
寺尾地域城の四つの城は、整備管理されていて分かり安いんですが、問題は最後に残った乗附(のっつけ)城。
縄張り図は、日本城郭大系に乗っていたんですが、場所が不明。
ネットで検索しても、地図や詳しいアクセスの方法が分かりません。
縄張り図の等高線と、地図を見比べて見当をつけ、高崎市立図書館にて高崎市史で確認したら、ビンゴでした。
登り道は、城の西に細い道が通っているので、其処から尾根沿いに進めば、高低差も少なく行けるだろうと判断し、此処からチャレンジする事にしました。
乗附城(寺尾上城)
応永4年(1397)に中城・下城と共に尹良親王によって築かれたと云う。
戦国時代に改修され、乗附治部左衛門・乗附囚獄ら乗附氏の城になった。
登り道

東から乗附城の南の道を行くと、左へ曲がるとのぞみの園に行く交差点があるので、其処に車を停め、民家の脇の道を進みます。
だんだん道が狭くなって来て、嫌な予感が…
薮

目的の尾根に出る前に、とうとう道が無くなってしまいました(^▽^;)
仕方が無いので、此処から尾根へ登る事にしましたが、途中イバラがあって痛いし、草がスゴくて足場が悪いので最悪。
帰ったら、指にトゲが刺さってました。
い 郭其の壱

尾根に出たら、道が通っており、以外と快適に進む事が出来ました。
暫くすると、三角点があり、此処が一番西の郭だと分かります。
縄張り図だと、此の手前に二重堀切があるんですが、分かりませんでした。
ろ 本郭

本郭なんですが、中央の踏んづけ道以外はスゴい薮です。
写真じゃ何がなんだか、分かりませんね。
因みに乗附城には、案内板はおろか記念碑すら無く、全く忘れられた存在になってます。
は 堀切

本郭東の堀切ですが、此れも分かり辛い写真。
尾根沿いに造られた山城なので、郭と郭は堀切で切られてます。
ところで、戦国時代に此の城を改修したと云う、乗附囚獄って、スゴい名前…
漫画の悪役のようだ。
に 大堀切

城郭中央の大堀切。
此れによって、一城別郭が形成されています。
ほ 郭其の弐

東部分で一番高い所にある郭。
西部分が敵に占領された場合、此処が本郭の役目をしたのではないでしょうか。
北へ段郭がありますが、其処へ降りるほど僕はチャレンジャーじゃありませんでした(^▽^;)
へ 二重堀切

二重堀切なんですが、分かり辛いんで、黄色い線を入れてみたんですが、其れでも分かり辛いですね。
踏んづけ道は、一番東の郭からまだ先まで続いている様なので、麓からはちゃんと道で登れるのではないかと。
薮が酷い割には、見所がある城址ではないので、特にお勧めする様な城では無いです。
併し、自分で道を考えて登っていた事に、自己満足を覚えました(^_^)
参考文献:日本城郭大系4
本日は此れ切り。
Posted at 2010/05/09 19:09:02 | |
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