2022年12月07日
老いぼれサッカ-マンの私ですが
50年に渡るサッカ-人生で
PKを蹴ったのはたったの3度です。
だから今でもハッキリと憶えています。
一度目は高校2年生の時の
地区大会のPK戦。
一人目の熊谷君が外した二人目
当時、副キャプテンの私が思い切り
蹴ったボールは左ポストの外側を
かすめコートの外を転々としました。
転がるボールを拾いに行く
女子マネ-ジャ-に申し訳無く
思ったのを今でも忘れません。
結局、この二人が外して次の試合に
進むことはできませんでした。
二度目はそれから4年後の市民リ-グ。
当時、大学生の私が0:1で負けてた
試合の同点を狙うPKでした。
ボ-ルをセットする私の背中越しに
相手チームからキ-パ-に向かって
“頼むから止めてくれ”の激が飛ぶ。
思い切り蹴ったボールは左ポストを
大きく逸れてまたもや失敗して
その試合は負けてしまいました。
以後、PK失敗は私のトラウマとなり
30年間、封印されました。
三度目に訪れたのはシニアリ-グ。
ディフェンスの私がサイドラインを
駆け上がり中央に切り込む後ろから
引っ掛けられ転倒して得たPKです。
すごすごとポジションに戻る私に
周りが “お前が蹴ろ” と言うから
キ-パ-と対峙し僅かな助走で
軸足を左に向けて右インサイドで
右隅に軽く流し込みました。
これが人生唯一、成功したPKです。
ただ力任せに蹴るんじゃなくって
頭を使うまでに30年かかりました。
PKなんて実はしごく単純なもので
成功するには二つの方法があります。
一つはキーパ-の手の届かない
左右両サイドの上に蹴り込む方法と
二つ目はキ-パ-の飛ぶ反対側に
蹴ることです。
南野、三苫、吉田ほどの
一流の選手であればそれぐらい
容易いことなのにできなかった。
なぜか?
それはキンチョ-したからです。
外したらどうしようの
キョ-フ感もあったでしょう。
草サッカ-の私とワールドカップと
同じに語るのはオコガマシイですが
PKはとてもキンチョ-するものです。
PKマークからゴールまでの11mが
とても遠く感じ、ゴールマウスは小さく
キーパ-は大きく見え
どこに蹴っても取られる気になります。
日本の期待と日の丸を背負い
ましてやこのPK戦を制すれば
初のベストエイト進出。もうそこに
新しい景色が見えかけている。
そんな彼らのキンチョ-とキョ-フは
想像を絶するものだったでしょう。
私ならとうに逃げ出しています。
でも彼らは勇気を持って蹴りました。
何も恥ずることはありません。
私もこれからPKのチャンスには
蹴ります。そして外した時は
笑ってこう言い訳するでしょう。
“彼らだって外したじゃん”と。
Posted at 2022/12/07 19:02:50 | |
トラックバック(0) | 日記