2016年07月01日
こんばんは。
テイルガンナーです(^^)
広島旅行ブログ3巻を打つ前に、ふと打ちたいと思う事があったので、これを打っています。
お題は最良。
自分が今まで乗った車で、一番何が最良だったか?
そう聞かれたら、何の車種を上げますか?
私は、このお題について、すんごく難しいと思っちゃうんです。
かつて自分が(全部買ったという訳ではないですよ。アウディとロードスター、ポルシェは買いましたが・・・)乗った車で印象が強かったのって
・アウディA3 1.8Tクワトロ
・BMW130i
・メルセデスベンツE320(W124)
・メルセデスベンツE500(W124)
・日産スカイラインGT-R(R32)
・ユーノスロードスター(NA)
・ポルシェ911(930)
・スバルサンバー(最終型)
が挙げれるかな。
仮に、運転したフィーリングとかの直感だけに訴えるものだけなら、俄然ポルシェを挙げますし。
(ただアナログ臭い空冷モデルのみ)
別に、もう走りとかどうでもいいし、実用って割り切れればE320を選びます。
(これだけは、実用車として悟りの境地みたいな車って印象を持った)
しかし、その時の人間関係(休日に人をよく乗せるか)とか、経済力(収入やランニングコスト)とか、はたまた勤務地の特性(通勤に使うor使わない 気候や距離)、休日の出かけ先(荷物を積める必要があるのか)とか
その時のライフバランスによって、チョイスする車は変わるんですよね。
恥ずかしい話ですが、日産に勤めてた際、最初はお金の関係から、すぐに営業車が買えず、営業はロードスターで回ってました(本当)
こん時は、初めてロードスターを売ろうかと思いましたもの。
荷物積めない、スーツ掛けれない、メモ取る場所すらない、乗り降り疲れる、市街地ばっかでMTやんなる・・・
自分としては、営業車には向かないなと心底思ったものです。
生きてると、環境って本当に変わる。
実は今のロードスターを選ぶ前、購入選考に残った車って
・トヨタランドクルーザー70ピックアップ(壊れない&ボロになっても味がある&今一番デザイン的にカッケェ)
・VWポロGTI(マルチに使える)
・ロードスター(オープン好き&予算的に出来とプライスのコスパが素晴らしい)
・E320 CDI アバンギャルド(燃費良い&使い勝手が最高&超くつろげる&鬼トルクでよく走る)
が残りました。
それぞれ乗りましたが、どれも良いとこ悪いとこがあって千差万別。
で自分が今置かれてる環境を考えて、熟慮した結果、ロードスターに至りました。
最終的に言うと「最良」とは、その時々で大きく変わる
そんな気がします。
とりとめないブログになりましたが、何かむしょうに打ちたくなったので、打ちました。
(ほとんど走り書きみたいな感じなので、読みづらかったらすいません)
今日のブログはこれで終わり♪
それではまた(^^)/
Posted at 2016/07/02 00:02:06 | |
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2016年06月29日
皆さん、こんばんは♪
追撃のテイルガンナーです(^^)
タイムラグがありましたが、今日のブログは、前回のブログの続きになります。
では、本編開始。
平和記念公園資料館を後にし、次に私達が向かったのは、マツダミュージアム♪
このミュージアム、私は知らなかったのですが、マツダ本社の敷地内にあるんですね~。
マツダ本社のロビーで受付を済ませ、待機。
そうしたら、構内移動用のバスが到着しました。
「ん?バス?」
敷地がとても広い為、ミュージアムに向かうのはバスで向かうらしいのです。
しばし、バスは構内を10分位走り、いざミュージアムに到着♪
まず、一通りマツダのカンパニーヒストリーをお勉強。
1920年に「東洋コルク工業」として設立、1931年に「マツダ号(オート三輪)」の生産を開始・・・
私は概要とか疎いので、「マジ?1931年からオート三輪作ってんの?戦前じゃん」
驚きましたね~(苦笑)
ある程度、ヒストリーをお勉強した後は、歴史展示コーナーへと移動します。
そしたら、やはりいました、T2000(笑)
しかも13尺タイプ。
木製の荷台も超キレイ、内装や外装共もはや新車(笑)
(ドリームジャンボ当たったら、フルレストアして乗りたい・・・)
危なく妄想の世界に浸るとこでした(爆)
他にも、ファミリアプレスト、R360クーペ、ルーチェロータリークーペ、私の好きな昭和カーがゴロゴロ(笑)
もちろん、初代ロードスターも展示されてましたよ。
友達が「○○が最近まで乗ってたヤツじゃねーか。もう歴史展示レベルの年式だぞ」
って突っ込まれましたっけ(苦笑)
他にはそうそう、787Bも展示されてました。
マジでぺっちゃんこなんですね(笑)
ある程度、歴史展示を終えると、今度は車が製作されていく、工程を見学しました。
実際に作られていくのを目の当たりにして、皆おおはじゃぎ。
これが見てて飽きないんですよね、意外にも(苦笑)
なんだかんだで、13:30からの見学ツアーでしたが、終わったのは15:00。
ミュージアムも面白かったのですが、結構敷地内を見れたのも面白かったです。
平和記念資料館を見学してから、マツダミュージアムに行ったので
「あの焼け野原から、マツダも復興して、皆が仕事をし始めて、町が立ち直ってったんだなぁ~。すげ~行動力だわ」
現在の広島の街を歩き、現在に生きる私も、将来を悲観せず、社会貢献していかなきゃとしみじみ思いました(真)
そんなこんなで、マツダ本社を後にし、私達は宿を取った「呉市」へと向かいました。
夜は居酒屋で「海軍カレー」と海鮮料理を食べつつ、お酒を飲み、そして宿に戻り、また酒を浴びます(ダメなアラサー達ですね)
こうして、初日は終了(笑)
次回は「3巻 現代から未来と」になります。
広島に行ってから、2週間位経ちますけど、気が向いた時にしかブログを打たないので、どうぞご了承下さいませ(苦笑)
次の3巻で、広島旅行ブログは終わりです。
ひょっこり、また載せますので、お暇な時にでも、見てやって下さいf(^^;)
今日のブログはこれで終わり。
それではまた(^^)/
Posted at 2016/06/29 19:11:36 | |
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2016年06月17日
こんばんは~♪
追撃のテイルガンナーです く(^^)
友達2人と私の3人で、6月14日、15日と1泊2日、広島(広島市、呉市)に旅行に行ってきました。
今日は、その旅行のブログです。
6月14日AM3:00・・
高速の早朝割引を使うべく、私達3人は既に、出発地点で合流していました。
一同、友達の車へ荷物を移し、出発です。
ナビに表示された距離と時間、片道約600キロ 到着時間9時30分(笑)
と、遠すぎるf(^^;)
「道中長いから、日常(アニメのDVD全13巻)を持ってきたぜ。見ながら行くか~」
ドライバーの友達がナイス過ぎる、差し入れを持ってきてくれてました(爆)
一同、日常を見つつ爆笑しながら、高速を西へと向かいます。
日常の6巻、7巻を見た辺りで・・・
「おっ、そろそろじゃね?」
広島に到着です。
まず、広島へ着いて思った事・・・
マツダ車が異様に、多い事多い事(爆)
お膝元なので、当たり前といえば当たり前なのですがf(^^;)
広島へ到着し、まず最初の目的地へと車は向かいます。
その目的地は、最近米大統領が訪れた「平和記念公園」。
今回、私が友達から広島旅行に誘われた際、「どっか行きたいとこあるかん?」
と聞かれて、真っ先に「平和記念公園」と答えまして・・・
そしたら友達も「おぉ、そこは俺も候補に入れたかったじゃんね」と(笑)
なんでかって?
このドライバーの友達と私は、同じ高校出身なのですが、修学旅行がですねぇ・・・
広島ではなく、岐阜でスキー合宿してたという、残念を極める高校出身だったんです(真)
なので・・・、人生で1度も、平和記念公園に行った事がなかったんですよ。
米大統領も行ったし、という軽率な理由では決してなく
「昔学校で習ったのは、終戦の年月、原爆投下の年月、文字だけの歴史。折角広島へ行くんなら、生で写真や当時の資料、音声等のアーカイブを見て、歴史を知る必要があるんじゃないのかな」
そう思ったからです。
コインパーキングへと車を駐車し、カンカン照りの中、一同目的地へと歩きます。
ふと、川沿いを歩くと、今まで教科書でしか見た事がなかった建造物が目に入りました。
えぇ、「建造物」で皆さんお察しの事でしょうね。
原爆ドームです。
友達が「平和記念公園行く前に見て行こうぜ」と一言、もち全員一致。
川沿いを歩くと、原爆投下直後の広島の街の写真がパネルで展示されていました。
私「ウソだら?何もない・・・山が真正面に見える・・・。ここが同じ場所だら?今こんなにビルも並んで栄えてるのに、信じられん・・・」
友達「だなぁ・・・」
過去の写真を一同見つつ、原爆ドームへ到着です。
全員が何も言葉にしませんでした。
70年前から、そこにあったというのが、ひしひしと伝わってきて、本当に言葉になりませんでした。
「1周してみるか」
そう友達が言い、木が生い茂る中、ぐるりと1周歩きます。
めちゃ暑い日差しの中、原爆ドームを見て
「これがこうなった日も、こんな日差しの、普通の日だったんだろうなぁ」
そう感じました。
また川沿いを歩き、今度は平和記念公園へと向かいます。
ある程度歩くと、白い床が出てきて、「あれ?この白い床って、よくテレビに映るあの床だよね」と気付いたら、えぇ、もう敷地に入ってました。
そうしたら、見えてきたんです。
そう、慰霊碑。
写真撮りたい衝動に駆られる位、とてもキレイな場所でした。
だけど「写真を撮る」のは心に止めました。
だってあれは、皆のお墓ですもんね。
友達も「これは撮りたい位いい景色だけど、やっぱ撮るべきじゃないよな」って言い、もう1人も「せやな。これは墓だからな」
皆思う事は同じでした。
15分位かな。
慰霊碑を前にし、少し皆景色を眺めてました。
この時私、滅茶苦茶恥ずかしいんですが、完全に目から「水」が溢れていました。
壊滅した街の写真、この場所、夏みたいな晴天、平和そのものの現代の街、慰霊碑・・・
この場所で12万人以上の方が亡くなった・・・今こんなに街が平和なのに。
そう思うと、もはや制御不能でした。
私が泣いてるのがバレてたんでしょう。
友達も声をかけてきませんでした。
しばらくし、3人が「ここは入るしかねぇ」と一致したのは・・・
えぇ、原爆の歴史展示がされてる、資料館です。
いざ入ると、被爆伝承者ボランティアのネームプレートを掲げた方がおり、「展示を見る前によかったら聞いてって下さい」と勧められました。
マツダミュージアムの予約時間の関係もあり、展示をゆっくり見ようと思っていた私達は、正直迷いました。
しかし「聞いて展示見るか」
聞く事に決定。
この被爆伝承ボランティアの方は、被爆された方がかなり高齢になってきてる方が多く、後世に語るべく、被爆された方に当時の話をお聞きし、私達に説明してくれるとう趣旨のボランティアの方でした。
いざ説明を聞き、3人共も皆真剣でしたね。
鼻をすする音、頬から手を払うしぐさ、皆それぞれクるものがりました。
40分位説明を聞き、いざ展示ホールへと、重い足を運びます。
そこには、写真、建物の一部、文字、色々な資料が並んでいました。
この時も誰も喋りませんでした。
ただただ、本当に起こった事の歴史に皆真剣でした。
この時、少し驚いた事がありました。
言い過ぎかもしれませんが、資料館の来客者の半数位は外国の方だったからです。
展示を見てる外国の方の様子を見てましたが、ハンカチで拭う人、展示を真剣な眼差しで見る人、カメラを撮る人は殆どおらず、私達と同じく、そこにある「歴史」に真剣でした。
次に行くマツダミュージアムの予約時間の関係から、やや早足で資料館を出る事になっちゃいましたが、本当に来れてよかったと思いました。
被爆伝承の方の説明、資料館の展示・・・それは教科書やテレビで「見る、聞く」ではなく、本当の自分の目、耳で感じれる事で、とても実感が沸いたからです。
資料館を出る前に、出口付近に感想を書くノートが設置されていました。
もちろん書きましたとも。
書いた内容な恥ずかしいのでナイショですが(^^;)
このノート、日本語だけでなく、色んな国の方の文字が書いてありました。
日本だけでなく、世界の人が訪れてるのを改めて実感しましたよ。
「本当に来れてよかった」心底そう思いました。
平和に対する考えとかは、長くなりましたし、敢えて書きません。
考え方は人それぞれ違いますし、私にリアルに会う方は、また感想でも聞いて下さいまし(笑)
「1巻 生でみる歴史」はこれにて終わりです。
「2巻 昭和から現代まで」は、みんカラらしく、車ネタです(苦笑)
もうお解かりでしょうね、マツダ本社&マツダミュージアムの話ですf(^^)
今文章のチェックしてますが、やばっ!!
超長いじゃん(汗)
ってか、そろそろウォーキング行かなきゃ、やば~!!(--;)
長文にお付き合い下さいました方々、目を通して頂きありがとうございました。
それではまた(^^)/
Posted at 2016/06/17 21:38:17 | |
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2016年06月11日
皆様、お久しぶりです♪
追撃のテイルガンナーです(^^)
今日のブログは、以前の「何シテル」にあげた、人生初めて好きになった「マツダ車」のお話。
それでは、脳内に残っているアーカイブを引っ張り出しまして・・・(汗)
その車を初めて見たのは、小学生の時。
その当時、夏になると、親がよく「くらがり渓谷」に連れてってくれていたんですね。
最初に見たのは、くらがり渓谷に行く際の道でした。
ふと、山や川がキレイだなぁと、景色を見てて・・・
旧額田町(現岡崎市)の山陰で休むように、ソレは止まっていました。
「あっ、アレ何?」
気付いたら、助手席にいた母親に聞いてました。
「あぁ、アレ?オート三輪よ。むかーしのトラックね。懐かしい車があるじゃない♪」
人生初めて見た、3輪の車。
思わず・・・
私:「アレ近くで見たい」
って口走ってまして・・・
母:「お父さんどうする?」
父:「○○(兄)はどうする?見たいかアレ?」
兄:「うん。見たい」
母:「まず見れるような車じゃないし、ちょっと寄ってきましょうかね」
父:「くらがりも、もう近いしな。ちょっと寄ってくか」
家族会議で、無事可決♪
脇道に入り、とってもキレイにされていた、ソレを私は山の中で見てました。
私:「コレ好きだなぁ(デザインを見て直感)」
兄:「こんなのあるんだなぁ~」
父:「お父さんとお母さんが、子供の頃はよく町で走ってたもんだ」
母:「お母さんが子供の頃、おじいちゃんが商売やっててコレ家にあったのよ。昔はお母さんも運転した事あるんだから。今度おじいちゃんと会った時に、オート三輪の事聞いてみなさい。きっと、色々昔の話をしてくれるわよ」
その車こそ、マツダT2000♪(荷台の長さ13尺)(サイズは後に調べて解りました)
その後、祖父に会い、色々聞きました。
「3輪故に小回りが利いて、山道が曲がりやすかったとか」
「うっかりハンドル切りすぎると、コけるとか(これは笑った)」
「昔は無免許で走れたとか」
「荷物積む所が、木でできてて、張替えがいるとか(穴が開く事にビビる)」
「○○(私)がオート三輪好きなら、とっといて乗せてやりゃよかったなぁ」
なんて事も言ってました。
当時の街の道路事情、長さも「尺」を時折使ってたとか、車も今みたくそこらじゅうに走ってなくて、電車の車両が多くて、電車の移動が多かっただとか、海もキレイで海水浴場に人が溢れていた事・・・オート3輪の事以外の「昔の話」も聞き、あの車は、もう何十年も「時代が変わっていくのを見てきたんだなぁ」
子供ながらに、そう思ったもんです。
話は現代に戻ります。
祖父が語った「昭和」の事。
それは、私が生まれる、うん十年前の時代の話でした。
当たり前ですが、今もその当時の風景は見る事ができません。
写真で見たとしても、それは「自分の目」じゃないんですよね(苦笑)
そう。
だからこれは「私が知らないメモリーズ」
来週、マツダミュージアムに行ってきます。
インターネットでT2000がある事は、既に調査済み(笑)
当時、T2000の新車がどんなにキレイだったのか?
それは、当時T2000が現役で走ってて、「生」で見た人しか解らない記憶。
さぁ、生で「当時の新車」を見てきますかね(笑)
祖父は去年他界しましたが、「お爺ちゃん、オート三輪の新車があったに~、これで仕事しとっただら~♪」
って、写真でも撮って、話ができたらよかったなぁ、なんて思いつつ、このブログを打ちました(笑)
今日のブログはこれでお終い♪
それではまた(^^)/
Posted at 2016/06/11 19:34:12 | |
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2016年06月02日
皆さん、こんにちは~♪
追撃のテイルガンナーです(°∀°)
今日のテーマは「親孝行」です♪
一昨日の事。
ある企業に履歴書を送った。
送った先は、某ポルシェセンターである。
たまたま、採用情報を見つけたので、送ってみた。
何で私が書類を送ったのかは理由がある。
正社員になりたいが為だ。
実を言えば私は、現在正社員ではなく、非正規雇用である。
最近の事、父親がガンになった。
よく父親が「お前この先仕事大丈夫か?」口癖のように言ってた。
6年前、母親は亡くなった。
その登場も、非正規だったので、母親も心配し、私が正社員になる前に亡くなった。
これで父親も亡くなったら、「何にも親に安心させてあげられないまま二人共亡くなったら、めっちゃ親不孝モノやん」
そう思ったからだ。
何でポルシェセンター受けたのかと言えば、6年位前に同じ会社を受け、2次面接で店長が「役員の即戦力しかいらない姿勢を崩せなかった、申し訳ない」で不採用となったのだ。
この当時、このポルシェセンターの採用には、目からウロコものだった。
私は新卒で入社した某不動産会社を1年ちょいで辞めているのだが、辞めた理由を、大多数の企業が、嫌な目(疑い)で見る所を、店長は面接で「地方の会社員は、都内で働くビジネスマンの現実を知らないんだ。私も元は都内にいたが、一部上場企業の不動産業の本社(都内エリア管轄)に勤めてたのなら、厳しさは想像に容易い。よく頑張った。」
労いを言われたのは初めてだった(苦笑)
この当時
店長「君の人柄やポルシェに対する愛情を見ると、入社してから3級整備の資格を取り、サービスフロント→サービス→セールスで30でセールスデビューのプロセスが良いだろう。君の場合、セールス気質はもう十分にある故、メカニック部分の知識をつければ、かなりの戦力となるだろう。このプランでどうかな?」
提示されたが、結果は冒頭の通り(苦笑)
しかし、書類の潜入感を持たずに、人間を見て判断するという姿勢に感動を覚えた。
今、メカニックの知識はあるか?と問われたら正直無い。
しかし、このポルシェセンターに縁がなかった間、日産に就職し、ディーラーマンとして自動車の販売を学んだ。トヨタ系物流企業で、正社員の代理を務めたり、某外資企業で、品質管理を学び、アメリカの方と簡単な会話をしながら仕事をしたりしてきた(これでも非正規である)
社会経験が無い訳ではない。
販売職以外でも、マネージャー業、教育トレーナー等々数々をこなしてきた。
正社員になったら、親が仮に容体が悪化したとしても、安心できるだろうと思う。
親不孝できる時は限られている。
早く安心させてあげたい。
そう思いながら、書類をポルシェセンターに送った。
もし、某ポルシェセンターで私を見かけたら、笑って下さいね(笑)
今日のブログはこれでおしまい。
それではまた(^^)/
Posted at 2016/06/02 14:12:54 | |
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