• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

silver☆foxのブログ一覧

2020年12月21日 イイね!

【紹介記事】全財産を使って外車買ったら、えらいことになった ~私見など

何はともあれ、まずは転載した記事をお読みください。



全財産を使って外車買ったら、えらいことになった


全財産の内訳は、大学生の時からベンチャー企業で10年間働いて、したたり落ちるスズメの涙を貯め込んだお金と。

こんなもん、もう一生書けへんわと思うくらいの熱量を打ち込んで書いた本の印税だ。

それらが一瞬にして、なくなった。


外車を買ったからだ。
運転免許もないのに。


「調子乗ってんなよお前」と思った人も、「どうせ“わたしのマネをすれば秒速で車が買えるんですよ”ってやばいビジネスに誘うんだろ」と思った人も、一旦、聞いてほしい。


わたしは、わたしなりに、誇らしい使い方をしたのだ。

あまりにも誇らしいので、一連の流れを12月6日放送の「サンデーステーション(テレビ朝日)」で取材してもらうことになったけど、時間が限られているTVでは、わたしの本当の思いが3分の1も伝わらず、ただ壊れるほど散財した女に見えるのではと心配している。


だから、一旦、聞いてほしい。



そもそも、誰のために外車を買ったかと言うと。



うちの母・岸田ひろ実のためだ。

12年前に大動脈解離というやばい病気にかかり、医龍みたいなやばい手術の後遺症で、下半身麻痺になった。

足がまったく動かないこと以外は、二度見されるほど元気だ。

しかし、手術直後は「歩けないならもう死にたい」と、病室のベッドでひたすら泣いている日々もあった。わたしも泣いた。

そんな母を元気にさせたのが「手だけで運転できる車」だった。そんな車があったんかいな、と二人で顔を見あわせた。

母は永遠(とわ)のように長いローンを組んで、ホンダの赤いフィットを手に入れた。

ブレーキとアクセルを、足で踏むんじゃなく、手で操作できるように改造してもらって。

車いすを一人で持ち上げ、後部座席に放り込むというゴリラのような所業を一ヶ月練習したのち、母はどこでもビュンビュンと車を走らせられるようになった。

だれかに手伝ってもらってばかりの母が、わたしや弟を学校や職場へ車で送ってくれたとき「ようやくわたしも、役に立てた」と嬉しそうだった。

ちなみに、ドヤ顔で運転する母の映像は、なぜか中国やタイやミャンマーで引くほど話題になった。ウケる。

さて。

車というのは、10年も乗っていれば、どこかしらガタが出る。

「そろそろ、乗り換える車を探さんとね」

母が言った。

「またフィットにする?」

「どうせやったら、一生に一度は、乗りたい車に乗りたいなあ」



乗りたい車に、乗りたい。


車いすに乗っている母と、知的障害のある弟がいる我が家は、たぶん他の家族より「選択肢の少ない生活」をしてきたと思う。

行けるお店も、通える学校も、着れる服も、少ないのだ。

車もそうだ。

裕福ではないわたしたちの予算で買えて(弟にいたっては稼ぎすらない)、改造ができ、駐車場におさまり、車いすを積み込め、乗り移りやすい高さの車を選んできた。

乗りたい車ではなく、消去法で、乗れる車を。



「乗りたい車といえば、あれしかないねえ」



わたしと母の脳裏に浮かぶのは、同じ車だった。

死んだ父・岸田浩二が、こよなく愛した、ボルボだ。


まだ足で立ってる母の隣で、ドヤりながら立っているように、ボルボは浩二のすべてだった。

父は、古いアパートの歴史や郷愁をうまく残しながら、リノベーションをするのが仕事だった。ドイツや北欧の建築に惚れ込んでいた。ボルボは、北欧生まれの外車だ。

阪神大震災で、みんなの家や車がバッキバキに壊れていくのを見て、「いざという時も、クソ頑丈で、乗っている家族を守れる車を選んだ」と、クソ頑丈なボルボに全信頼を寄せていた。

フルフラットになるシートに、弟とわたしを放り込み、神戸の田舎町からディズニーランドまで爆走してくれた。

「絶対にいらんて」と母から反対されながら別注で取り付けたサンルーフは、やはり一度も開けることがなかった。



そんな父は、15年前に、心筋梗塞で突然死した。

父の愛がこもったものを、そばに置いておきたかった。人生に迷ったとき、父が愛したものを見つめれば、背中を押されるような気がするからだ。



しかし、わたしたちは、ボルボを手放した。


父が設立した、建築会社をたたむための費用。高校受験をひかえたわたし。障害のある弟。専業主婦で、アルバイトの働き口しか見つからなかった母。

保険金でなんとか生活はできるが、余裕なんてない。



外車を車検に出し、維持するだけのお金がなかった。


ボルボより、優先すべき生活があった。仕方がないことだ。

だけど、ボルボを下取りに送り出すとき。
父との大切なものさえ、お金に買えてしまった気がして、苦しかった。

「いつかまた、ボルボに乗れるようになろうね」

母とわたしは、約束した。

いつか、立派な大人になって。お金を稼いで。ボルボを取り戻そうと。



ただし、それからすぐ、今度は母が病気でブッ倒れたので、正直言ってボルボどころではなく、生きているだけで精一杯の日々が続いた。



「それでも生きているうちに、一回は乗れたらいいな」と、ぼんやり思っていた。宝くじとか当たらんかな、って。



ボルボ V40が、生産中止になったと聞くまでは。


これは大事件である。

ボルボといえど車種はたくさんあるが、車いすの母が運転できるボルボは、一種類しかない。

人気のSUV型は座席が高く、車いすから乗り移れない。

セダン型なら乗れるが、V60とV90は、横幅がデカすぎて、普通の駐車場の幅では、車いすを横づけするだけのスペースがとれない。


つまり、岸田家の選択肢は、V40だけ!
そのV40が!
生産……中止……!??!?!?!?!?!


限りなく、サザエさんのエンディングテーマのフォーメーションで、近場のボルボ屋さんに駆け込んだ。

車いすの母、ノーメイクボッサボサの童顔娘、ダウン症の息子。

この三人がボロボロのフィットで店に乗り付け「V40まだありますか」と、食い気味に話すので、最初はあんまり相手にされなかった。お茶とか、なかなか出してもらえんかった。冷やかしだと思われてたはず。いやわたしかて、そう思うわ。

やがて必死のわれわれに気づいたのか、山内さんという店員さんが、親身になって話をしてくれた。

「V40が生産中止って本当ですか!?」

「はい、V40はもう残ってるだけしかなくて……うちはあと1台だけですね」

「ほ、本当にもう作らないんですか?」

「うーん、最近はこの大きさの車があまり売れないので……作らないと思います。他のメーカーも、続々と中止してますから」



生きてるうちにいつか、やない。
もう一生、ボルボに乗れんかもしれん。


「中古屋さんを探せば、まだあるかもしれませんが……」

「それが、前に一度、中古屋さんで買おうとしたら、車いすのための改造をするのがすごく大変で。部品の取り寄せとか、工場との連絡とか、正規のディーラーさんの方が安心ですよね」

母が渋い顔を見せた。
もちろん、ちゃんとやってくれる中古屋さんも、あるはずだ。
しかし、近くにたまたま信頼できるお店がなかった。



ちらっと、展示されている白いV40の値段を見た。

420万円と書いてあった。



買えんわ。




「V40はもうこの一台限りなので、399万円までお値下げしますよ!」



いや買えんわ。


貯金をかき集めても、足りない。

母は年収や他の支払いとの兼ね合いで、399万円のローンは組めない。

わたしはフリーランスになったばかりで、奨学金の返済もあり、東京で10万円の家賃すら保証会社の審査を通らなかった。



終わりやんけ。


なにか、なにかないのか。
一攫千金を狙えないか。

石油、温泉、埋蔵金、レアメタル、天然ガス。



「はっ!」


本の印税や。


9月末に、本を出版したじゃないか。車代全額に満たないが、人生ではじめて手にした、まとまったお金だ。



まだ振り込まれてないけど!!!!!!!!



「あのう、これからまとまったお金が手に入るんですけど」

わたしは、山内さんに伝えた。

「まとまったお金……?」

「はい。それと、貯金とあわせたら、ギリギリ足りそうです」

「えっ、まさか、キャッシュ一括ですか?」


「キャッシュ一括です」


店内の一角が、静かな騒然で満ちた。本当に大丈夫なのか、と母と山内さんに何度も聞き返されたけど、もうあとには引けなかった。

「無理したらあかんて。これからなにがあるかわからんねんから、大切に貯金してた方が……」

母がおろおろしながら言った。

「399万円を、くるかわからん非常事態のために置いとくより、いますぐ399万円分、家族が思いっきり楽しめる方がええ!今まで我慢してきてんから!お金はまた貯める!」



啖呵を切ったものの、いまだ手元にお金がないのに、気が大きくなっている一番あぶない人間のパターンである。
(実際、印税が振り込まれるまでにボルボが売れる可能性が高いので、とりあえず最小限のローンを組んでもらい、一括繰越返済するという手を打ってもらった)



わたしが家族からもらった愛や経験をエッセイにして、手に入れた印税だ。それならば、父の愛したボルボを買い戻す(つもりで新型を買い)、父のかわりに母を思い切り楽しませ、大好きな車で、胸をはって人生を謳歌できるほうが。

絶対にいい。

ほんまにやばくなっても、どうにかなる。そのためにいま、一生懸命、だれかを喜ばせることだけ考えて仕事をしとる。たぶん。知らんけど。



大喜びする母と弟を横目に、後日。

山内さんからこんな連絡があった。



「あのう、岸田さん。お母さまが運転できるように、ボルボを改造する件ですが」

「工場が決まりました?」

「いえ、それが……ボルボの運転席を、障害のある人用に改造するという実績が、国内でほとんどないらしく……工場で断られまして」



えっっっっっ。


「ボルボは運転席の配線系統が国産車と違うので、それがネックみたいです」

「嘘やろ……」

やっぱり、選択肢が少ない人生なんか。それは仕方ないんか。
そう思ったとき、山内さんが言った。

「でも、僕、車いすのお客様と取引させてもらうのが、初めてなんです。どうしても、岸田さんたちにV40を乗ってもらいたい。どうにかします」



どうにかしますとは。


えらいことになってしまった。

しかしその3日後、彼は本当にどうにかしてくれた。

「一社だけ、改造してくれる工場さんが見つかりました!」



なんと、ボルボを縦横無尽に運転して持っていき、わざわざ工場に直談判しに行ってくれたらしい。

山内……お前ってやつは……!


「うわあ〜っ!ありがとうございます!」

「それで、改造の費用が少し高くなるみたいなんですけど」

「いたしかたなし!(行政から10万円くらい補助もらえるし、余裕やろ)」



「52万円です!」


「ごっ……」

これが、貯金と印税と日銭を入れている、岸田の全財産口座だ!
一本、めずらしく雑誌にコラムを寄稿させてもらったおかげで、7万円残った……命拾いした……!(一週間後に家賃で消えた)



しかし、そんなお金への不安も、実際に工場を見学させてもらったら、吹っ飛んでいた。



唯一、改造を引き受けてくれた「ニッシン自動車工業関西」で、ボルボとご対面。

母が嬉しさのあまり「祈り」のポーズをとっている。





これ!!!!!

この板を取り付けるのが、大変だったらしいの!!!!

たかが板、されど板。

この板がないと、母は車いすから乗り移るときに、地面へスッテンコロリンしてしまう。つまり終わる。

配線が邪魔で、普通は取り付けられないこれを!
取り付けてくれたの!!!!!!



手で操作する、アクセルとブレーキも!ちゃんとある!



座席を倒せば、ゴリラみたいに、車いすも乗せられる!



母、感涙。


浩二、見とるか〜〜〜〜〜!!!!!!
あんたの代わりに、やったったぞ〜!!!!!!
みんなが味方してくれてるぞ〜〜!!!!!
浩二〜〜〜!!!!!!!
ボルボ売って、ごめんな〜〜〜!!!!!!!



改造を引き受けてくれた、山本雅尋社長が、またいい人で。

「改造って、大変じゃないですか?ボルボみたいに、車ごとにつくりも違うし」

って聞いてみたら。

「大変です。家に帰って、ご飯食べてるときも、お風呂に入ってるときも、ず〜っとどう改造したらいいかを考えています」

「そんなに大変なのに、どうして引き受けてくださったんですか?」

「ぼくも、父親の足が悪くてね。車に乗れるだけで、行動できる範囲もグッと広がるし、本人の楽しみも増えるじゃないですか。だから、こういう改造を引き受けてるんです」

大切な人を思ってひねり出した新しい仕事が、また別の、大切なだれかを幸せにしているのだ。すべては、人を思う気持ちから、はじまっている。

泣きそうになった。
この人がいなければ、わたしたちは、一生ずっと、夢を叶えられないままだった。

「一番改造が大変だった車ってなんですか?」

「フェラーリですね。あれは……すごかった…どこに器具つけるかめちゃくちゃ難しいのに、ちょっとでも傷つけると何千万円だし……怖かったなあ……」

そりゃ怖いわ。




改造を引き受けてくれた、ニッシン自動車工業関西さん。
工場を探して走り回ってくれた、ボルボの山内さん。
わたしの本やnoteを買ってくれたみなさん。
これを読んで、本当のことを知ってくれたみなさん。

大好きです。
みなさんのおかげで、ボルボがうちへ来ました。

いつか、あなたの街を走ります。
父の愛したボルボで。

そして、手に入れて、ようやくわかった。

父は、ボルボがほしかったんじゃなくて。

家族を楽しませたかったのだ。

そのためなら、お金なんて、いくら使っても惜しくはなかったのだ。
こだわることを、やめなかったのだ。


たぶん。



転載おしまい



タイトルだけ見た印象と、実際の文章では印象が随分と違いますよね。

いや、感動しましたし、最近、涙腺が弱いのでもう泣きそうになっています。

本当にイイ娘さんで、お母さんも幸せ者ですよね。



で、良い話の紹介はここまで。



あと、私が最近読んだ本のリストを列挙します。

・藤井 厳喜 翻訳(監修) 『 トランプの真実 』
・西野 亮廣 著     『 ゴミ人間 』
・北野 幸伯 著     『 日本の地政学 』



ま、どれも面白い内容ですのでオススメですが、色々な意味でいまは
キンコンの西野氏の本が速読できる人なら半時間掛からないくらいで
読めるので、一押しです。


皆さま大切な貴重な時間を費やすのですから、マイナスな面だけで
捉えてどうこうではなく、やはり大事なのは前を向くことではない
でしょうかね。


あと読んだ本のことで、何か書いても良いのですが、結局のところ
ポジショントークも面倒ですし、止しておきますね。


ではでは、寒さに負けず年末までがんばっていきましょう。
Posted at 2020/12/21 18:33:37 | トラックバック(0) | 感動 | 日記
2020年10月19日 イイね!

【紹介記事】大昔からスパイは暗躍してましたよというおはなし

昨日届いたメルマガが非常に興味深い内容でしたので
ご紹介させていただきます。




■■ Japan On the Globe(1187)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

地球史探訪: 技術窃盗で成功したソ連の原爆開発

「もしソ連のスパイ行為がこれほど成功していなかったら、米ソの冷戦はずっと恐怖の少ない道筋をたどったろう」
■転送歓迎■ R02.10.18

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

1.日本学術会議任命問題は菅政権の「疑似餌」?

 日本学術会議への6名の任命を菅政権が拒否したことに、メディアや左翼野党が批判の声を上げましたが、議論の矛先が日本学術会議の在り方そのものに向かうにつれ、もしかしたらこれは学術会議を改革の俎上(そじょう、まないたの上)に載せるための菅政権の「疑似餌」だったのかも、という気がしてきました。

 任命を拒否されたのが、政府の安保関連政策を批判した学者ばかりで、しかも拒否の理由は明確にしないのですから、左翼メディア・野党がいきり立つのも当然です。朝日新聞も10月3日付け社説で「学術会議人事 学問の自由 脅かす暴挙」と批判しました。

 そうこうしているうちに、学術会議が年間10億円余もの政府予算を使っていることが明らかになってきました。「本当に学問の自由を求めているなら、政府からの予算など貰わずに、独立した民営組織になれば」と言われたら、議論は一貫の終わりです。

 また、学術会議自体が学問の自由を抑圧していた事例も浮上しました。平成29(2017)年に発表した声明で、「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究」は事前に審査するとしました。この方針にしたがって北海道大学に圧力をかけ、「船が受ける水の抵抗を小さくする研究」での防衛装備庁からの研究助成金を辞退させています。

 一方で、学術会議は中国科学技術協会との間で、協力の覚書を交わしています。相互の研究者の交流、科学技術情報の共有を促進するためのものです。中国の科学技術研究はいつ軍事転用されてもおかしくないのですが、この覚書には「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究」は除く、との一節はありません。

 すなわち、学術会議は日本の安全保障に貢献する研究は抑圧し、中国の軍事力増強に協力することはやぶさかではない、という姿勢なのです。実は菅政権の真の狙いは、この辺にメスを入れて、学術会議を根本的に変革する事にあったのではないか、と思えるのです。この推測が正しければ、菅政権はかなり(良い意味での)「曲者(くせもの)」なのでは、と思えます。


2.FBI長官が訴えた中国の技術窃盗

 中国がアメリカの研究者を標的にして、研究成果を盗んでいる事に対して警告を発したのが、7月7日のクリストファー・レイFBI長官の演説でした。長官は、中国による1千件以上の知的財産窃盗をFBIが調査していることを述べ、そのいくつかの事例を上げています。[Wray]

 たとえば、中国籍でアメリカの永住権を持つホンジン・タンは中国の「千人計画」(中国が海外の研究者を高給で雇う制度)に応募し、彼が勤めているオクラホマの石油会社から10億ドル(約1050億円)超の価値を持つ機密情報を盗んで、逮捕・有罪宣告されています。

 中国の科学技術力の急速な成長の秘密には、このような技術窃盗があり、それを封じることが、対中冷戦に勝利する必要条件だ、という認識が、アメリカでは広まっています。

 アメリカが技術窃盗を防止しようとすれば、当然、共同研究や成果交流の多い日本の大学・研究機関にも、同様の防止策を求めるでしょう。今回の学術会議騒ぎには、そういう背景があったのかも知れません。


3.原爆開発をソ連に通報したチャーチル内閣秘書

 アメリカが技術窃盗に敏感なのは、米ソ冷戦時代の失敗があったからでしょう。ソ連の最初の原爆実験が行われたのは、1949年8月29日、アメリカから遅れること4年でしたが、アメリカ側の予測よりも数年も早い完成でした。ソ連側はアメリカの開発体制の中に何人もの工作員を潜入させて、大量の機密情報を入手していたのです。

 ソ連首脳部が最初に原爆開発計画について知ったのは1941年9月25日でした。第一報をもたらしたのは、チャーチル内閣の閣僚秘書を務めていたジョン・ケアンクロスでした。原爆開発は英国がアメリカより先に始動していました。ケアンクロスはイギリスの内閣秘書の立場で開発情報を入手し、ソ連に流していたのです。[山内]

 彼は1930年代後半のケンブリッジ在学中にソ連の諜報員にリクルートされた「五人組」の一人です。当時は、大恐慌による経済混乱で多くの知識人は「資本主義はもうだめだ、救いは共産主義しかない」と考えていました。また自由を圧殺するナチスのファシズムに対する反発から、巧みに「反ファシズム」のプロパガンダを打ち上げたソ連に心を寄せていました。


4.原爆開発の真っ只中にいた科学者スパイ

 イギリスの原爆開発に参画していた科学者の中にも、ソ連への情報提供をしていた人間がいました。ドイツからの亡命者で、イギリスに帰化した物理学者クラウス・フックスです。かつてはドイツ共産党員でした。

 1941年、フックスはイギリスの原爆開発に参加することになった後、自らソ連側にスパイとなることを申し出ました。1943年後半にはイギリス科学者派遣団の一員として、アメリカの原爆開発を増強するために送り込まれ、コロンビア大学で米側チームと一緒に働いていました。

 1944年8月にはアメリカの開発の中核ロスアラモス研究所に移り、理論研究部門に加わっています。フックスはこの間、ずっと機密の技術情報をソ連に流し続けたのです。

 大戦中のソ連工作員たちの本国との電文交信は、アメリカ陸軍とイギリスの情報機関が傍受していましたが、解読に成功したのは、戦後しばらくのことです。それがヴェノナ文書です。

 この解読によってフックスは、1948年末にイギリスの防諜機関MI5に尋問され、自白の結果、裁判にかけられて、スパイ罪によって有罪判決を受けました。9年間服役した後、共産国東ドイツに移って、核研究施設の所長になりました。[ヘインズ]

 原爆開発に関しては、他にも何人か、開発体制そのものの中に諜報員が入り込み、相当の機密情報がソ連に送られました。


5.「もしソ連のスパイ行為がこれほど成功していなかったら」

 こうしてソ連は、アメリカの予想よりも何年も早く原爆開発に成功しました。その結果を、[ヘインズ]の著者は、こう語っています。

__________
 もしソ連が一九四九年に核実験を成功させていなければ、あえて危険な冒険をしないスターリンが、一九五〇年に北朝鮮に多くの軍事手段を与えて韓国に侵攻するのにゴーサインを出したとは考えにくい。もしソ連に原爆がなければ、トルーマン大統領が「原爆使用」の脅しによって北朝鮮の侵略を阻止しようとすることを、スターリンは恐れたはずだ。
なんといっても、トルーマンは原爆開発が完了してすぐ、原爆をもたない日本との戦争を終えるために、躊躇なく二回も原爆を使用したのである。[ヘインズ、p40]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ソ連が原爆を持ってしまったために、アメリカが原爆を脅しに使えなくなったということです。さらにヘインズは、原爆の心理効果についても、こう述べています。

__________
 一九四九年にソ連が核実験を行ったとき、アメリカの国家指導層も一般アメリカ人も、あの残酷な独裁者ヨシフ・スターリンが、意のままに都市を破壊する力を手に入れたことを理解した。この認識が、冷戦の行方に大きな影響を与えた。・・・
もしソ連のスパイ行為がこれほど成功していなかったら、ソ連の原爆完成はスターリンの死後になったかもしれず、そうすれば米ソの冷戦はずっと恐怖の少ない道筋をたどったろう。[ヘインズ、p40]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

6.300人以上のソ連工作員が連邦政府に潜入していた

 原爆だけではありません。レーダー、無線技術、潜水艦、ジェットエンジン、航空機、合成ゴムなど、大量の技術情報を盗んでいました。首都ワシントンから北東60キロほどのボルチモアにはソ連の非合法駐在所があり、そこから科学技術関係の情報を撮ったマイクロフィルムがモスクワに送られていました。その量は1945年には1896本に達しました。[山内]

 当時のアメリカには300人以上の米国民あるいは永住権を持った外国人が、ソ連の工作員として潜伏しており、連邦政府のほぼすべての省庁に浸透していました。

 当時は、ソ連は「世界最初の労働者と農民の祖国」であり、そこに人類の未来があると多くの英米のインテリは信じていました。同時にソ連はナチス・ドイツと激戦を繰り広げる同盟国でした。そのソ連がまさかこれほど大規模に自国内にスパイを潜り込ませているとは、英米政府も想像だにしなかったのでしょう。

 アメリカがソ連の脅威をようやく認識し始めたのは、ソ連が東欧・中欧諸国を「鉄のカーテン」の内側に囲い始めた1946年からです。翌年には大統領令によって忠誠審査制度も導入して、共産党員を連邦政府に入れないようにしました。統一的な対外情報機関として中央情報局(CIA)も創設しました。

 1948年頃から50年代前半にかけて、マッカーシー上院議員などを中心に、「赤狩り」が進められました。これを「反共ヒステリー」などという批判もありますが、近年明らかになったソ連工作員の実態から見れば、的を射た政策でした。「反共ヒステリー」という批判自体が、ソ連側のプロパガンダ工作でしょう。


7.日本にも数百人規模の工作員・協力者

 ソ連による秘密工作では、潜在敵国であった日本も重要なターゲットでした。元朝日新聞記者・尾崎秀實(ほつみ)が、ドイツ人ソ連スパイ、リヒャルト・ゾルゲと連携し、日本と蒋介石政権を戦わせるよう、国内世論を誘導した工作がその一例です。[JOG(263)]

 戦後もソ連の浸透は続きました。ジャーナリストの肩書きで東京に駐在していたソ連の情報機関将校(KGB)レフチェンコが、アメリカ亡命の後に行った米議会での証言によると、東京だけでもソ連の情報将校が約50人、日本人協力者が約200人いる、との事です。後に判明した秘密文書研究でも、この情報はかなり裏付けられています。

[山内]では多くの日本人工作員のプロフィールを仮名で掲載していますが、一人だけ実名で登場します。自民党議員で元労働大臣の石田博英です。石田は日ソ友好議員連盟の会長を務めましたが、レフチェンコ証言ではこの連盟はそもそもソ連のアイデアであり、定期的にソ連から資金提供を受けていました。

 さらにソ連は日本社会党を「影響力のエージェント」として使うための作戦を1960年代に始めています。1970年にはソ連共産党政治局は、社会党のために10万ルーブルの助成金を支払うことを承認しています。今日の価値でいえば1億8千万円規模の秘密資金を、毎年送っていたようです。

 戦後の日米安保反対、改憲反対、反基地闘争など、ソ連を有利にさせる国内運動が、ソ連資金による「影響力のエージェント」によって煽られたようです。


8.知らないうちに自国を危うくする研究に利用されている恐れ

 現在は対中国の第二次冷戦が勃発しています。しかし、我が国の防諜体制は、ちょうど第二次大戦時のアメリカのように無防備そのものです。

 たとえば、『週刊新潮』10月22日号の特集記事「日本の科学技術を盗む『中国千人計画』」では、実際に中国に招聘された研究者が登場します。その一人、原子炉工学の権威、吉川榮和・京都大学名誉教授は、2008年から満洲地方のハルピン工程大学で教鞭をとりました。

__________
 研究室の部屋は三つあって、研究費は年間2000~3000万円、5年間で合わせて1億5000万円くらいでしょうか。予算にはすごく余裕がありましたね。月給は50万円ほど貰えましたが、、、、
[週刊新潮]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ハルピン工科大学は「国防7校」に指定されています。「軍民融合」が進む国で、「研究が軍事転用される恐れは感じなかったのか」と記者が尋ねると、吉川名誉教授はこう答えました。

__________
 すでに中国は核兵器を持っていますし、いまさら僕の専門技術で何かをする必要はないでしょう。それに研究成果はすべて論文にまとめて公表しています。[週刊新潮]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 しかし、月給50万円、研究費総額1億5000万円も支払うからには、何か中国側が求めているものがあるはずです。それが何かは教授は答えていません。この点を、軍事アナリスト小川和久氏は、次のように語っています。

__________
 インテリジェンスの世界では、研究者に怪しまれるような持ちかけはしないのが基本。中国の側も露骨に軍事利用するなどと言ったりはしません。むしろ自由に研究させて、中国は利用できるところを吸い上げていく。最後まで日本人研究者は気づかないままというケースもある。[週刊新潮]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 自分が知らないうちに自国を危うくする研究に利用されているかも知れない。インテリジェンス、諜報に疎い日本人には恐ろしい世界です。

「今、膝を屈すれば、私たちの子供の子供は、中国共産党のなすがままになっているかもしれない」ポンペオ米国務長官のスピーチの一節です。我々の子や孫にチベット人やウイグル人のような目に遭わせたくなかったら、我が国自身の科学技術で、そのような未来を創り上げてしまう愚を避けなければなりません。
(文責 伊勢雅臣)



転載おしまい



ネットで情報が採れる時代です。
なので、その中身が本当のことなのかは各個人の裁量に任されます。

先日の土曜日に散髪屋さんでかかっていたテレビ番組を観ていたら
近畿財務局の自殺された方を扱っていたのですが、根拠を示さずに
安倍前首相が何かしら関与しているような印象操作をしていました。

更に云うと管首相も責任があるような言い回しでした。

私のところへ読みに来てくれる奇特な方は、既にご存知の通りです
から敢えて ↑の安倍さんは関係ない件の説明は省きますけども
テレビしか見ないような人だったら信じてしまいます。

それと、同時に戦時中も含めて長きにわたって我々市井の人々は
彼らの思う壺だったのだと改めて考えたのと、これからの日本を
担う若者のためにもこれ以上誤った選択をしないようにしていき
たいと切に思います。

ホント、ネットが発達したのは或る意味 たいへん素晴らしい
ことですし、また、普段単純に便利になったなと感心している
様々な事柄の多くは元を正せば軍用技術の応用ですので、所謂
「 木を見て森を見ず 」 な貧困な発想ではなく、技術立国
として今後も日本の立ち位置を確保するならば将来を担うべく
未だ若い人たちの芽を摘むような老害にだけはならないように
気を付けたいなと。

ではでは、またの機会に。
Posted at 2020/10/19 13:20:40 | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2020年09月04日 イイね!

【紹介記事】安倍首相退陣に於ける世界の反応とか

今回は記事を2つ転載するので、流し読みでお願いします。

先ず一つ目は、『 【海外の反応】パンドラの憂鬱 』から


海外「安倍氏の辞任は世界の損失」
複数の米大手メディアが安倍総理辞任の悪影響を懸念


2012年の総理就任以来、80を超える国と地域を訪問するなど、
外交にも非常に力を入れていた安倍総理。
特にアメリカのトランプ大統領とは早くから蜜月関係を築き、
日本とアメリカの同盟関係を更に強化させました。

しかし、先月に安倍総理が辞任を発表。それを受けCNNは先日、
「安倍首相が辞任を決断したことにより、
 アジア太平洋地域の安定、そして日米同盟が脅かされる」
という内容の記事を投稿しました。

記事は「安倍首相は地域の安定の源であった」とし、
「日米同盟の確保と改善のために揺るぎない姿勢を貫いた」と評価。
「安倍首相が復帰する数年前、鳩山首相が率いる民主党政権下で、
日本は中国と緊密な関係を築こうとした事を忘れてはならない」
とした上で、「次の首相も安倍総理と同じくらい、
日米の同盟関係に献身的である事を期待するしかない」としています。

また、ウォール・ストリート・ジャーナル紙も同様の記事を掲載。
「日本の世界的な知名度を高めた」安倍総理が辞任する事で、
「過去最高にあった日米関係が台無しになる」可能性を指摘し、
「中国の拡張主義に対抗する取り組み」等に影響を与えるとしています。

上記のように、いずれの記事も安倍総理辞任後の日米関係や、
アジア太平洋地域の不安定化を懸念しています。

(反応コメントは中略)

基本的には、次に誰が日本の首相になったとしても、
日米の現在の関係性は継続されていくだろうという意見が主流でした。
なお、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は先月30日付の社説で、
「日本を正常な国にしようと改革に取り組んだ」安倍総理の辞任を、
「日本の損失」だと断じています。



転載おしまい



続いては、『ZAKZAK【ケント・ギルバート ニッポンの新常識】』の最新記事から



安倍首相、最大の功績は「外交・安全保障」
 次の総理にも「国益」を最優先できる人を


 安倍晋三首相は8月28日、突然辞任を表明した。
持病である「潰瘍性大腸炎」の悪化を理由に、重い決断を下した。
7年8カ月という長い年月、孤独なトップという立場で日本を率いて
きた事実に、まず感謝したい。

 これまで安倍首相には数回お会いしたことがあるが、
「非常に上品で、物事をはっきりと発言される方」という印象がある。
外国人である私にも友人のように接してくれ、人情味を感じたものだった。

 安倍首相の功績として、アベノミクスや雇用増も指摘されるが、
最大のものは外交・安全保障面だと思う。
民主党政権時代に悪化した日米関係、日中関係を再構築し、主要7カ国
首脳会議(G7サミット)でも指導力を発揮した。
世界が、その能力の高さを認めている。
辞任表明後に、各国首脳が発表したコメントをみれば一目瞭然だ。

 わがもの顔でアジア諸国に脅威を与えている中国に対し、安倍首相は
現実主義者として、日本が取るべき安全保障上のスタンスを考慮し、
対応してきた。
現在は、ドナルド・トランプ大統領率いる米国が何とか中国を食い
止めているが、元をたどれば安倍首相の功績が大きい。

 2016年11月、大統領選で勝利したトランプ氏の元をいち早く訪れ、
アジアの現状をこと細かく伝えたとされる。
日米同盟がより強固となった礎は、まさにこの行動力にあるといってもいい。
これまで中国の脅威に関心を示さなかった米国の考えを改めさせたのだ。

 トランプ氏は、中国に関税を課す前などには、安倍首相に相談したと
されており、厚い信頼を寄せていた数少ない人物でもある。
「自由主義のキーマン」でもあった安倍首相は、今後も国会議員として
活躍し続ける。
ぜひ、次期首相の良きアドバイザーとなってもらいたい。

 一方で、次期首相には、強い信念を持ってほしい。
チャンスが来たから立候補するような人物ではなく、
「強い日本をつくり、国益を最優先に考える」人物が就任しなければダメだ。
迫力があり、リーダーシップのある人物でなければならない。
新型コロナウイルスの影響で世界経済は危機的状況だけに、経済にも
強くなければ政権が長続きしない。

 日本の国益を考えたときに、優先的課題となるのは憲法改正だ。

 一部野党は「安倍政権下では憲法改正の議論はしない」と、うそぶいていた。
国会には憲法審査会が設置されている。
安倍首相が辞任する以上、議論を再開させる責任があるはずだ。
どうか国益を考えて、真剣に取り組んでもらいたい。


転載おしまい


わざわざ今回、この2つの記事を転載させてもらったのは、あの
松任谷由実さんに対して本当に酷いことを呟き、今でこそ謝罪に
至っていますが、その大学教授兼政治学者を、今まで擁護したり
物凄く偏った意見しか云わなかったのにも関わらず、また、
ご自身を知性がある前提で語りながら、攻撃的な態度で安倍政権を
貶していたのですが、大半のマスコミは松任谷由実さんへの暴言に
対してのみ反応して擁護など出来ないと云ってはいても、安倍政権
を地獄と表現する今までの彼の発言に対しては、表現の自由という
名の下に放置しているというか、なんなら擁護し同調していました。

で、日本のオールドメディアは普段なら世界ではどう報じているかと、
悪い発言の時は採り上げるくせに、今回の様に米国メディアでは
 “ 世界の損失 ” とまで云わせ、今までの歴代総理では、
これ以上ない誉め言葉で称えてくれている訳ですから、挙って
採り上げて世界ではこのように報じていると、伝えるべきではないか
と私は考えます。

ですが、一向にオールドメディアは報じないみたいなので、微力ながら
ココで採り上げさせて頂きました。

またケントさんの記事ですが、私が考えていることを全て記載して
下さっていたので、そのまま全文を転載させて頂きました。


ですので、皆様にも共有して頂きたく。


いや、ホントに首相だけでなく未曾有の状況に相応しい人事を
期待しています。

どうかどうか、親中政権にならないようにお願い致します。


では、またの機会に。




・【海外の反応】パンドラの憂鬱
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3561.html


・【ケント・ギルバート ニッポンの新常識】
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200904/pol2009040002-n1.html


Posted at 2020/09/04 12:27:17 | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2020年08月31日 イイね!

【紹介記事】安倍政権回顧…「米両院議会演説」など

安倍首相、お疲れさまでした。

オールドメディアや野党の一部議員は、未だおかしな発言を見聞きしますが、戦後最長総理大臣である上に、ご体調を崩されたのであれば、よくやったというのが生粋の日本人というか大和魂かなと、私なんかは思うのですが皆さんはどのようにお感じでしょうか。

さて、そこで今回紹介したい記事は安倍首相の功績を書いた記事を見つけたので紹介して終わります。

少し後述書きましたが、転載記事が長めなので割愛してくれて結構ですので。

それではまた。




安倍政権回顧、圧巻は韓国の反日宣伝を蹴散らした「米両院議会演説」
白川 司:国際政治評論家・翻訳家

経済・政治 DOL特別レポート
2020.8.30 5:17

安倍晋三首相は8月28日に辞任することを表明した。
2012年12月の第2次内閣の発足から7年8カ月という歴代最長政権を実現した安倍政権とは何だったのだろうか。
(国際政治評論家・翻訳家 白川 司)

自信に満ち溢れていた
第2次安倍政権

 首相として最後の会見は国民への陳謝で終わった。

 最長政権の終わりにしてはあまりにもあっけなかった。
たしかに週刊誌が「吐血した」「持病ががん化した」などと飛ばし、2度目の検査をするとわかると、テレビは「ポスト安倍」を語った。
マスコミはよほど安倍首相を辞めさせたいのか、滑稽なほど必死に見えた。
でも、同時に辞任説を打ち消す報道や主張もあって、8月28日午後5時に予定されていた会見には、もともとそれほどの特別感があったわけではない。

 だが、午後5時の会見前にマスコミ各社が「安倍首相が辞意を固める」という速報を打つと、またたく間に世界中で配信され、テレビも辞任報道にジャックされた。
辞任の速報とともに株価は暴落。
マーケットは安倍首相が日本経済に果たしてきた役目を正確に把握していた。

 中央銀行が国債や債券を大量に購入する金融緩和は今でこそ普通になったが、以前は禁忌とすら考えられていた。
その大転換をもたらしたのが安倍首相だった。

 2013年、日銀総裁に有力候補とはいいがたかった黒田東彦氏を抜擢した。
黒田総裁は「ハイパーインフレになる」「モラルハザードが起きる」など主張する“良識派”の声を押し切って異次元緩和に踏み切った。
為替は超円高から円安に反転し、株価も急上昇して、民主党時代の超円高放置で青息吐息だった日本経済は息を吹き返した。

 この頃の安倍首相は自信に満ち溢れていた。
薬で持病の潰瘍性大腸炎を抑え込むのに成功して、日本の首相としては異例なほど多忙な外交日程をこなした。
2013年9月のニューヨーク証券取引所での会合では「バイ・マイ・アベノミクス(私のアベノミクスは買いです)」と笑顔で決めた。
日本の株式市場にも外国から投資が集まった。

 2016年、アメリカで自国優先主義のトランプ政権が誕生すると、国際協調外交に邁進する安倍首相の存在感は更に増して、ドイツのメルケル首相とともに「リベラル派最後の砦」と語られることもあった。

 また、そのトランプ大統領が誕生して、最初に取り入ったのも安倍首相だった。
それを「みっともない」と評するメディアもあったが、一部のメディアは、日本の国益のためになりふり構わない安倍首相の姿を評価した。

 実際、トランプ大統領は安倍首相を全面的に信頼し、安倍首相は「頑固者のトランプ大統領を動かしうる唯一の国家首脳」として各国に頼られるようになり、外交力が弱いと言われ続けた日本が世界のハブになる突然変異をもたらした。

 安倍首相も精力的に各国から訪問を受け入れ、自らも訪問し続けて、アフリカや南米や中東や東欧など、これまで疎かにしてきた地域もケアしたことは、日本の世界における地位向上に寄与した。

 また、これらの地域は中国が一帯一路で経済支配を広げている地域でもある。
アメリカが内向きになっている今、中国の影響力拡大を阻止する観点からも、安倍外交の果たした役割は大きい。
外交の舞台に安倍首相がいなくなることは、一帯一路を通して世界覇権を狙っている中国を利する。

外交的勝利の最たるは
米議会両院での演説

 トランプ大統領との関係以外に、安倍首相はいくつかの外交的勝利をものにしているが、その最たるものが、2015年に行われた米議会上下両院合同会議での演説だろう。

 安倍外交は最初から好調だったわけではない。
それは韓国の朴槿恵大統領が、最初から安倍首相の敵に回ったからだ。
日本側からの交渉の申し出を鉄面皮ではねのけ、2013年の3月1日(3・1記念日)には、「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」と言って、中国とも協力して「告げ口外交」を繰り広げた。

 ただし、朴大統領の立場に立てば、この反日外交は理解できないことではない。
日韓併合を経たために、韓国産業は日本の縮小コピーのようになっていたからだ。

 つまり、韓国製品の多くが日本製品と競合しており、民主党政権のように円高を放置せず、円安に誘導して自国製品の競争力を高めるアベノミクスは、圧倒的なウォン安で輸出を伸ばしてきた韓国経済にとって害悪でしかないのである。
実際、アベノミクス以後、それまで韓国製品に席巻されてきた日本製品が、反転して韓国製品を駆逐しはじめた。

 朴大統領の反日外交の意図は、アベノミクスを安倍首相もろとも葬り去ろうとすることにあった。

 韓国初の女性大統領として各国は朴大統領を受け入れ、朴大統領は「日本は韓国を蹂躙してきた」「安倍首相はその歴史を改ざんしようとする歴史修正主義者だ」というプロパガンダをことあるごとに吹き込んだ。
そしてついに、「アベは右翼的な歴史修正主義者」と書くメディアが増えていったのである。

 だが、安倍首相は動じなかった。
心中は穏やかではなかったろうが、安倍首相は朴大統領に妥協せず、単に放置した。
これまでの首相なら、なんらかの交渉によってその動きを止めようとしただろうが、安倍首相はあえて何も反応しなかった。

 そして、安倍首相の地道な外交がやがて実を結び、安倍首相の人柄が知られるようになって評価が少しずつ高まると、朴大統領の主張は次第に色あせていった。

 勝負を決めたのが2015年4月にアメリカ両院合同議会においておこなわれた演説「希望の同盟へ」である。

 安倍首相は500人もの聴衆で2階席まで埋め尽くされている前で、英語で堂々と日米関係の歴史的なつながりの深さと日米同盟の重要性を訴えて、14回ものスタンディングオベーションを浴びた。
単なる外交儀礼を超えて、安倍晋三という政治家がアメリカ議会で信頼を勝ち取った瞬間だった。
もちろん、朴大統領がまき散らしてきた「歴史修正主義」のレッテルは軽く吹き飛んでしまった。

 2017年、朴大統領は中国に配慮して、それまでしぶってきた米軍の最新鋭迎撃システム「戦域高高度防衛ミサイル(THAAD)」の配備を受け入れた。
THAADは対北朝鮮ミサイル防衛とともに中国を監視する機能を併せ持っていたので、親中路線から親日米路線への大きな政策転換の証となった。
習近平主席の拡大路線は、日米韓の反中同盟によって徐々に阻まれて、中国は韓国に経済制裁を加えた。

 このときの朴大統領の路線変更が、不当な禁固刑を受ける原因となり、のちに反日左派の文在寅政権を登場させる一つのきっかけとなったことも否めない。
とはいえ、安倍首相の圧倒的な外交力のために、韓国の影響力は以前よりかなり小さくなり、反日運動が以前ほど効果を見せなくなっている点は評価すべきだろう(蛇足だが、そういう意味で、今回の安倍首相の辞任を最も喜んでいるのは韓国かもしれない)。

安全保障と内政で
2つの大きな成果

 安倍首相には悲願が3つあった。
憲法改正と北方領土問題の解決と北朝鮮拉致被害者の奪還である。
いずれも一つ果たせば政権の大きなレガシーとなるもので、それだけに難事業である。
7年8カ月の長期政権で、衆参で3分の2前後の議席を持ち続けながら、そのうちの一つも果たせなかったことは、返す返すも残念だ。

 ただし、安倍政権は安全保障と内政においても大きな成果をあげている点は強調しておきたい。

 一つは2015年の日米防衛協力ガイドライン改定である。
平時・有事・周辺事態でバラバラだった防衛協力体制を改めて、平時から緊急事態まで切れ目なく協力体制を構築したことだ。
また、それに合わせて、2016年に安保法制を成立させて、集団的自衛権が容認されるようになった。
この2つはワンセットで考えるべきだろう。

 南シナ海の人工島建設に成功して、次なるステップとして東シナ海進出を狙う中国にとって、この2つの政策は打撃となった。
なお、安保法制については野党やマスコミのプロパガンダによる妨害活動のすさまじさが記憶に残るが、ここでは省く。

 また安倍政権の内政でもう一つ特筆すべきは、経済拡大に伴い失業率が2%台の完全失業率に達すると同時に、女性活躍推進を強力に推し進めて労働人口を大幅に増やしたことだろう。
深刻な人手不足になる手前でなんとか持ちこたえたわけである。

 もちろん、非正規雇用の割合の高さ、子育て年齢での離職の高さ、女性管理職の割合の低さなどは大きな課題として残っているものの、政治主導で女性の社会進出を積極的に後押ししたことは功績と認めていいだろう。

 ただし、経済拡大と労働人口の増加で、経済について良循環が続いてきたにもかかわらず、2度の消費税増税によって自ら経済拡大を足踏みさせたことは痛恨だ。

 今年になって安倍内閣の支持率が大きく下がり、その原因として新型コロナウイルス対策の不備が指摘されることが多いが、私は昨年の消費税増税が真の原因だと考える。
というのは、2回目の増税が、2018年の経済停滞期に入った後のことだったために、経済の落ち込みに拍車をかけてしまったからである。

 新型コロナウイルスは消費税増税がもたらした経済停滞をだめ押しした可能性はあるが、安倍内閣が支持されなくなった真の原因ではないだろう。
日本の新型コロナウイルス対策は、渡航制限や自粛が徹底したものではなかったわりに、感染拡大の抑え込みは比較的うまくいっており、医療防具の配布や現金給付・無利子融資など大きな枠で行ったことで、かなり成功していると見ていいだろう。

 1度目の増税は民主党政権で決まっていたことだったので見送りは難しかっただろうが、2度目の増税はアメリカ経済紙のウォール・ストリート・ジャーナルも経済への打撃が大きいと否定的だった。
一度先送りしているのだから、今回も食い止めるべきではなかったのか。

 なお、新型コロナウイルスによる経済の落ち込みについては、経済優先にシフトしている官邸との対決姿勢を演出して自粛政策を繰り返す小池百合子都知事など、自粛派の責任のほうが大きいと考える。
小池知事にはただちに政策の転換を求めたい。

権力闘争を伴わない
次期総理選びの不安

 今回の辞任の理由は、2007年の第1次政権のときの理由と同じ、持病の潰瘍性大腸炎の悪化だった。
病気辞任が通常と違うのは、権力闘争が伴っていないことにある。
言い換えると、「次の強い候補」が育たないままでの交代となることだ。

 実際、第1次安倍政権の後は、福田康夫内閣(2007年9月~2008年8月)→麻生太郎内閣(2008年9月~2009年9月)→鳩山由紀夫内閣(2009年9月~2010年6月)→菅直人内閣(2010年6月~2011年9月)→野田佳彦内閣(2011年9月~2012年1月)と、すべて短命に終わっている。

 安倍首相を力で倒せる有力候補がいないままに交代劇が起こったために、力不足の内閣が続いたのだと考えられる。
結局、この状態は第2次安倍内閣が成立するまで続いた。

 今回もかなり状況は似ている。
安倍首相に取って代わる次が育たないままに交代しなければならないために、前回と同じような状況になる可能性がある。

 もちろん、私も新たな強い政治家の登場を期待したいが、もしまた短命内閣が続けば、その時は病気を克服した安倍首相による「第3次安倍内閣」が必要となるのかもしれない。

転載おしまい






ちょっと長かったのですが、端折れないといった方が適切だったと思いましたので。

テレビしか見ない人は、
「誰がやっても同じでしょ」
と、そもそも選挙に行っているかどうかも怪しいような人が大勢多数で、そんな視聴者に向けて全力で「森友」「加計」「桜を見る会」ばかり取り上げて、結局は怪しいという印象操作しか出て来ず、嘘つきの噂が絶えない人や問題を起こしてばかりいる人の言説を真に受けて、何も問題の無い安倍首相に悪魔の証明をさせようとするのですから、本当に悪質極まりない手法しか繰り返さないオールドメディアこそが悪の権化であり、今回、もっとも安倍首相を追い込んだ新型コロナウイルスですが、これも安倍首相の対応は他国と比較して、そんな批判されるような内容だったかと思います。

いつも思うのですが、誰も彼も全て結果論で批判していますが、実際に未曾有の状況ですので、安倍首相以上に適任者が居たとは思いにくいです。

というか、安倍首相以外に適任者が思い浮かばないというこの状況こそが最もヤバいということに気付いている人が何人くらいいらっしゃるのか・・・


いや、ホントそこが一番怖い部分ですけどね。
Posted at 2020/08/31 13:00:42 | トラックバック(0) | 雑感 | 日記
2020年08月05日 イイね!

【紹介記事】関ジャニ∞村上信五さんのことを感心したのでご紹介

いつものテイストと違いますが、私よりもお若いのにとても感心した
ので、そのまま転載します。

アイドルグループに属しているというだけで、馬鹿にされがちかと
思いますが、こういう方は恐らく何をされても上に行く方なのかな
という風にお見受けしましたので、興味ある方はぜひ。

それではまたの機会に。



以下、転載



関ジャニ∞村上信五さんが語る人間力の磨き方


2020年5月18日にフジテレビで放映された『関ジャニ∞クロニクルF』にて、
村上信五さんが「人生で最も影響を受けた本」として紹介した1冊――
それが『いまこそ、感性は力』(致知出版社刊)です。
この出来事を機縁に本書の著者である日本BE研究所所長・行徳哲男氏、
思風庵哲学研究所所長・芳村思風氏との鼎談が実現しました
(月刊『致知』2020年9月号掲載)。

村上さんが本書と出逢ったきっかけ、感銘を受けた言葉やエピソード。
村上さんがジャニーズに入った経緯、ジャニー喜多川氏との思い出、
不遇の時代を支えたもの。
さらには、いまなぜ感性が大事なのか、いかにして感性を磨くか、
コロナ禍を過ごす上で大切な心構えとは何か。
異色の組み合わせが織り成す人間学談義から学ぶものは多いでしょう。


ジャニーズ×『致知』 42年の歴史上初となるコラボ


「あっ、思風先生な!思風先生ええよな!」
「思風先生はこれもオススメですよ」

村上信五さんがテレビ番組の中で発したこのひと言がすべての始まりでした。

新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言の只中、フジテレビ
『関ジャニ∞クロニクルF』では、関ジャニ∞のメンバーがそれぞれ自宅から
リモート収録に臨むことに。
そこで「人生で最も影響を受けた本」というテーマが出されると、
大倉忠義さんが『人間の格』(芳村思風・著/致知出版社刊)を紹介。
すると、それに触発された村上さんが冒頭の言葉を発しながら、いまから
10年前に刊行した『いまこそ、感性は力』(行徳哲男、芳村思風・著/
致知出版社刊)を取り上げてくださったのです。

他のメンバーから「村上君、めっちゃ本読んでるからムズそう」
「信ちゃんは本多いから大変なんちゃう?」「家中に本あるらしいで」
「図書館やん」と言われていたことに加え、『いまこそ、感性は力』を
推薦されたことで、村上さんは日頃より読書を通じて、人生や仕事に
真剣に向き合っておられる方なのだと感銘を受けました。
ぜひ月刊『致知』にご登場いただきたいと思ったものの、同時に頭を
よぎったのは「ジャニーズ事務所とはこれまで全く縁がないし、うちは
芸能雑誌ではないから、断られるだろうな」という勝手な先入観、
諦めでした。

そんな矢先、行徳先生から連絡が入りました。
「自分の本を“人生で最も影響を受けた本”に選んでくれた村上君と
ぜひ対談をしたい」と。
行徳先生の強い要望に背中を押されるようにして、半ばダメ元で取材
依頼状をお送りしました。
すると、驚くべきことに、翌日すぐ担当マネジャーからお電話をいただき、
「歴史ある重厚な月刊誌に取り上げていただけるのは光栄です」と
ご快諾のお返事を頂戴したのです。

「いつの時代でも、人生にも仕事にも真剣に取り組んでいる人はいる。
そういう人たちの心の糧になる雑誌を創ろう」

この創刊理念のもと、昭和53年に産声をあげて以来、有名無名やジャンル
を問わず、各界各分野で一道を切り開いてこられた方々の貴重なご体験談
を掲載することで、人間学を探究してきた月刊『致知』。
このたび42年の歴史上初となるジャニーズタレントとのコラボレーション
となりました。


一流の人は普通の人

都内某ホテルの車寄せで待機していると、約束の時間より5分早く村上さんは
到着されました。
取材会場までご案内した際、村上さんに「よくお引き受けくださいましたね」
と正直に伝えたところ、
「何をおっしゃいますか、こちらこそ。ビックリしましたわ。
よくあんな番組チェックしてくださいましたね」
「まさかこのような形でお声掛けいただけるとは思いも寄らなかったので、
とても楽しみにしていました」と気さくに答えてくださいました。

初めてお目にかかった印象は、ものすごく自然体で、「俺は有名人だ」
という傲慢な感じが全くないということ。
ほんの数分の間お話ししただけで、非常に誠実なお人柄が伝わり、
すっかり魅了されてしまいました。
以前、世界的デザイナーのコシノジュンコさんが取材の際におっしゃって
いた「一流の人は普通の人」との言葉は、まさに至言であると感じた
瞬間でした。

行徳先生、87歳。芳村先生、78歳。村上さん、38歳。
80代、70代の先達と30代の人気アイドルとの忘年の交わり。
念願の初対面を果たした3人の語り合いは終始感動の連続で、笑いと学びの
尽きない、あっという間の2時間でした。

そこで語られた内容は、11ページに及ぶ鼎談記事として掲載されており、

「1冊の本が結んだ奇妙な縁」
「本を閉じ、目を閉じ、天を仰いだ箇所」
「こうしてジャニーズ人生がスタートした」
「感性に長けた人ジャニー喜多川との思い出」
「不遇のアイドル時代を支えたもの」
「44年前の12月4日すべてはそこから始まった」
「感性論哲学が生まれた驚きの背景」
「本音と実感を鍛え、『紛れもない私』を生きる」
「世界的プロゴルファー青木功が掴んだ『前後際断』の境地」
「コロナ禍の時代をどう生きるか」
「『もしも塾』の公演を萩で行った理由」
「人間の命が最も輝く瞬間とは」
「徹底的な『集中』、そして『狂』であれ」
「村上さんが感じている命の使いどころ」

など、仕事や人生を発展繁栄させるヒントに満ちた教えが凝縮しています。


村上信五流の読書法

村上さんといえば、フジテレビ系列での東京五輪メインキャスターに就任
したことをはじめ、歌手やバラエティータレント、俳優、司会者など
多方面で活躍されています。
また、先述の通り、読書家としても知られています。

そんな村上さんが『いまこそ、感性は力』と出逢ったきっかけは、友人から
の紹介でした。
飲食店を営んでいる友人が東京で事業に失敗し、広島の実家に戻る時、
親御さんの薦めで行徳先生と芳村先生の本を読み、すごく感銘を受けた
といいます。

いまから5~6年前、その友人の方から「村上君も一回読んでみぃ」と言われ、
送られてきたのが『人間の格』と『いまこそ、感性は力』だったのです。
その友人は村上さんより10歳ほど年上の方で、尊敬する友人からの薦め
なら素直に読んでみようと思ったそうです。

その当時の読後感について、次のように振り返っています。

「最初に読ませていただいた時はもう分からんことだらけでした。
なぜそもそもこの2冊なんだろうというのが正直な感想でしたし、
やっぱり哲学は難しいと。
そんな入り口で、分からない言葉はメモを取って調べながらだったんです
けれども、気がつくとスラスラと最後まで読み終えていました。
読んでいる途中で、一度本を閉じ、目を閉じ、天を仰ぎ、
“うわっ、なるほど”と噛み締める箇所がいくつかあったんです」

村上さんが思わず、一度本を閉じ、目を閉じ、天を仰ぎ、
「うわっ、なるほど」と噛み締めた箇所がこちら。

「その一つが森信三先生の言葉。
“人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、
一瞬遅すぎない時に”
これはもうスパーンと降りてきましたね。まさにきょうのことやないか
と思いながら(笑)」

村上さんは『いまこそ、感性は力』を読んで、どのような影響を
受けたのでしょうか。

「この本を拝読してから、物の捉え方や考え方が少し変わってきました。
学歴がなくてもいいんだと自信を得られたこともそうですし、たとえ世間の
見解と違ってもそこに迎合する必要はなくて、自分の感覚を大事にして
発言することに勇気を持てたんです。
年を重ねれば重ねるほど、知らないことばかりが増えていって、知らない
世界に触れれば触れるほど、以前は“学んでいかなきゃいけないんだ”
と捉えていたのが、いまは“一生学んでいけるんだ。
こんなに面白い世界があるんだ”と思えるようになりました」

本を読むことによって、自分と違う考え方に触れ、「ああ、そうか」
と気づき、その気づきに基づいて実践する。
この気づきと実践の積み重ねによって、人間力が磨かれていくことを、
村上さんは教えてくれています。
私たちも日々読書と実践を繰り返し、自分磨きに努めていきたいものです。


転載おしまい
Posted at 2020/08/05 08:08:42 | トラックバック(0) | 戯言 | 日記

プロフィール

「てか、代表や候補者が口々に訴える内容が、まんまクレムリンピラミッドのプロパガンダに載せられてしまっている政党が躍進したのが一番の懸念です。全部が全部、訴えている内容が悪い訳ではないからタチが悪いですね。ま、B層が多いから仕方ないですけど。」
何シテル?   07/20 23:10
【座右の銘】 賢者の信は、内は賢にして外は愚なり、 愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。 是は親鸞聖人の御言葉です。 【意味】 私たちはなかな...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

【私見】選択制夫婦別姓の件ですが一言だけ… 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/11/21 13:54:28
川内原発を止めないでください! 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/06/11 08:37:32
 
「保育園落ちた日本死ね」という悲痛な叫び 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/02/22 07:58:00

愛車一覧

日産 リーフ 日産 リーフ
2019年11月末に登録、納車は12月中頃。 天井も白色のXVセレクションというグレード ...
ホンダ PCX ホンダ PCX
前車(某イタリア車)はインマニが割れてしまい、しかもパーツの入荷に数ヶ月… とりあえず ...
日産 エクストレイル 日産 エクストレイル
2016年11月に登録、12月から乗り出して2019年11月まで。 自宅駐車場の兼ね合い ...
日産 スカイライン 日産 スカイライン
'11年1月31日納車。 たぶんノーマルで…今度こそ(汗)
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation