思い出しますね。80年代初期に“HY戦争”とまで呼ばれた、ホンダとヤマハ両社の威信と物量を掛けた物凄い戦いを!
1980年秋にそれまで排ガス・騒音・・燃費・耐久メンテナンス性から、次第に敬遠され出した2ストロークエンジン車に、ヤマハはグランプリレーシングマシン同様、水冷エンジンで弱点を克服し搭載したスポーツバイク『RZ250(4L3型)』を発売した。
丁度オイラは1980年秋に自動二輪免許証を取得し、バイトしながらどんなオートバイ買おうか思案してました。
RZ発売“前”の当時250ccクラスは、同じ車体を共有する400cc車の“お下がり兄弟”としての意味合いが強く、車重が重い割にエンジンパワーが不足。メリットと言えばは“車検が無い”、都内各所に有った“夜間二輪車通行禁止区間(暴走族閉め出し策)”を除外出来る事くらい。
そんな中に突如現れたRZ250は、クラス平均が30馬力以下という状況だったのに、水冷エンジン35馬力! リヤサスはモノクロスという名の1本ショック! まるで“TZレーサー”かのような多段膨張収縮型マフラー!
歳の若い方にはドレもコレも当たり前な技術とパーツ過ぎて想像もつかないでしょうが…、当時はマサに夢に見たドリームバイクだったんですよ!(笑) o(^-^)o
発売と同時に受注が殺到。更に、ドコソコで400ccに勝ったトカ、いやいや峠なら750ccもカモの“ナナハンキラー”だゼ! と、尾ヒレ与太噺も大いに盛り上がり、更にバックオーダーを抱える大ヒットに!
実際のオイラの経験ですが、10月に販売店に聞いたら、今注文受けても早くて年明け1月になるよと言われた。まだお金が足りなかったから購入は諦めた。
81年明けに再度行ったが、何かのリコール(かどうかは忘れた…)でまだ時間掛かると言われ、ソレじゃいらん。と、当時の4ストローク車の中で一番馬力が有り(29馬力)、4バルブDOHC並列2気筒の『スズキGSX250E‐Ⅰ型』を購入。そうRZを買えなかった為、ココから“鈴菌”依存症になってしまったワケだ!(笑)
前置きが長過ぎたが…
大ヒット中のヤマハをみていたホンダは忸怩たる想いがきっとあった筈だ。世界グランプリで2ストロークレーサーに勝つために、楕円オーバルピストン、気筒あたり8バルブの『NR500(Nはニュー、Rレーシングの意)』を走らせて居たのだから・・・
そんなホンダが本気と書いてマジな力を出した時は空恐ろしい製品が出来る。
大量生産市販車に…水冷90度V型2気筒。気筒あたり4バルブ。フロント16インチの新造タイヤ。インボード式ブレーキ(内部ローターは効きの鋳鉄)。プロリンク式モノショックリヤサス。
どっからどうみてもホンダにしかなしえない意地とレーシング技術が結晶した渾身の大革命マシンでした!
バイク誌上のみならず、街中、峠、口プロレス(笑)でも、RZvsVTの論争は続き、2ストローク対4ストロークとか、ホンダ対ヤマハまで波及した大論争にドンドン移行して、“あの一大バイクブーム”がやって来たワケだ。
ある意味オイラも、ひとつの時代の生き証人ではあるな!(爆)
確か2代目VT250Fと、インテグラ兄弟時代が最多販売台数でしたが、もう今とは数が比べ物にならない・・・
ひと月の登録が3000台オーバーだよ。年間VT単一車種で3万3千台くらい売れたんだから!(@_@)
月によってはRZ‐R(29L型)が勝ったりしてたスンゴイ時代であった。
(^o^)/
Posted at 2012/05/23 22:23:09 | |
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