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肉骨片(ニクコッペン)のブログ一覧

2024年11月27日 イイね!

社用車N-BOXで巡る西尾市観光(今川氏発祥の地編)





本日の昼休憩一時間の
西尾市観光ドライブのランチは
コンビニの海老マヨおにぎりと
タルタルフィッシュバーガーと
特茶です
(頑張れケルセチン)


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今川氏といえば戦国期に
駿河・遠江・三河を領し
桶狭間の戦いで織田信長に
討ち取られた今川義元が
思い出されるでしょう


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そんな戦国大名今川氏の
ルーツが実はここ西尾市に
あったというお話し


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今川氏発祥の碑は路地を進んだ
西尾中学校の南側にあります


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四角くフェンスに囲まれた
一角に石柱、石碑そして
今川了俊のお墓があります


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ここの住所は

西尾市今川町土居堀

かつてここには今川城が存在して
土塁やお堀もあったのでしょうが
今や見る影もありません


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今川了俊のお墓
何やら石碑の裏を読めば
南北朝時代に九州探題を
務めた武将として功が
あったというじゃない
そんなお方のお墓が

何故ここに?

今川氏の菩提寺なら
静岡にも東京にもあろうに
入れない理由でもあったのか?
分骨なのか?
疑問が残る所であります


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今川義元亡き後、家康と信玄の
駿河侵攻を受けて敗れ戦国大名
としての今川氏は滅亡します

あまり知られていない
ここ西尾が今川氏発祥の地で
あったと示す物はこの石柱と


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荘名の今川を名字とした名残りの
住所が信号標識板にあるだけです


Posted at 2024/11/28 21:27:48 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月26日 イイね!

社用車N-BOXで巡る西尾市観光(国宝金蓮寺弥陀堂編)





少々飽きられた感の出てきた
西尾観光ブログではありますが
もうしばらくお付き合い願います


本日の昼休憩一時間の
西尾市観光ドライブのランチは
コンビニのハムカツサンドと
ヘルシア緑茶です
(頑張れ茶カテキン)


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愛知県には現在、国宝の
建造物が三つありまして
一つ目はご存知、犬山城の天守
二つ目は犬山城の東側にある
茶室 如庵


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残りの一つがここ金蓮寺の
弥陀堂
愛知県内に残る最古の
木造建築物といわれています


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最初見て正直な感想
えっ!これが国宝ってか?
同じ国宝、中尊寺の金色堂と
比べて月とスッポンポン(いや失礼)
この案内が無ければ誰も
国宝とは気が付かないでしょう


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でもよくよく見てみれば
優美な曲線を描く桧皮葺の
屋根は美しく
(パンフレットにそう書いてある)


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静かな農村風景に溶けこみ
奇跡的に残された小さなお堂
(パンフレットにそう書いてある)
何となく品よく見えてくるから不思議


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作業着姿でパシャパシャ写真を
撮ってる白髪頭で鼻筋の通った
チョイとイイ男(自分で言うなって)
の私を見て本堂から
オッサン(私もオッサン)出てきて
「学術調査の方ですか?」
と聞かれるから
「ええ、まあ」と
いい加減な返事をするものだから
オッサン(私もオッサン)は
張り切って案内してくれます


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話を聞けばこの寺には住職はおらず
オッサン(私もオッサン)が
ボランティアで案内
管理をしているそうな

檀家も少なくなった昨今
国宝とはいえ法外な
拝観料を取る訳にはいかず
維持が大変との事とのこと


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拝観料の200円をちゃんと納め
お堂の中へと進みます
(手書きが泣かせるゼ)
ひとたびお堂の中に足を踏み込めば
鎌倉びとの祈りが現代人の
心にもとどきます
(パンフレットにそう書いてある)
確かに背筋がピンとしてきます


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「見事な小組格天井ですな、さぞかし
格式も高かったんでしょうね」と
尤もらしい事を言うエセ学芸員の私


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帰り際にオッサン(私もオッサン)に
「私は学芸員でもなくただのにわか
歴史好きなの」と打ち明けると
オッサンとオッサンが大笑い

オッサン(私もオッサン)との話が
弾み少々長居をしたものだから
帰社時間が10分遅れたのは
社長と総務にはナイショです(笑


次回、今川氏の発祥の地に続く



Posted at 2024/11/27 20:30:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月25日 イイね!

社用車N-BOXで巡る西尾市観光(白瀬 矗編)




本日の昼休憩一時間の
西尾市観光ドライブのランチは
コンビニの海老カツサンドと
明太マヨネ-ズのおにぎりで
お値段もカロリーもやや高め


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やって来たのは日本人初
秋田県生まれの南極探検隊
白瀬 矗隊長の墓碑のある
愛知県西尾市の西林寺です


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南極観測船“しらせ”をご存知だろうか
“ふじ” “そうや”に続く3代目“しらせ”
その“しらせ”の命名
由来の人物と言われています


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N-BOXはどうも境内に
迷い込んでしまったようです
この西林寺は住職もいない
小さな寂しいお寺です


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この山門横の樹が鬱蒼と
茂った小径を奥に進むと


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突然景色はひらけ
そこにモニュメント群と
白瀬隊長の墓碑が現れます
(簡単に来れる別ルートもあリました)


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白瀬隊長のその華々しい
南極探検を終えた後半生は
借金返済(今の一億五千万円)
の為私財を投げ出し
地方を巡る講演活動は
苦難に満ちた旅の連続でした
完済するのに20余年もかかり
白瀬隊長は74歳になっていました


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(南極の地図が描かれています)


白瀬隊長は転居を重ね最後は
西加茂郡挙母町(今の豊田市)の
間借りしていた鮮魚仕出し屋の
二階で近隣の住民の誰にも
白瀬隊長と知られることなく
腸閉塞で亡くなりました享年85歳


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(初代しらせの4枚のスクリュ-の内の1枚)


残された白瀬隊長の妻やすは
白瀬隊長の遺骨とともに
ここ西林寺に転居、永住の地と
決め本籍も移したのです


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やがて妻やすも亡くなり
二人の骨はここに埋葬されました
後にこれを知った吉良町役場が
付近を整備して白瀬隊長の
墓碑を建立したのです
なぜ秋田生まれの白瀬隊長の
墓碑がここ西尾市にあるか
分かっていただけたでしょうか


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文字通り南極に生きて
南極に死んだ男
晩年の悲惨な生活にも
かかわらず白瀬隊長の
人生は決して不幸ではなかった
そう信じたいものです

最後に彼は見事に南極も
難局も乗り越えたと
付け加えておきましょう


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(おまけ  南極観測船ふじの内部)


次回は国宝の
金蓮寺弥陀堂に続く



Posted at 2024/11/26 20:32:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月25日 イイね!

社用車N-BOXで巡る西尾市観光(尾崎士郎編)





吉良仁吉のお墓のある
源徳寺から程近くに福泉寺はあります


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この福泉寺に吉良町が生んだ
自伝的大河小説「人生劇場」が
ヒットして流行作家となった
尾崎士郎のお墓があります


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山門を抜けて進むと本堂の
横には作家らしくペンを模った
文学碑が立っています


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矢印の方向、本堂の左側に
尾崎士郎のお墓はあります


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お墓の形こそ変ですが
花が手向けられきっと尾崎士郎を
偲んで訪れる人も多くいるのでしょう


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尾崎は恋多き女、今風でいうと
飛んでるイケイケの"宇野千代”と
結婚して三番目の夫になります
このあと宇野千代はまた何度も
離婚と結婚を繰り返すのです


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尾崎はそんな千代と離婚後
以前からお付き合いしていた
“古賀清子”と再婚します

千代は後年
“一番好きだったのは尾崎”と言い
尾崎は“彼女が私の作家生活の
基礎を作り上げてくれた”と言う


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尾崎は後に結婚した清子との間に
長女 “一枝” を授かります
千代の小説「或る一人の女の話」
の主人公の名前が “一枝”
あったのは千代の尾崎に対する
敬慕の現れだったのでしょうか

尾崎にとって千代との7年間は
「人生劇場」青春篇第二幕
であったに違いありません

次回は日本人初の
南極探検隊員「白瀬矗」に続く




Posted at 2024/11/25 20:40:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月23日 イイね!

社用車N-BOXで巡る西尾市観光(吉良仁吉編)




本日の昼休憩一時間の
西尾市観光ドライブのランチは
フィレオフィッシュの昼マック


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やって来たのは源徳寺
あの義理と人情の男
吉良仁吉のお墓があります


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仁吉は幕末の侠客とありますが
侠客と任侠と博徒と渡世人と
暴力団とヤクザと反社の違いは
よく分かりませんが


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清水次郎長親分の
縄張り争いの助太刀に行って
銃弾に撃たれて
28歳の若さで亡くなった


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故人の御霊をお寺が弔うのは
至極当然と思いますが


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旧吉良町役場が
“義理と人情”
を前面に押し出して
美化しているのはどうよ?
確かに義理人情が薄れる
昨今とは思いますが
少々違和感を覚える私です


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清水次郎長が仁吉の一周忌に
建立したこのお墓の横には
仁吉が荒神山(抗争)に出かける際
祝い餅をついた臼があります


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本堂の中には仁吉の遺品の
三度笠も展示してあります

お控えなすって、お控えなすって
手前生国と発しまするは
三河の国、吉良でござんすと
仁義をきったのでしょうか?


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村田英雄の唄う“人生劇場”
(1959年発売)の一節に

吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように

とあります
次回は吉良仁吉から
小説“人生劇場”を代表作とする
作家の尾崎士郎に続くのだ


Posted at 2024/11/24 20:16:00 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記

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「[整備] #コペン 3度目のヘッドライトスチ―マ— https://minkara.carview.co.jp/userid/487121/car/413313/8345087/note.aspx
何シテル?   08/25 21:10
車好きのクソオヤジです。江戸時代であれば もうとっくに死んでいる頃です。 それが令和の現代では、週末に軽オ-プン乗り回し サッカ-までやってます。 お酒...
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