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りょうさいのブログ一覧

2010年05月09日 イイね!

寺尾地域城巡り 其の六 乗附城(寺尾上城)

寺尾地域城巡り 其の六 乗附城(寺尾上城)寺尾地域城の四つの城は、整備管理されていて分かり安いんですが、問題は最後に残った乗附(のっつけ)城。

縄張り図は、日本城郭大系に乗っていたんですが、場所が不明。
ネットで検索しても、地図や詳しいアクセスの方法が分かりません。

縄張り図の等高線と、地図を見比べて見当をつけ、高崎市立図書館にて高崎市史で確認したら、ビンゴでした。
登り道は、城の西に細い道が通っているので、其処から尾根沿いに進めば、高低差も少なく行けるだろうと判断し、此処からチャレンジする事にしました。

乗附城(寺尾上城)
応永4年(1397)に中城・下城と共に尹良親王によって築かれたと云う。
戦国時代に改修され、乗附治部左衛門・乗附囚獄ら乗附氏の城になった。

登り道

東から乗附城の南の道を行くと、左へ曲がるとのぞみの園に行く交差点があるので、其処に車を停め、民家の脇の道を進みます。
だんだん道が狭くなって来て、嫌な予感が…



目的の尾根に出る前に、とうとう道が無くなってしまいました(^▽^;)
仕方が無いので、此処から尾根へ登る事にしましたが、途中イバラがあって痛いし、草がスゴくて足場が悪いので最悪。
帰ったら、指にトゲが刺さってました。

い 郭其の壱

尾根に出たら、道が通っており、以外と快適に進む事が出来ました。
暫くすると、三角点があり、此処が一番西の郭だと分かります。
縄張り図だと、此の手前に二重堀切があるんですが、分かりませんでした。

ろ 本郭

本郭なんですが、中央の踏んづけ道以外はスゴい薮です。
写真じゃ何がなんだか、分かりませんね。
因みに乗附城には、案内板はおろか記念碑すら無く、全く忘れられた存在になってます。

は 堀切

本郭東の堀切ですが、此れも分かり辛い写真。
尾根沿いに造られた山城なので、郭と郭は堀切で切られてます。
ところで、戦国時代に此の城を改修したと云う、乗附囚獄って、スゴい名前…
漫画の悪役のようだ。

に 大堀切

城郭中央の大堀切。
此れによって、一城別郭が形成されています。

ほ 郭其の弐

東部分で一番高い所にある郭。
西部分が敵に占領された場合、此処が本郭の役目をしたのではないでしょうか。
北へ段郭がありますが、其処へ降りるほど僕はチャレンジャーじゃありませんでした(^▽^;)

へ 二重堀切

二重堀切なんですが、分かり辛いんで、黄色い線を入れてみたんですが、其れでも分かり辛いですね。
踏んづけ道は、一番東の郭からまだ先まで続いている様なので、麓からはちゃんと道で登れるのではないかと。

薮が酷い割には、見所がある城址ではないので、特にお勧めする様な城では無いです。
併し、自分で道を考えて登っていた事に、自己満足を覚えました(^_^)

参考文献:日本城郭大系4

本日は此れ切り。
Posted at 2010/05/09 19:09:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 寺尾地域城巡り | 旅行/地域
2010年05月08日 イイね!

寺尾地域城巡り 其の伍 寺尾中城

寺尾地域城巡り 其の伍 寺尾中城次に向かった寺尾中城は、現在観音山ファミリーパークと云う公園の一角に組み込まれてます。

観音山ファミリーパークは、幼児でも遊べる憩いのエリアと、ハイキングコースになっている癒しのエリアに分かれていて、寺尾中城は、癒しのエリア内にあります。

憩いのエリアは、子供が楽しめそうなので、今度娘と一緒に行ってみようかなあ。




寺尾中城
治承4年(1140)に新田義重が平家討伐の為に兵を集めたのが、此の寺尾城と云われる。
下って、南北朝時代の応永4年(1397)に尹良親王が、此処で北朝に対抗したと云う。

い 堀切其の壱

ハイキングコースに沿って進むと、すぐに案内板が立っていて、此処が搦手になります。
土居を挟んだ二重堀切になっていて、本郭に近い堀切は、竪堀になって谷へ落ちています。
一瞬、ハイキングコースの為に削られたのかと思ったんですが、背後の竪堀で遺構だと分かりました。

ろ 本郭

寺尾中城は、南北朝時代の築城のままなので、戦国時代の其れと比べると、各所に甘さがあります。
逆に言うと、少数で籠城する為に造られた縄張りなんでしょうね。

は 堀切其の弐

本郭と二の郭の間の堀切。

に 二の郭

二の郭は、二段になってますが、削平が甘く自然造形其のままって感じです。
此処で写真を撮ろうとしていたら、足下でカサカサと音がしたので、見たら蛇が居ました(^▽^;)
ハチ、マムシに注意の看板があったので、皆さん気をつけましょうね。
でも、僕は此の後、二の郭の薮へ突入して行きました。

ほ 堀切其の三

二の郭と三の郭の間に、小さな郭があり、両端が堀切で切られてます。

へ 土橋

三の郭と四の郭の間には土橋が。
両端が削られ、細〜くなってます。
結構怖い。

と 四の郭

今回、高崎市史の縄張り図を用意して行ったんですが、どうも案内板と違う…
高崎市史では、三の郭の北の物見郭で終わってるんですが、案内板は五の郭まであり、位置から考えて物見郭が四の郭の様です。

ち 五の郭

写真では撮らなかったんですが、四の郭と五の郭の間は、急なアップダウンがあり、結構きついです。
特に帰り道が大変だったので、大手から攻め上るのは至難でしょうね。

参考文献:日本城郭大系4、高崎市史 資料編3

本日は此れ切り。
Posted at 2010/05/08 23:59:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 寺尾地域城巡り | 旅行/地域
2010年05月07日 イイね!

寺尾地域城巡り 其の四 寺尾茶臼山城

寺尾地域城巡り 其の四 寺尾茶臼山城山名城と根小屋城で3時間を労し、次に向かったのは、城山団地のすぐ北にある寺尾茶臼山城。

航空写真で見たら、麓に駐車場があったので、此処に車を停めようと思っていたら、周辺は全て住民用の契約駐車場ばかり。
路駐禁止の看板もあるので、路駐も出来ず、結局南東に1kmほど離れた公民館に駐車して、とぼとぼ歩いて行きました。






寺尾茶臼山城
応永年間(1402頃)尹良親王が寺尾中城の堡塁として築いたと推定されているが、詳しい事はよく分からない。
茶臼山と云うのは、アイヌ語の砦を意味する「チャシ」が語源とされている。

遠景

城山団地の麓から見た茶臼山城。
山城ですが、そんなに高い山じゃないです。
こちら南面は、団地作成の為削られてますが、以前は峰が続いていたそうです。

い 堀切

本郭の南は、大堀切とも云っていい見事な堀切で、尾根を切ってます。

ろ 空堀

北から東にかけては、空堀が巡らされ、掘られた土を盛り土し、外側に帯郭が形成されてます。

は 坂虎口

帯郭の東中央は切られていて、空堀を土橋で渡り、此処本郭の坂虎口へと続きます。
寺尾茶臼山城は、最近地元の住民によって整備管理されるようになり、草も刈られてました。
真新しい案内板も設置されていて、こういうのが有ると非常に助かります。

に 本郭

本郭の西南部には、低土居があり、此れは此の先に高い山が有るので、其処から城内を見通されるのを防ぐ為だそうです。
日本城郭大系では、「平地の方形館を山上にあげた感がある」とありますが、確かにそんな感じです。

北を下って行くと、麓に木戸口があるそうですが、今回は止めときました。

参考文献:日本城郭大系4、高崎市史 資料編3

本日は此れ切り。
Posted at 2010/05/07 23:05:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 寺尾地域城巡り | 旅行/地域
2010年05月06日 イイね!

寺尾地域城巡り 其の参 根小屋城後編

寺尾地域城巡り 其の参 根小屋城後編ところで、此の根小屋城は、関八州古戦録、甲陽軍鑑と云った史料にも登場するんですが、実は当時「根小屋城」と呼ばれていた訳では無いそうです。
麓に根小屋村が有る為、江戸時代になってからそう呼ばれるようになったとか。
併し、現在、実際城址が有るのは、根小屋町ではなく山名町ですが。

其れと、他にも周辺に幾つも城が有るのに、わざわざ根小屋城を築いた理由としては、新しく服属した上野の豪族を監視するのが目的と考えられている様です。
故に根小屋城の城代は、より武田と縁が深い信濃衆が任に当たった訳です。

ち 空堀其の弐

本丸と北郭の間の空堀。
所々、畝かとも思われる箇所が見受けられます。

り 空堀其の三

「ち」の空堀の一カ所には、水が溜っており、当時は水堀の可能性を思わせます。
畝らしき箇所も、水を溜める為に作られたのかもしれませんね。

ぬ 竪堀其の弐

北郭の東の竪堀。
「る」の竪堀に合流します。

る 竪堀其の参

「ぬ」の竪堀から折れて、東に向かう竪堀。
竪堀から竪堀へ続くなんて…スゴい!

を 郭馬出し

本丸虎口に向かう途中には、郭馬出しが。
北条流の縄張りは何回か見てますが、武田流の縄張りは初めてですね。

わ 枡形虎口

雑木が生えているので、分かり辛いですが、本丸の枡形虎口です。
わずかに窪んでおり、右へ折れています。

か 坂虎口

本丸には西にも虎口が有り、坂虎口です。
下から登るには、結構急です。

よ 本丸

本丸と他の曲輪の高低差は、だいたい15mあり、本丸から下の郭がよく見渡せます。
先日、ネットのニュースで、根小屋城を長年ボランティアで草刈りをされている方が、高崎市から表彰されたと云う記事を見ました。
個人の善意で、城址を楽しませて頂いているのですね。
感謝です。

参考文献:日本城郭大系4、群馬の古城 西・南毛編

本日は此れ切り。
Posted at 2010/05/06 21:46:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | 寺尾地域城巡り | 旅行/地域
2010年05月05日 イイね!

寺尾地域城巡り 其の弐 根小屋城前編

寺尾地域城巡り 其の弐 根小屋城前編山名城の次は、尾根続きになってる根小屋城に向かいました。
山城ですが、ハイキングコースになってますし、きつい坂道も無いので、20分もあれば根小屋城へ着きます。
案内板も設置されているので、迷う事も無いでしょう。
山名城からですと、搦手から入る事になります。







根小屋城
永禄13年(1570)に武田信玄が、北条氏康への西上野の備えとして築城した。
望月甚八郎、伴野助十郎らが陣城したと云う。
また武田信玄が、財宝を根小屋城の尾根に隠した為、其処で足を踏むと空洞で音が響くと云う伝説が残る。

い 東郭と空堀

本丸は一番高い所に有り、其の周囲は空堀と郭で固められています。
東郭の堀切を挟んで西南に武者溜りがあります。

ろ 空堀其の壱

此れは、南側の空堀。
写真では分かり辛いですが、右が本丸でかなりの急斜面です。

は 土橋と空堀

本丸と二の丸の間の空堀には、土橋が。
此の空堀は、南北に延長すると、竪堀へと繋がって行きます。

に 二の丸

本丸の西は二の丸で、ツツジが邪魔ですが、北と西に土塁が盛られてます。
後で調べたら、北東に虎口が有るらしいです。

ほ 井戸跡

北郭の西、空堀の折れの近くに井戸跡が有ります。
今は、水は湧いてない様です。

へ 竪堀其の壱

根小屋城の見所の一つは、城の中心から放射状に伸びた竪堀では無いかと。
今の季節は、丁度ツツジが奇麗なんですが、遺構に見るには邪魔ですね。
下から立ち上がって来ると、「は」の空堀へと繋がる形になります。

と 北郭

案内板には、二の曲輪・腰曲輪とありましたが、「群馬の古城」の仮称に従い、北郭としました。(他の東・西・南郭も同様に仮称)
北郭から北は、複雑な作りと薮の為、訪問時持参した日本城郭大系の資料だけでは、見切れませんでした。
冬を待ち、再度来てみようかと思ってますが、其の時は高崎出身で前橋在住のあの人を道連れにしようかしらん。

続きは後編にて。

参考文献:日本城郭大系4、群馬の古城 西・南毛編

本日は此れ切り。

Posted at 2010/05/05 23:46:54 | コメント(3) | トラックバック(0) | 寺尾地域城巡り | 旅行/地域

プロフィール

「最近、みん友の皆さんにコメント出来なくてごめんなさいm(_ _)m」
何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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