本日の昼休憩一時間の
西尾市観光ドライブのランチは
コンビニの海老カツサンドと
明太マヨネ-ズのおにぎりで
お値段もカロリーもやや高め
やって来たのは日本人初
秋田県生まれの南極探検隊
白瀬 矗隊長の墓碑のある
愛知県西尾市の西林寺です
南極観測船“しらせ”をご存知だろうか
“ふじ” “そうや”に続く3代目“しらせ”
その“しらせ”の命名の
由来の人物と言われています
N-BOXはどうも境内に
迷い込んでしまったようです
この西林寺は住職もいない
小さな寂しいお寺です
この山門横の樹が鬱蒼と
茂った小径を奥に進むと
突然景色はひらけ
そこにモニュメント群と
白瀬隊長の墓碑が現れます
(簡単に来れる別ルートもあリました)
白瀬隊長のその華々しい
南極探検を終えた後半生は
借金返済(今の一億五千万円)
の為私財を投げ出し
地方を巡る講演活動は
苦難に満ちた旅の連続でした
完済するのに20余年もかかり
白瀬隊長は74歳になっていました
(南極の地図が描かれています)
白瀬隊長は転居を重ね最後は
西加茂郡挙母町(今の豊田市)の
間借りしていた鮮魚仕出し屋の
二階で近隣の住民の誰にも
白瀬隊長と知られることなく
腸閉塞で亡くなりました享年85歳
(初代しらせの4枚のスクリュ-の内の1枚)
残された白瀬隊長の妻やすは
白瀬隊長の遺骨とともに
ここ西林寺に転居、永住の地と
決め本籍も移したのです
やがて妻やすも亡くなり
二人の骨はここに埋葬されました
後にこれを知った吉良町役場が
付近を整備して白瀬隊長の
墓碑を建立したのです
なぜ秋田生まれの白瀬隊長の
墓碑がここ西尾市にあるか
分かっていただけたでしょうか
文字通り南極に生きて
南極に死んだ男
晩年の悲惨な生活にも
かかわらず白瀬隊長の
人生は決して不幸ではなかった
そう信じたいものです
最後に彼は見事に南極も
難局も乗り越えたと
付け加えておきましょう

(おまけ 南極観測船ふじの内部)
次回は国宝の
金蓮寺弥陀堂に続く
Posted at 2024/11/26 20:32:56 | |
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