
日本人の好みなぞは世界的に見れば非常に特殊な部類で、日本人にしか分かり得ないもの。
海外メーカーが自らイメージを上げようと、日本人から見れば珍妙な広告を打てば打つほど、日本でのイメージは下がって行く。
フィエスタどうこう以前に、フォードというメーカーはマイナスイメージが強いのがこの国での実状。
ブランドイメージ構築に失敗している。
とはいえ、海外自動車メーカーが日本でのブランドイメージ構築に自ら成功させた事例はない。
何を言っているんだと思われるかもしれないが、実際、日本でブランドイメージの良い海外自動車メーカーなんてのは2種類にしか分類されなくて、「ヤナセが取り扱っている(もしくは取り扱っていた)メーカー」と、「玩具メーカーがスーパーカーと銘打って商品化していたクルマのメーカー」しかないのだ。
いずれにしても、それは日本の会社がやったことであって、海外の自動車メーカー自身がやったことではない。
また、ヤナセ100年の歴史でフォードの取り扱いがほぼ0であったことと、フォード車が玩具化される対象にほとんどならなかったのは事実である。
フォードというメーカーは世界で初めてグローバル化を進めたメーカーで、その販売についても世界中あらゆる国で自ら行うのがほぼ常である。
そしてそれがフォードが世界で成功した1つの理由であり、日本で失敗した1つの理由でもあるのだ。
日本でフォードが売れた事例は2つしかない。
1つはT型フォードで、これは単純に他メーカーがまだ自動車の量産化ができなかったがためにライバル不在だったがためで、日本だけでなく世界中で起きた現象。
もう1つは初代フェスティバ。
これはフォードが珍しくフォード車の販売を日本に任せてた時代のことで、その中で初めて日本の販社であるオートラマとマツダで企画、設計、製造された日本向けのフォード車だった。
初代フェスティバというのは、あの時代のあの価格帯のクルマにしては、スペースユーティリティに優れながらハンドリングも良く、燃費もそこそこ。悪くはないクルマなのだが、しかし、何故あそこまでブームになったのか、”フェスティバ キャンバストップ”が若い人達に大人気だと皆が認知するまでになったのかは、そのクルマだけ見ては理解できるものではない。
ただ、確かなのは、オートラマ主導で初めて創られたクルマであるフェスティバは、コケるわけにはいかない企画であって、広告費もふんだんに使われたことは事実である。
”意図的に作り出された流行”に安易に乗せられたあの時代にあっては、それが全てだとは言わないが、それが実体なのだろう。
ともあれあの時代、初代フェスティバが売れたことによって、同じクラスのフィエスタが日本に輸入されることはなかった。世界中でフィエスタというクルマが大いに売れて、知名度を上げる中、日本ではフィエスタの知名度が皆無の状態が続いた。
日本で沢山フォードを売るといって設立されたオートラマがあまりにもフォードのバッジを付けた安いマツダ車ばかり売るので、最後はフォードが怒ってオートラマを買収してしまった。
フォードが先代フィエスタを日本で売り始めたのがその後のこと。
先代フィエスタについては、テレビでコマーシャルが流されることすらなかった。
それこそよほどのマニア以外は、売られていたことにすら気付いていない。
フィエスタというクルマはリピーターが多い。少なくとも世界的に見ればそうなのだ。
あまり広告戦略は練らなくても前のモデルのオーナーが勝手に興味を持ち、勝手にディーラーに来る。
あとは試乗させてしまえばよい。それで勝手に気持ちよくなってくれて勝手に買ってくれる。
日本はフィエスタが広まる段階を経験しないままここまで来てしまっている。リピーターに頼ることができない。
ある意味、フィエスタの販売と知名度向上を重要な時期に阻害してしまったのは、初代フェスティバの1つの功罪なのだろう。
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2015/04/19 05:27:29