して去っていったのは、トヨタがあの事件によって一段強くなったことの表れではないでしょうか。
負けて、失敗して、失って強くなるということ。
これはチームだけでなくドライバー個人にも見受けられたことです。
私が現在ミッコ・ヒルボネンを応援する最大の理由はこれなんです。
彼はスバルワークスから放出された後、プライベートエントリーでままならない参戦に苦しみながらも、その努力によってフォードのワークスシートを手に入れました。
確かにセバスチャン・ローブに対抗するにはまだ力不足は否めません。
しかし、ミッコには「浪人時代」というセブにはない経験があるのです。
苦汁を舐めた経験が報われて欲しいし、彼ならばあの経験を無駄にはしないだろうと思うのです。
「思う」と言うより「思いたい」、と言うべきかもしれませんが(苦笑)
現在同じような苦境の中にあるのはペター・ソルベルグとダニエル・ソルド。
ペターは来年の参戦が確定できず、状況によっては参戦できないかもしれないとか・・・
スペインやGBでは、なんと参戦費を持ち出ししていたとも聞きました。
ダニも同様、長年のサポート約としての仕事がそれほど評価されず、ワークスシートを追われてしまいました。
持ち込みスポンサーが必要だ、などの条件面で折り合わず、恐らくは長年在籍したシトロエンを去ることになるでしょう。
今が一番キツイ状況であろうと思うのですが、これを乗り越えた時、この二人は更なる強さを身に付けるのではないかと、期待・・・というより希望をもって応援したいと思います!
・・・なんだか1995年の話題が2010年の話題にすり替わっちゃいましたね(汗)
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WRC | 日記
Posted at
2010/11/18 23:11:21