
自宅の🚾では“小”でも🚽座って用を足す、でゅわっちデス、こんばんは。
だっていつまでもキレイ✨に使いたいし、
掃除の手間が省ける←大事ぢゃない⁉︎
つい最近(と云っても数年前w)に初めて知った驚愕の
『“横断バッグ”は静岡限定&発祥だった』と云ふ事実・・・
で、Google先生に訊ねてみた。
フムフムどうやら静岡市に本部があり日本全国を支配しようと企んでいる模様。
(東京、神奈川、千葉、北海道 など展開ちう)
それは聞きづて成らぬッ!( ̄。 ̄ノ)ノ
今でこそ全国各地(?)で目にする横断バッグであるが、
でゅわサンがそれはそれは
幼気な小学生だった頃には既に存在していたハズ。
だって、持ってたモン( ̄▽ ̄)
駄菓子菓子、でゅわサンの記憶と何かビミョ〜に違う気がする・・・。
何なのだろうこの違和感。
勿論Google先生は其れにも答えてくれた。
でゅわサンが
とても可愛かった頃小学生だった時とはデザインが違う!
↑コレ!コレだよ!持ってたヤツ‼︎(と同型) レザー製(?)の黄色い縦長のバッグ。
ランドセルと黄色い帽子に横断バッグが通学時の出立ちだった。
現在では↓
オレンジで横長、ナイロン製。(ランドセルとの対比。これがデフォ)
静岡県では、小学校に入学すると、ランドセルのほかに「横断バッグ」という黄色いバッグを使う習慣があります。静岡以外の県ではほとんどないため、県外の人にこの話をすると、知らない人が多いことに驚くのだとか。実際にSNSなどを確認すると、横断バッグが静岡独自の文化だと知ってショックを受けた人も。この横断バッグ、一体どういったもので、いかにして静岡県民に浸透していったのでしょうか? 横断バッグを製造・販売している「横断バッグのミヤハラ.,」(株式会社宮原商店)の杉山さんに話を聞きました。
横断バッグは、「横断中」と書かれた横断標識と鮮やかで目立つ黄色が特徴です。このカラーリングには理由があり、「主な目的は通学時にクルマのドライバーに子どもの存在をアピールするため」とのこと。
横断バッグが生まれたのは1968年。自動車の数が急速に増え、交通事故の増加が問題となった時代でした。交通公園の創設がこの時期に多いのも、その理由のひとつです。宮原商店の初代社長・宮原敏夫さんには当時、小学校に通う長男がおり、毎日大通りを行き来する息子を心配に思っていたそう。
当時は安全のため、目立つ黄色い小旗を持って横断歩道を渡る運動がありましたが、敏夫さんはこれでは不十分だと感じたようで「みんながいつも旗を持っていられるようにするには、どうしたらよいか?」と考えます。そこで、横断マークのついた黄色いバッグを開発。横断バッグの始まりとなりました。「息子を安全に登下校させたい」という親心から生まれたんですね。
静岡県では、小学校に入学すると卒業するまでの6年間にわたってこのバッグを使うそうです。なお、素材はナイロンやレザーがあり、子どもが長く使うものなので耐久性も高く、撥水加工もされています。
で、何故にこのハナシになったかと云ふと、
先日この横断バッグの
超小っさいヤツをお客さんが持っていた。
当然そのような
ふざけたオモシロイ物を放っておくワケがありません。
先ずは検索。
あったあった♪どうやらAmazonで買えるようだ。
が発送まで1〜2ヶ月とか書いてある。だがそんなに待てない(ぉぃ
で、HPを発見。
『横断バッグのミヤハラ.,』
(´⊙ω⊙`)?この『
.,』なんだろ?
まぁいいや(いいんかいッ⁉︎
ふ〜ん、今は種類にサイズ、カラーも豊富でヒジョ〜にオモシロイ♪
お目当てのヤツはコレか?と速攻入手。
(後で知ったが市内でもあちこちで買えるらしい💧)
で、その
ミニ横断バッグがこちら↓
(実物はもっとオレンジ色)
BOSSとの対比でそのサイズがお解り頂けるだろうか?( ̄▽ ̄)
オリジナルサイズと同じナイロン製。
“まち”があるので多少の物は入るが、
ペンケースすら入らず、勿論 通学には使えない・・・
ステキ過ぎる♪(*´∇`*)
だが名前を書くトコロがないので、
(日本製って云ふかハンドメイドらしい 驚愕)
ちゃ〜こ〜されないようにしなくてわッ!( ≧∀≦)ニャハ
それでは、また。
Posted at 2020/10/04 01:35:26 | |
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