
前から気になっていた
瓦葺掛渡井跡へ行ってまいりました。(八代将軍、吉宗が新田開発のため伊沢弥惣衛為永に見沼代用水の開削を命じ、利根川から水を引き 全長60キロの代用水路を作る。
同時に 物資輸送の手段としても利用。
上尾市の瓦葺で綾瀬川の上を立体交差して 西縁用水、東縁用水にわかれて見沼の新田に送られた。)
1728年、綾瀬川の上に掛橋を設け その上を用水が流れる 掛樋(かけどい)式で完成。
(全長約50メートル、内幅7.2メートル、高さ1.8メートル)
1908年 レンガ作りのコンクリート水路橋に改修。
1961年 見沼代用水が綾瀬川の下をくぐる伏越(ふせごし)の形になり 現在に至る。
上空から見た画像で比較してみました。
左上が1960年まで利用されていた、レンガ式の水路橋(下は当時の資料)
右上は1961年の伏越式当時の画像(下は現在のレンガ跡)
現在のレンガ跡と近い位置の当時の画像(水土里デジタルアーカイブス様より)
伏越の上流側から
伏越は (逆)サイフォン式ですが、手前のゲート付近は 泡立つように荒れています。
最初のGoogle画像の右上部分。
当時の 上流(上画像) 下流(下画像) (水土里デジタルアーカイブス様より)
下流側は割と穏やかな水流です。
出てきた時から すでに西縁、東縁と分かれています。
最初のGoogle画像の左半分にあたります。
そのまま西縁沿いに下流方向にポタリングです。
県営大宮砂団地の少し手前で 一旦地下へ?潜ります。
その後、東大宮親水公園の下を通り 東大宮の大宮総合車両センターの手前で顔を出します。
目の前に陸橋が見えてきました。
陸橋を上って 下をみると、右方から左方へと 芝川が交差して流れています。
どうやらここでは 先程とは逆に
砂調節堰で芝川が見沼代用水西縁を
伏越しているようです。
左下が芝川上流、左上の右隅(右上の左側)にちょっとだけ見えてるのが伏越後の下流です。
その後、
東北本線で 行き止まりになってしまい、出戸橋 迂回です。

(左 上流から 右 下流から)
次は
東武アーバンパークラインでも行き止まりです。

(左 上流から 右 下流から)
踏切が無く 人通りもないので、夏草生え放題なので、その先しばらくジャングル状態。
途中、自転車前輪の空気が抜け、後半は 押しての移動となりましたが、
なんとか 無事 帰宅できました。
Posted at 2014/08/24 18:46:45 | |
トラックバック(0) |
風景 | 趣味