
紹介記事の著者は、多喜 義彦さん(システム・インテグレーション 代表取締役)
ですので、色々な経営者にお会いして居られます。
その中で、良い教訓悪い教訓を受けたそうで其れを分かり易く書かれています。
とても参考になるかと思いますので、とにかく記事の転載から。
リアル言えない大事
「身の丈、身の程」
この仕事をしていると、実に様々な人に出会う。しかも十人十色、個性あふれる人たちに会えるのだから、ありがたい(有難い)。しかし、多くの人に会えるのが有難いのではなく、その中で、槍のように突き刺さる教訓を与えてくれる人がいる。そして、そのような教訓にも、よい教訓もあるし、その逆もある。いずれにしても、私とっては得がたい教訓であるから、本当に有難いのである。
教訓も、大別すると二つある。一つは、そのようになりたいと精進したくなる教訓と、もう一つは、してはいけないと気付かされる教訓である。それを「反面教師的教訓」と言うことにするが、反面教師的教訓には、そう簡単に出会うことはない。しかし、出会ったならば、それこそが超レアで大事な教訓になるのである。
大体、人は自分の失敗や不都合なことは言わないものだ。第一、カッコ悪いし、後味の悪いことも多いので、そう簡単に喋ることはない。もっと言えば、「実は、こうしたから会社がつぶれた」とか、「こうすると嫌われる」などと教えてくれる人はいない。
さらに、これも長年の間に気付いたことだが、レアで大事な反面教師的教訓は、その本人自体も気付かないものだ。それは、無意識の内にある行動の結果であるからだ。また、周囲の人に気付かれないことも多い。なぜなら、その結果はほとんどよくないことなので、大らかに話すことではないからだ。つまり、反面教師的教訓は潜在的なものであり、そもそも出会うこと自体が稀(まれ)なのだ。
しかし、そのような場合に起こる事件は、そう簡単なことではない。会社の業績が低迷したり、リストラをしたり、争い事になったり、中には倒産したりする場合もある。だから、このようなとき、当事者や周辺の人たちは、嫌なことを早く忘れたいが故に、自分の口を封じて押し黙るのである。
◆反面教師的な教訓…
さて、変な言い方だが、私にとって一番、身に染みている反面教師的教訓とは何か。それは、「身の丈」と「身の程」である。私自身の経験から、ビジネスの世界には見えない規範のようなものが幾つかあり、そのひとつに、この「身の丈」と「身の程」があると思うからである。
そして、この身の丈や身の程を外す、あるいは外れた時に失敗や不都合が起こるのを、私は幾度となく目の当たりにしている。当事者が自身の身の丈や身の程をわきまえない場合に、事件が起こるのである。
言うまでもなく、身の丈とは背の高さという意味で、私が言う身の丈とは、企業の事業規模や体力など、およそ会社の持つ物理的なパワーということだ。そして、身の程とは、経営者自身の身分や能力などの程度、分際(ぶんざい)のことである。
今どき、身分や分際などという言葉は死語かもしれない。しかし、この身の丈、身の程を外したばかり、先に書いたような事態に陥ることが多いのだ。そして、それは紛れもない現実なのである。
私は、会社の売り上げや従業員の数をひたすら大きくしようとして、そのまま大きくなり続けている会社を見たことがない。「前年対比〇〇%成長しよう!」と言いながら、ずっと成長している企業があるなら教えて欲しい。
また、自身の経営能力を過信し、いや過信ならまだしも、把握すらできない経営者が、日本一だの世界一だの平気で言う、その気持ちが分からない。誰が見ても、成り得ない目標を掲げる、ある意味での傲慢さを見ると、目をそらしたくなるのは私だけだろうか…。
◆堅実な経営者は懸命である
逆に、「とにかく会社も社員もしっかりしていれば、それで幸せです」と言う、実に堅実な経営者は、多くの場合、会社を大きくすることより、中身を充実しようと懸命だ。
そのような経営者は、自身はいつも謙虚で、腰も低く、周囲の人に気を遣う。そして案外、そのような会社が着実に伸びているのである。
一体、誰が言ったか知らないが、何で会社の売り上げは伸び続けないといけないのか。右肩上がりの伸び方でなければ、経営者ではないと言った人もいるらしいが、本当に、その人自身はそうなっているのだろうか。
さあ、今までもこれかも、身の丈と身の程を自分自身で見極めようではないか。自分で決め、しっかりと努めるならば、それこそ誰にも迷惑を掛けることなく安泰だ。国も社会も企業も個人も、安泰であれば、それでよいではないか。
ところで、お前の身の丈と身の程はどのくらいか? その答えは簡単だ。実は、私は昔から「ウドの大木」と言われているのである。
確かに、私の身体はこれ以上大きくならないし、誰に迷惑を掛けてもいない。その意味で、身の丈も身の程も外してはいないが、さて、これを喜んでいいのだろうか…。
転載おしまい
経営者だけでなく、一般の社会人もあてはまるのではないでしょうか?
「○●が悪いから■□だ」とか、「▽▲だから△▼になるので云々カンヌン」とか。
文中にあるように
>いつも謙虚で、腰も低く、周囲の人に気を遣う。そして案外、そのような会社が着実に~
身分相応の振る舞いをもってすれば自ずと人となりが信用され、「あの人に任せておけば」
となるのが人情だと私は思います。
日本人が他国の人より優れていると云われるのは、個人ではなく共存共栄して皆が力を
合わせて他人事にせずに、自分の事として協力するからこそですよね。
で、これも人からの受け売りですが、「知能」や「知識」が高くても「知性」を伴わない人には
誰も着いて行かないですし、つまりは成功などしません。
「知性」とは、答えの無い答えを問い続け深慮する事で考えに深みを増す事だそうです。
つまり、惰性や多忙を理由に逃げて割り切って「楽になる」のは簡単です。
ですが、腹を決めて自らが決断すれば楽にはならないですが、知性は磨かれます。
動じない心を宿す為にはそうした鍛錬が必要になるということです。
もし貴方が、「自分は悟った」とか「お前らとは違う」などと穿った考えを持ってしまった時点で
残念な人に成り下がって御出でですのでお気をつけ遊ばし。
あ、これ誰か宛てに書いている訳ではありませんので勘違いなさらずに(苦笑)。
ではまた。
Posted at 2014/06/18 08:54:38 |
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