冒頭から、すみません。
今回は良記事で、どうしても紹介したかったのですが時間無いのでコピペだけの手抜きです。
では以下に貼り付けますので是非お読み下さいませ。
(※無断転載のため、削除の依頼があれば応じます故、載っている間にお読み下さい)
廃油を洗う「第二のくまモン」
2014/8/19 7:00
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家庭から捨てられるてんぷら油を回収して、クルマの燃料にする──。
熊本市の女性経営者の10年に及ぶ執念が、「世界一」と言われる高品質の廃油燃料を
生み出した。
そして、熊本でこのエネルギーの利用が広まり、知事をして「第二のくまモン」と言わしめる。
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「絶対に壊れるから、やめてください」。自動車ディーラーは、そう悲鳴を上げた。
使用済みのてんぷら油を精製して、新車に入れる──。
「そんなことをするなら、定期点検は受けつけられない」。
そう言われても、星子文は頑として譲らなかった。
自らが経営する「自然と未来」(熊本市)が作り出す燃料は、軽油に匹敵する品質だと自負している。
最後はディーラーが根負けした。
すると星子は、廃油から作った燃料をタンクに入れて、白い車体に大きく
「BIO DIESEL FUEL(バイオディーゼル燃料)」という文字を書き込んだ。
それから2年が過ぎ、走行距離は2万キロメートルを超えた。
その間に故障することもなく、クルマは快調に走行を続けている。
その様子を見ていた自動車ディーラーの担当者は、こう漏らした。
「ぼくも入れてみようかな」
■環境大賞を総なめ
地元の熊本で、星子が作り出す燃料の利用が広がっている。
熊本市のゴミ収集車や私立大学のバスが、この燃料で走っている。
大手ゼネコンの建設現場の重機にも使用される。
そして地元のガソリンスタンドは、星子のバイオディーゼル燃料を軽油に5%混ぜた商品
を販売している。
きっかけは4年前のことだった。
創業したばかりの星子は、ガソリンスタンドを運営する東光石油の会長、石原靖也を訪ね、
バイオディーゼル燃料の効果を説いた。
家庭や飲食店で使用した食用油は、そのまま下水に流してしまう人が多い。
凝固剤を使って捨てたとしても、ゴミが出ることに変わりはない。だが、燃料に変えて使う
ことができれば、エネルギーを循環させることになる、と。
「それはいい。軽油をやめて、ぜんぶおたくの製品に変える」。
石原は星子の理念に賛同し、担当役員に導入するように指示した。
ところが、社内から強い反発がわき起こる。
「いらんことを会長にふき込まないでくれ」。
東光石油常務の川島博は、星子に会うなり、そう大声を上げた。
過去に、ガソリン代替燃料は多くの失敗を積み重ねてきた。
1990年代後半には、高濃度アルコール燃料「ガイアックス」が販売されて注目を集めたが、
性能面などで問題が指摘され、法規制の強化によって消えていった。
だが、星子はこれまでの代替燃料とはまったく違うと強調する。
ガイアックスは天然ガスという化石燃料を原料としていたが、バイオディーゼル燃料は菜種
や大豆などの植物を原料としたエタノールを利用している。
植物は生育段階で二酸化炭素(CO2)を吸収する。そのため、星子の作り出す燃料は、
環境省のカーボン・オフセットのクレジット制度にも認証されている。
製品の品質検査でも、驚異的な数値を叩き出している。JIS(日本工業規格)が定める
バイオディーゼル燃料の要求品質は26項目あるが、自然と未来の製品はすべての項目を軽く
クリアしている。
最も難しいとされるエステル分(燃焼効率を表すガソリンのオクタン価に相当)は、
基準の「96.5%以上」を達成するのに苦しむ企業が多い。
だが、星子は独自の精製ラインを進化させていき、99.8%という驚異的な数字を叩き出した。
そして、環境関連の受賞が続いている。
昨年7月、熊本県の「くまもと循環型社会賞」を受賞、続いて昨年12月には環境省から
地球温暖化防止活動で「環境大臣表彰」を受けた。
熊本県知事の蒲島郁夫は、星子に最初に会った時、不思議な印象を持ったという。
バリバリの企業家タイプではないが、美しい自然を残したいという思いで、周囲を巻き込んでいく。
「前例にとらわれずチャレンジしている。だから、“第二のくまモン”と呼んでいる」(蒲島)
東光石油の川島の考え方も、星子と接しているうちに正反対に振れた。
「若い人ほど、環境に対する意識が高い。クルマ離れが進む中で、従来の製品を売り続ける
よりも、バイオディーゼル燃料に切り替えた方が差別化を図れる」
そして昨年12月、東光石油はバイオディーゼル燃料の販売を開始した。
軽油販売をやめて、すべてバイオディーゼル燃料に切り替えることまで検討している。
星子がこの技術に出合ったのは、2002年、運送会社に勤務していた時のことだった。
燃料費の高騰によって、会社の収益が圧迫されていた。
そんな時、取引先が燃料を自社で作っていることを知った。
その業者が乗っていたクルマに近づくと、不思議な臭いが漂う。
それが、てんぷら油を精製したバイオディーゼル燃料だった。
「自然から作られたものが、循環して使われている。自分がやるべきことは、これだと思った」
早速、同じ機械を購入した。
そして、自社の運送用トラックを使って廃油を回収する。
だが、集まった廃油を、うまく精製できない。食用油といっても、菜種油やゴマ油など、様々な
種類がある。
しかも、天かすが残っていたり、水や調味料などの残留物が含まれていることもある。
結局、集めた廃油の状態を見極めて、必要な処理方法を考えていくしかなかった。
だから、星子の会社では、社員が機械につきっきりで、製品の状態を確認している。
集めた廃油は、まずタンクで寝かして物質の比重の違いで分離させる。その後、三価アルコール
のグリセリンを投入して汚れを落とす。
油の状況を見極めながら、多くの機械を組み合わせて、澱(おり)や残留物を少しずつ取り除いて
いくわけだ。
「人の手をかけて作り上げるしかない。菓子作りのようなもの」(星子)
■企業倒産の中で
だが、ようやく精製技術が確立されてきた2009年、思わぬ事態に見舞われる。
経営トップが道路交通法違反を起こしてしまう。
優良顧客が次々と去って、あっという間に倒産に追い込まれた。
取締役だった星子は、社員50人の再就職先を探す一方で、バイオディーゼル燃料の事業を
引き継ぐ会社を探して回った。
だが、「そんなビジネスで儲かるはずがない」と断られてしまう。
結局、自分で続けるしか道がなかった。
星子は運送会社の破綻処理を進める傍らで、企業を立ち上げることになる。
いざ本業として取り組むと、ライバル業者からの妨害に遭った。
10時間にわたって産業廃棄物業者に軟禁され、事業から手を引くように迫られたこともあった。
回収するドラム缶が、何度も盗まれる。
目の前で、廃油をポンプで抜き取られることもあった。
詰め寄ると、逆にこうすごまれた。
「油のどこに、おたくの名前が書いてあるんや」
「こういう荒くれ者がいる業界だとは思わなかった」
当初、星子は妨害行為を繰り返すライバルと正面から対峙した。
だが、話し合いで解決するような相手ではない。
■「油田」を作る
そこで星子は、同業者との対立にエネルギーを費やすことを止める。
そして、地域の住民や企業家に、自社の取り組みを説いて、味方を増やしていった。
町の小さな会合にも出向き、バイオディーゼル燃料について解説する。
そうして少しずつ賛同者を増やし、地域の廃油を1カ所に集めてもらい、回収していく。
「油田を作る」。
星子はそう表現する。
地域のエネルギーを、自分たちで作り出すことができるという意味を込めた言葉だ。
すると、妨害行為をする同業者から、地域の人々が守ってくれる。
ある時、廃油を盗もうとした業者を、地元の人たちが犬を連れて集まって、追い払った。
取り組みを知った地元の大学生たちが、自転車で訪ねてきたこともあった。
その学生が大学側に提案して、大学のバスにバイオディーゼル燃料が使用されるようになった。
今では、県内の多くの大学が、学食から出る廃油を提供している。
意義を語り、廃油回収と利用のネットワークを作り上げていく。
その広がりが、思わぬ効果を生み出した。人から人へ紹介されるうちに、熊本県最大級の
産廃業者、石坂グループ理事長の石坂孝光に会うことになる。
「なんでうちの重機にてんぷら油なんか入れて、実験台にされなあかんの」。
石坂はそう言って星子の要請を断った。それでも、何度も足を運ぶ。
「話を聞いているうちに、この取り組みが国益になるかもしれないと思うようになった」。
石坂はそう振り返る。
もの作りの中心地が中国などの新興国に移ろうとしている中で、日本は「高くても売れる製品」
を創り出していかなければならない。
そのためには、「環境」がキーワードになる。
石坂は星子の作るバイオディーゼル燃料を、産廃の現場で使うことを決めた。
「業界の大物」が味方につくと、ドラム缶の盗難がぴたりと止んだ。
会社設立から4年、すべてが順調に回り出したように見える。
売上高こそ、まだ1億円にも届かないが、この1年間、破竹の勢いで拡大を続けている。
昨年末にガソリンスタンドでの販売が始まり、今年5月には熊本市のゴミ処理場(クリーンセンター)
からも廃油を回収できるようになった。
品質もこの1年で飛躍的に向上している。
昨年、不純物を確実に取り除くために、製造ラインの最後に減圧蒸留装置を設置した。
減圧して沸点を下げることによって、不純物が気化せず、分別できる。
6時間近くかけて、データを取りながらゆっくりと蒸留していく。
廃油を処理して、正確に物質を分別することで、リサイクルの可能性が広がる。
減圧蒸留装置から出てくるどす黒い液体は「A重油代替燃料」として販売している。
廃油から取り出した天かすは、ドラム缶で回収して肥料にする。
グリセリンは今後、液体洗剤に加工して販売する計画だ。界面活性剤が入っていないことから、
そのまま下水に流しても環境負荷が少ない。
こうした施策を次々と実現し、環境大臣表彰まで受けた。
それでも星子は、何かに追われているように先を急ぐ。
「やりたいことが多すぎる。もっと時間がほしい」
星子を動かすもの。それを辿っていくと、幼少期の体験に突き当たる。
■失われた風景を求めて
1975年、熊本市で生まれた。
祖父は熊本市長を4期16年勤めた星子敏雄。
曽祖父の星子勇は日野重工業(現日野自動車)の専務としてディーゼル車の開発に携わった。
星子は生まれながらにして、骨がもろい難病を抱えていた。
小学校に通うこともままならず、病院で過ごす日々が続いた。
体調が悪化した日、看護婦のささやく声が聞こえた。
「あしたまで持つかしら」
このまま眠りにつくと、もう目が覚めないかもしれない。常に、死と隣り合わせの生活を送る。
体調が少し回復すると、祖父母が暮らす熊本県鹿本町の山村で養生生活を送った。
友だちもいない中、遊び相手は自然だった。
夏の夜、藁葺き屋根の家は、開け放たれたまま更けていく。
月明かりが、畑を緑色に照らし出す。川からホタルが集まり、蚊帳に泊まる。
その風景が、中学に入る頃、急速に色あせていった。
農薬散布の時間になると、町にサイレンが鳴り響き、
「窓を閉めるように」と放送が流れる。ガラス越しに外をながめると、真っ白い霧が田畑を覆っていく。
そして、セミの鳴き声が消えていった。
中学から学校に戻った星子は、短期大学を卒業すると大手飲料メーカーに就職した。
工場立ち上げに関わり、1カ月の残業時間は300時間を超えた。
そんな生活を長くは続けられず、2年半で退職した。
その直後、星子は久しぶりに祖父母と暮らした家に戻っている。
その時、町の風景はすっかり様変わりしていた。
それから、環境問題が世間で騒がれるたびに、気にかかっていた。
「でも、自分が何かできるとは思っていなかった。経済の中心にいる人たちが何とかしてくれる、と」。
しかし、いつまで経っても、良くなる兆しはない。
そんな時、バイオディーゼル燃料に出合う。
「これは偶然ではない。運命だと思う」。
星子は自分に言い聞かせるように、そう何度も繰り返す。だからだろう、考え得るすべてのことに
取り組み、達成しようとする。
今でも体に痛みが走ることがある。
すると、不安が頭をよぎる。
クルマをゆっくりと止めて、ハンドルを握ったまま呟く。
「時間がほしい」。
(編集委員 金田信一郎)
転載おしまい
こういう人が世の中を変えて行くのですねぇ。
今回の家庭用食用油もですが、世の中にある廃油を有効活用する意義は、とても素晴らしいし
『もったいない』精神で最も日本らしい良い技術だと思いました。
では感想短いですが、またの機会に。