http://toyokeizai.net/articles/-/12768
この記事、とても共感できましたので紹介しておきます。
ちょっと長めですので、御時間の有る時にでも読んで見て下さい。
尚、この記事に対する私の下手なコメントは「恥ずかしい」ので止しときますネ。
以下、転載
日本よ、グローバルを超えた先進国をめざせ
弱肉強食のグローバリズムでは、世界はもたない
中村繁夫
いきなり、古い話から始めたい。
1972年に開催された札幌オリンピックのときのことだ。日本は、スキーの70メートル級ジャンプ(今のノーマルヒル)で、金銀銅メダルを独占した。日本人が冬季オリンピックでは初めて表彰台を独占した。思い出すと、いまだに涙が出てくるくらいだ。以来、日本のジャンプ陣は日の丸飛行隊と呼ばれるようになった。
◆理不尽なルール変更は、常に起きるもの
98年の長野オリンピックでも、ラージヒル団体で金メダル、さらにラージヒル個人でも船木和喜選手が金メダルを獲得するなど、日本は大活躍だった。
ところがIOC(国際オリンピック委員会)はその後、スキーの長さ規制を検討した。長野五輪までは「身長+80cm」のスキーの使用が許されていたが、「選手の安全を考え、飛び過ぎを防ぐ」という理由で、長野五輪以降は「身長の146%」へと変更されたのだ。明らかに小柄な選手が多い日本人に、不利なルール改正であった。これ以来、日本のジャンプはメダルから遠のいてしまった。さみしい限りだが、グローバルなルール変更とは、こんなものだ。
経済界にも、同様の話はいくらでもある。BIS規制やIFRS(国際財務報告基準、国際会計基準)や信用格付け、そしてISOやコンプライアンスなども、風土も歴史も全く違う経済条件を国際基準(実際には米国基準に近い)のルールに合わせるための押し付けルールだ。いずれにせよ、欧米が中心になって、グローバル化を声高に唱え、勝手にルールを決めているのだ。
◆グローバル化という名の無理難題
特定の国家(例えば日本)の事情に不利に働いても、発言力がなければ、不平等ルールでも従うしかない。外交力(軍事力にも裏打ちされる)が不足している日本は、こうしたグローバルルールから誘導される不利な条件を、飲まされ続けているようにも見える。
だいたい、日本人は「グローバル化」と「国際化」を混同している人がまだ少なくない。グローバル化とは、「地球が一つになって平和になる」と思いがちだが、それは大きな間違いだ。国際化には、国家という観念が存在するが、グローバル化には国家を越えた地球化という観念しか存在しえない。
先の衆議院選挙ではTPP(環太平洋経済連携協定)問題が議論されたが、TPPも考え方は同じである。確かにTPPの国際ルールは議論と交渉で決定されるが、実際には各国の特殊事情に基づく個別ルール、すなわちローカルルールは、グローバリゼーションにはなじまない。いや、もっとはっきり言えば存在しえないといっても、過言ではない。技術論は別にして、日本という国家にとっては、TPPに組み入れられるよりも、個別の国家間でのFTA(自由貿易協定)を結ぶ方が、時間はかかっても危険性は少ないだろう。
だがFTAならうまくいくかというと、それも違う。韓国などは、米韓FTAで、米国の属国になったといっても過言ではない。日本に追い付き追い越すような経済性を優先した結果、安易に米韓FTAを結んだが、明らかに不平等条約となった。韓国の持っていた文化や制度までもFTAルールで蹂躙されているように見える。少なくともFTAの契約上では米国の奴隷だ。これがTPPになるとFTAよりも選択肢は狭まるから、日本の自主性はなくなるだろう。
しかも、そうしたグローバル時代にもかかわらず、日本の税制は中途半端で、自国民ばかり苦しめ、外国人にとっては美味しい税制になっている、と主張する友人がいる。
たとえば、我々資源ビジネスの競合相手は、外国から日本に支店を置いて日本市場に営業を仕掛けるグローバル企業である。彼らは多くの場合は「オフショアカンパニー」である。
ここでいうオフショアカンパニーとは、完全に租税回避をする企業を指す。彼らは日本で営業活動をしているが、企業税も所得税もほとんど払っていない。販売方法は海外から直接日本市場へ。外国籍の営業マンの給料は海外払いだ。日本に住んでいるが、住民票は海外にある。本社をケイマン島とかブリティッシュ・バージンアイランド(BVI)に置いている。つまり、タックスヘイブン(租税回避国)に設立された会社なのだが、サモア、アンギラ バハマ、ベリーズ パナマ、セイシェルなど数えればきりがない。
◆資源企業の多くはオフショアカンパニーである
そもそも、資源企業の多くはタックスヘイブンを利用している。具体的な例をあげよう。レアメタルや非鉄資源の採掘権を有する資源企業の多くは、オフショアに会社をもっている。オーストラリアやカナダなどの鉱山に出資しているグローバル企業は経営権を持っているが、その主要株主の多くは、租税回避国から出資しているケースが多い。実際シンガポールに本社をおいている多国籍企業も、たくみにオフショアを利用しながら、租税を回避しているような企業が多い。
日本の企業として、真に資源の安定供給を実現させるには、こうした企業とのグローバル競争に勝たなければならない。競争に勝って、資源の採掘権益を押さえない限り、日本の国益に資することはできないといえる。
つまり、総合商社の金属資源部門を、シンガポールに移転させた三菱商事のように、グローバル企業と戦えるだけの組織を整備しないことには、資源の安定確保は難しくなる一方なのだ。確かに日本政府の立場から言えば税収は表面的に落ちるかもしれない。だが、これからはグローバル企業と同じ最低限の税制メリットを持たない限り、チャンピオン企業を育てられない。また、日本の国益に合うだけの資源確保は実現できない、という判断も必要になってくるだろう。
◆交渉力とは知の戦いだ!
そもそも、戦略、戦術、戦闘を制するためには、基礎力を付けることが先決だ。交渉の場を経験することのない日本人は、外国に出るとビビッてしまって戦わずして負けるケースも多い。国際会議の席などでは、英語が良くわからないので議論にも入れないし何を聞かれてもニヤニヤ笑っているのが関の山である。
議論をするための経験の場が教育のカリキュラムにないから、土台無理な話である。G 20や国際フォーラムに参加しても、サロン文化に慣れていないから議論のサークルに入って行けないのだ。外務官僚ですら経験は豊富だが、日本の忖度文化が邪魔をするのか外国人の意見を配慮しすぎるから舐められてしまうのだ。
外交力や交渉力とは「知の戦い」だから、リーダーシップを持って常に有利に展開させなければ無駄である。中国人や韓国人はその点、言うべきことは言うが、なぜか日本人は人前で積極的にアピールすることを躊躇する傾向がある。繰返しになるが忖度文化や配慮文化は外国では通用しない。日本独特の風土の中だけの、仲間のうちに伝わる文化である。
◆日本はプラネティズムを世界に広めよ
東日本大震災の時に略奪や暴動もなく、日本人が整然と助け合う姿を見て、世界中から驚きの声が上がったことは記憶に新しい。
日本人同士が同じ価値観を共有して、個人よりも家族、家族とおなじくらい隣人や地域を大切にする「共生思想」は、日本人にとっては当たり前のことで、水や空気のようなものである。
ところが、相手を尊重し合うこれらの忖度文化は日本人同士なら成立しても、相手が異民族になると、ギクシャクしてしまう。日本の高い教育水準からみればISOやコンプライアンスなどはわざわざ横文字で言われなくても解っている小学校レベルの概念である。大人が子供を騙すときにわざわざ難解な言葉で誤魔化す程度の話ではないのか?逆に共生思想や忖度文化は、欧米人にとっては明確でなく、難易度が高くて理解が及ばないのかもしれない。
そこで、日本人に適合した新しい考え方を提案したい。
グローバリズムと良く似た言葉にプラネティズム(Planetism)がある。これは地球環境主義のことであるが、価値観の優先順位が個人利益<地域利益<国家利益<地球利益になるような共生社会を目指すという考え方である。
このプラネティズム思想を初めて提唱したのはダライ・ラマだ。明らかに人類の損益が共通するケースに、プラネティズムという概念が使われるのである。
たとえば、地球温暖化現象において特定の先進国が炭酸ガスの発生をいくら抑えても発展途上国が努力しなければ地球全体で見ると意味がない。逆に産業革命以来、好きなだけエネルギーを多消費してきた発展国が、今から発展しようとしている途上国に対して「エネルギーを使うな」という権利はないという見方も、当然ある。
こうしたケースの時、グローバリズムなら、地球上を一つの共同体とみなし一体化させる考え方のため、合意と契約で企業や発展国をコンプライアンスで縛り、さらには各国の文化を蹂躙しかねない。こうなると、各国のエゴが渦巻くG20の舞台では、何も解決できない。では、こうした複雑な問題をどう解決すべきか?
一つの思想や基準に統一する考えには無理がある。その点、プラネティズムはエゴを排して、お互いが尊重し合うという考えである。グローバリズムは、結局特定の国家が地球規模で特定のルールで縛りつけるが、プラネティズムはお互いの多様性を認め合ったうえでの協力」を通じ、地球全体を一体化していく、という考え方である。
日本はシンガポールも、アメリカにもなる必要はない。単なるグローバリズムを超えた先進国家として、日本的なプラネティズム思想を地球規模で広めていきたいものだ。