先ずは記事のコピペから
=引用初め=
凋落ソニーをファンドマネジャーも見放し始めた?
関係者に聞いてわかった家電メーカー“失敗の本質”
ファンドマネジャーも見放すソニー銘柄
「失敗の本質」はどこにあるのか?
最近、国内外のファンドマネジャー連中と話していると、彼らがソニーの株式をポートフォリオから外していることがわかる。かつてわが国を代表する家電メーカーだったソニーが今、ファンドマネジャーから見放されているのを実感する。
彼らはソニーだけではなく、わが国の他の家電メーカーの株も外しているのだろう。寂しい気がする。
彼らにソニーを外す理由を尋ねると、多くのケースで「同分野の企業としてアップルの方が成長性を見込める」、あるいは「日本の家電メーカーにはかつての競争力はなく、サムソンやハイアールなど新興国のメーカーに追い付かれる」などの回答が返ってくる。
わが国の家電メーカーは、「上のアップル」と「下のサムスン」などの挟撃に遭って、かなり厳しい状況に追い込まれていることを再認識する。
かつて、トランジスタラジオやウォークマン、トリニトロンやハンディーカムで世界の家電市場を席巻したソニーが、何故凋落の道を辿ったのだろう。知り合いの技術専門家やアナリストに手当たり次第尋ねてみた。
その答えはそれぞれ異なっていた。ただ、いくつかの共通点を見出すことができる。その1つは、ソニーが1990年代に一段の飛躍を模索して、米国型の事業部制の仕組みを取り入れたこと、それに伴って技術重視の企業のカルチャーが変わったことがある。
その結果、「ソニーは、『いつも何か新しいものをつくり続けてきた』という企業文化を失った」と言う人が多かった。
それは、ある意味では“わが国家電メーカー”の失敗の本質なのかもしれない。ただ、今まで上手く行かなかったとしても、下を向く必要はない。仮にそれが失敗の本質ならば、それを修正すればよい。また、「新しいものをつくるカルチャー」を再構築していけばよい。世界は今日で終わるわけではない。
常に新しいモノをつくる集団から、
「何の会社かわからない」集団へ
「昔、工学系の学生にとって、ソニーに入社することは一種の憧れだった」
これは、ベテランアナリストの言葉だ。彼が指摘しているように、かつてのソニーは、いつも新しいものを一番につくろうとする人たちの集まりだったかもしれない。今でも、そうした憧れはあるのだろうが、かつての強い憧憬の気持ちは少しずつ薄れていると言われる。
多くの人が転機に挙げているのが、出井伸之氏がリーダーに就任したことだ。
同氏は技術系の人材でなく、同社の一層の拡大を目指して米国型の事業部制を採り入れた。同氏の構想の中には、米国流の事業部制を整備することによって、一流国際企業への発展の道を築くことがあったと見られる。
経営戦略論などの考え方に基づくと、同氏の戦略はそれなりの説得力があり、決して一概に間違いではなかったはずだ。そうした体制づくりによって、ソニーは金融やコンテンツ事業などを手げける大企業への道を歩むことになる。
一方、金融やコンテンツなどは、モノ作りとは同一線上の事業ではない。つまり、異なるカルチャーで運営されるべき分野だ。当然、異なった文化を持った人材に経営を委ねることになる。
そこまでは良いのだが、1つの組織の中に様々な文化を持った人材が混在し、それを全体として上手くコントロールすることは、口で言うほど容易なことではない。
ソニーOBの1人は、「
それ以降のソニーは、何をする会社かわからなくなった」と言っていた。つまり、ソニーが創業時から強い競争力を持ってきた、「新しいものを一番につくる」という文化が、次第に薄まってしまったのだろう。
世界戦略には功もあれば「罪」もあった
大切なものを失ったソニーから人材が流出
出井氏は、コンテンツ部門などで実績を残し、後にCEOとなるハワード・ストリンガー氏を取り立てた。それと同時に、技術に詳しい中鉢氏を技術畑の取りまとめ役とした体制をつくった。
しかし、出井氏が敷いた国際企業としての拡大路線がメインとして踏襲され、モノ作りの重要性に対する認識は次第に希薄化していったようだ。それはこの時期、有能な技術者が何人もソニーを去った事実からも理解できる。
一度失ったものを取り戻すことは難しい。重要なポジションを担っていた技術者がいなくなると、その機能を他の人材に求めることは、もとより簡単なことではない。そうなると、「自分のやりたいことができない」と、さらに技術者が組織を去ってしまうケースもあったという。
それは、ソニーという企業がモノ作り以外の分野から多くの収益を上げている状況を考えると、当然の帰結と言わざるを得ない。
問題は、ソニーが創設者の井深大氏から受け継いできた技術者の好奇心から、「いつも、何か新しいものを一番につくる」という企業文化を見失ったことだ。
米国流の合理主義に基づいた事業部制では、プロフィットセンターの地位が高くなり、新しいモノをつくり出す開発部門はコストセンターとしての位置づけになる。そうなると、新製品開発部門の組織内における発言力は、低下する可能性が高い。
逆に、経営戦略論の観点から見ても、ソニーにとって最もコアとなる部分を希薄化して業務分野を拡大することは、必ずしも有効な戦略ではない。むしろ、収益性や効率性を重視するのであれば、重要なコア部分を再評価して再構築し、それに適合した事業分野を選んで、そこに経営資源を集中する方が有効な戦略と言える。
下から変えていくのは限界がある
わが国家電メーカーの「進むべき道」
あるベテランファンドマネジャーは、「
ソニーは開発のDNAが残っているうちに、モノ作りのカルチャーを取り戻すことを考えるべきだ」と言っていた。おそらく、彼の指摘は適切だろう。
iPodが出現する前にウォークマンを生み出した製品開発の遺伝子は、今でもソニーに残っているはずだ。その遺伝子を培養して、組織の「何か新しいものを一番につくる」というカルチャーを再生すればよい。
そうして、かつての成功体験に固執することなく、今はない新しいモノを生み出せばよい。それは、ソニーがその気になれば、決してできないことではないはずだ。
重要なポイントは、
企業の進む道は下からでは変えられないことだ。つまり、上=経営者から変えなければならない。下の人間がどれほど優れた技術を持っていても、あるいは新製品に関するアイディアを持っていても、それを具体化するのは経営者の役目なのである。
経営者自身が、実際の技術や製品などに関する高度な知識を持っている場合は別として、そうでない場合には、そうした技術や知識などを持っている下の人の意見を取り入れる度量を持つべきだ。
つまり、下の人材が思ったことを意見具申できる、いわゆる“風通しのよい”組織を、経営者自身が作ることが必要だ。
経営戦略に失敗したり、組織運営が上手く行かないことは、何もわが国企業に限ったことではない。米国でも欧州でも、いつでも同様のことが起こり得る。今をときめくアップルでさえ、スティーブ・ジョブズ氏亡き後、何が起きるかわからないのだから。企業の歴史とは、そういうものだろう。
=引用終わり=
「ものづくり」の企業なのに一番大事な“技術”の人材が流出してしまったら凋落するのは目に見えてますよね。
とは云え Made in Japan を応援したい私は敢えて盲目的にウォークマン購入してますけどもw
でね、ココからが一番云いたいところですが、SONYさんのこれらの話は何も他人事ではないと思います。
現にあまり詳しくは書けませんが某大手企業に任せていた案件を勝手に自らが“コケて”しまうので私たちのような中小の名も無い企業へお客様が
「任せて安心」
という理由で次々と採用してくれています。なので実績が出来て行くので尻上がりに業績が上がってしまいます。別に目新しい技術屋ではなくローテクな会社なのでアレですけどね。
また決して弊社の方が必ずしも安価と云う訳でも無いのに、お客様のとある担当者様が
「アソコの技術って現場に来ても何も知らないんだよ、自分ちの設備なのに」
と云われます。
その根源は上層部が「人を大事にしなかった」ツケ、或いは“3K”とか云って“手を汚す”仕事から逃げて来た「当時の若者=バ○ル世代」達が育たなかったからで、其処を再度各大手企業の上層部の方が真剣に見つめ直せば、また必ず復活出来ると経済の素人ですがそう強く思います。
と、勝手に想像しますが皆さんはどのように思われましたか?
Posted at 2012/03/21 12:02:30 |
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