
最初っから帆船(セイルシップ)が好きだったのではなく、たぶん滑空機(グライダ、ソアラ、セイルプレーン)大好きなのが伏線にあって、その内燃機関などの動力源なしに最大効率/最高性能を狙う過程で磨き上げられた独特の機能美が共通項であり、もう、たまらない♪ってことなのだと思う。 ;-)
もともと乗り物好き、とりわけ飛行機大好き少年だったのが出発点.....奈良に生まれ&住んでいた幼稚園児の頃に親父から手ほどきを受けた折紙飛行機、やがて古葉書製の紙飛行機、さらに三沢に引っ越してからは「子供の科学」誌で知った二宮康明氏の設計による本格的な滞空競技用などを含むケント紙製の積層&接着構造な紙飛行機を作って飛ばすことが面白くて仕方がない!ってな男の子だった。
もちろん小学校高学年にもなると模型飛行機作りには、止め処もなくドンドンのめり込み、高出力の平ゴムにルブリカント塗布&ワインダ使用でサーマル(熱上昇気流)を捕まえられると芥子粒より小さく見えるほど舞い上がるゴム動力ライトプレーンの米軍基地内で行われる競技会にエントリしたり、バルサ材やヒノキ棒材を組み合わせた骨格を持つ翼幅600mmを超えるような本格的な四角断面胴を持つセミプロフィール機.....「エアロンカ」だったか「パイパー・カブ」だったか!?.....を雑誌付録の図面から型紙を起こして、学校の勉強もろくにせずにカッターとサンドペーパで木屑まみれになって製作没頭する熱中鰤だった。 気がつくと、まだ小学生のくせに三面図の読み方/書き方など、いつのまにか身に付いていたように思う。
当時はまだまだ高学年になったとはいえ小学生の小遣いで模型用エンヂンなどは買えるわけもなく、せいぜい頑張って貯金しても固体燃料ロケットエンジン「ロケッティ」.....嗚呼なんと懐かしい響きだっ!.....に手を出せるかどうか.....などという時代だったので、自分で走って曳航索で発航させるグライダ(動力を持たない滑空機)も独特の面白さがあって、これまたプライマリ型の入門機から、やがて中学生になる頃にはバルサ材削り出しのハンドランチグライダで滞空時間を狙うのにのめり込んだり、さらに宮城県の矢本に引っ越してからは再び曳航索で発航させる欧州名機のソアラを模した翼幅1000mm超のセミスケール機を作ったりしているうちに、中学の同級生がR/Cヨットを始めているのを知り、これまた風だけを動力に風上にさえ30°ほどの角度で切り上がり滑るように水面を駆け回る面白さに感動し、なんと製作途中のR/Cグライダから2chプロポを転用してR/Cヨットにのめり込むことになっていった。 そういえば、モーターグライダ用の「049」グローエンジンをブレークインまで施していたはずだが、はて、何処にやってしまったのだろうか? ;-D
そんなこんなで、グライダもヨットも実機&実艇と全く同じように風だけを頼りに飛ばし/走らせるには、R/C誌だけではなく実艇ヨットの専門誌も読むようになり、もともと凝り性.....滑空機も帆船も、その機能美に溢れた独特の優美な姿が最高だよなぁ~♪と。 日本の代表的な、横帆3本+縦帆の4本マストなバーク・リグ(艤装)大型帆船「日本丸」「海王丸」なども、石巻港や仙台港に入港するときは必ずワクワクと見に行ったものだ。 そうそう、うちのカミさん&子供達も連れて、日本海側の酒田港へも船内見学に出掛けたっけ。 :-D
さてさて、そんな訳で、帆船大好きならこの復元船も見に行かねば.....と思っていたものの、いつでも行けるかなという射程距離内にあると、これが中々.....そうこうしてるときに東日本大震災の大津波に直撃を受けて損傷してしまったのが、石巻市の「サン・ファン・バウティスタ号」復元船だった。 さらに被災後の暴風でマストも折れてしまっていたものが、昨年なんとか各方面の支援を受けて修復され11月上旬に再公開へ漕ぎ着けていたとのことで、この日、ようやく疾風@黒柴♂と一緒に、ちょいと石巻方面ドライブで初訪問となった。 :-)
まずは矢本で段ちゃん@天空の城に別れを告げ、大震災&巨大津波にすべてを奪われてしまった大曲地区を、まだまだかなり埃っぽい空気の中、心が痛むのを覚えながら通り抜け、石巻工業港からのルートでZE1を駆った。
津波で甚大な被害を被ったところから懸命の復旧を成し遂げ、いまや操業再開している日本製紙・石巻工場の前を通り過ぎ、北上川河口に掛かる大橋へ。
かなりの高さのある橋の頂部から左手の北側には、石巻市街を鳥瞰することが出来る.....をっと、ドライブ大好き犬な疾風@黒柴♂はナビシートでシッカリと前方を見てるね♪
荒れ果てたままの風景.....とても埃っぽい空気が続くなか、ともあれ石巻漁港から海岸沿いR398に合流し、渡波地区を通って、万石浦が太平洋へ繋がる所に掛かった万石橋を渡り、案内看板もなくって此処からか!?という丁字路を右折してトンネルをくぐって、目的地へ到着。 すでに、お日様はだいぶ西に傾きかけていた。
ということで、疾風♂も心地よい潮風を吸い込んで、元気一杯だ♪
まずは、階段を登って、サンファンパークの中庭へ。
空には白い月が.....。
残念ながら、すでに営業再開しているサンファン・ミュージアムにはワンコ連れでは入場できないので、公園展望台のデッキから牡鹿半島をバックに「サン・ファン・バウティスタ号(San Juan Bautista)」復元船を眺めようと♪
いやぁ~、偉容堂々、とても立派な三本マスト・ガレオン船だ。
400年も昔に、重機も無しに、しかも初めてで、いったいどうやって短期間に、こんな大型帆船(排水量は約500トンらしい!?)を人力だけで建造できたのであろうか.....いくらスペイン人造船技師の指導があったにせよ、その実現にはベースになる技術/技能がなければ不可能なはず.....そこでキーワードは「気仙大工」か.....いずれにせよ、並々ならぬ苦労があったに違いない。
この日は実に穏やかな表情の海.....。
実は此処の対岸右手に伸びて見える渡波港・南防波堤、中学生の頃に親父と一緒にしばしば魚釣りに来ていた座布団級の石鰈(イシガレイ)が狙える一級ポイントだったなぁ。 西の方には、離れて石巻市街が小さく見えている、
さて、夕方の散歩の時間にも近づいてきたので、そう言えばかつて我が母校・石巻高校のヨット部艇庫があったはずと記憶している佐須の浜側へ降りて、ぐるりと回りこんで再び近くから「サン・ファン・バウティスタ号」復元船を見てみようと。
途中の崖の木陰から.....。
どの高さまで大津波が襲ったのだろうか.....。
岸辺まで降りて、一部消失し曲がった手摺など、あの巨大津波が押し寄せた痕跡が生々しく残る小道で、サンファン館側と仕切られたフェンスまで近づいてみた。
うぅ~む、400年前の慶長の大地震&大津波で被災し、打ちひしがれていた中、その僅か2年後に独眼竜・伊達政宗公の命を受けた支倉常長はじめ慶長遣欧使節の一行は本艦でメキシコへ出帆したというのだが、建造準備から大航海に耐え得る初の大型西洋式帆船のための木材確保・建造、そして太平洋横断.....操船には安東水軍があたったとの説も!?.....とにかく、これが如何に凄い事だったのか.....興味のあるむきは、是非とも此処を訪れてみて、何かを感じてほしいものである。 :-D
.....いよいよ陽も落ちてきたので、再び疾風♂をZE1に搭乗させ、山形へ帰途に着いた。
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翼 | 旅行/地域
Posted at
2014/03/01 22:16:38