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ジムニー魂のブログ一覧

2010年04月10日 イイね!

「いざ奈良」・・・・歴史ロマンです(*^_^*)

「いざ奈良」・・・・歴史ロマンです(*^_^*)平城遷都1300年祭公認ガイドブック
『奈良 歴史ロマンを歩く』
購入しました(^.^)/~~~1200円+税でした・・・
高いですが・・・(涙) 仕方ないです。
非公認ですが、奈良・平成遷都1300年祭
「広報・宣伝」活動の為です!!(笑)

先日も紹介しましたが・・・、今年の「奈良」は熱い!!

一度も奈良に行かれたことのない方・・・・
子供の頃に修学旅行に行った記憶のある方・・・
行ったことはあるけど、面白くなかった・・・と思われてる方・・・

確かに奈良はむずかしいです。
例えば京都は・・・・・
お寺も神社も離宮も庭も、全部囲いして整理して綺麗に見えるように作って、
案内の坊主などもつけて、きちんと入場料を取ってわかりやすく見せてくれます・・・(*^^)v

・・・ところが奈良は平城京跡、飛鳥宮跡、藤原京跡・・・「跡」ばっかりです・・・(汗)。
地べたしかないから、面白いこともなーんもない!!・・・かも知れません(-_-)zzz
(だから・・・子供の頃は楽しくないのかも知れませんね・・・)
でも・・・大人の感覚で歴史を少しだけ勉強して、改めて奈良を見れば違った見方が出来ます。
どうか想像の翼を果てしなく広げて下さい。

「ここで・・・、中大兄皇子が藤原鎌足と大化改新の謀議をしたのか・・・」
「ここで・・・、天平の女官が、裳裾をなびかせ恋の歌を詠んだのか・・・」
「ここで・・・、入鹿が・・・馬子が・・・聖徳太子が・・・」
「こんな時代背景があったから大仏が必要だったのか・・・・」
「そんな陰謀の為に長屋王は死んだのか・・・」
・・・・と、想像して欲しいのです。

奈良は・・・
日本の夜明け、初の国家の誕生・・・
国宝級の「仏像」や「古刹」もたくさんあります・・・(*^^)v
平城京(ならのみやこ)で暮らす、様々な人間模様や事件や謎・・・・
そんな想像が無限に広がり、その日本の歴史の流れの中に・・・
今、自分が生きてる・・・と、奈良の地で感じて頂ければ嬉しいですね。

是非に今年は
「いざ奈良」・・・・せんとくんに会いに行きましょう(^.^)/~~~



付録の・・・
『朱都の記憶』
←コレを読んで謎を解きます\(◎o◎)/!
期間:2010年7月20日から11月7日。
ヒントは『平城宮跡』の中にあります・・・。

本来、自分が古代史を好きになったきっかけは・・
古代史はミステリーだからです。
邪馬台国を始め、古代の日本史は謎だらけなのです。
Posted at 2010/04/10 16:56:21 | トラックバック(0) | 古代史関係 | 日記
2010年04月08日 イイね!

平成遷都1300年祭からの挑戦状

平成遷都1300年祭からの挑戦状《平城京ミステリークエスト》
平城京を舞台とした「ミステリー小説」に書かれたキーワードをヒントに平城宮跡を巡るウォークラリー形式のイベントです。
プロの作家が平城京を舞台とした短編ミステリー小説を執筆して、その小説を読んだ上で、平城宮跡内各所のヒントポイントを探検し、謎解きを通して家族で楽しめるイベント展開します。

オリジナルミステリー推理小説『朱都(しゅと)の記憶』 は、
江戸川乱歩賞作家・石井敏弘氏が書き下ろした・・・・
誰も想像したことがない奈良の姿が目の前に広がるミステリアスな物語です。
平城京ミステリークエストに参加するためには、この『朱都(しゅと)の記憶』を先ず手に入れる必要があります。
入手方法はコチラまで(^O^)/
平城遷都1300年祭公認ガイドブック『奈良 歴史ロマンを歩く』を購入。
付録の『朱都の記憶』を手に入れて下さい。(4月9日発売)

オリジナルミステリー推理小説『朱都(しゅと)の記憶』読み、奈良・平城宮跡を訪れ、謎を解き明かした正解者の中から抽選で豪華賞品をプレゼントが用意されているみたいです。
賞品の詳細につきましては今後、決定しましたら掲載・告知いたします。
どうぞ!!ご期待ください!!

非公認・・・
奈良・平成遷都1300年祭「広報・宣伝」活動中!!(笑)

Posted at 2010/04/08 23:36:18 | トラックバック(0) | 古代史関係 | 日記
2010年03月12日 イイね!

古代史ドラマスペシャル~大仏開眼

古代史ドラマスペシャル~大仏開眼「大仏開眼~
一三〇〇年を見つめた瞳~」
2010年4月放送予定(制作:NHK大阪放送局)

平城遷都1300年を迎える2010年の4月、古代の奈良を舞台にしたドラマが全2回各90分で放送される予定です。

去る2009年9月17日に、東大寺にてドラマの出演者発表が行われました。
上の写真(提供:NHK大阪放送局)は、主な出演者の方々で、
左から阿倍内親王役の石原さとみさん、主人公吉備真備役の吉岡秀隆さん、
藤原仲麻呂役の高橋克典さんです。

主人公の吉備真備は・・・・
現在の倉敷市真備町出身で、父は右衛士少尉下道圀勝(しもつみちのくにかつ)、
母は楊貴(八木)氏(大和国(後の奈良県)の豪族)。
下道氏は吉備地方で有力な地方豪族吉備氏の一族です。

権威・象徴としての天皇を支配し権力を握る藤原氏・・・・
それに対し、聖武天皇の側近である吉備真備。

時は奈良時代前半の天平年間・・・・
藤原不比等の子で朝堂において絶対的な権力を揮っていた
武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟が相次ぎ急死し(長屋王の祟り説あり・・・)
権力の空白が生じました。

その権力の空白の間隙をぬって、橘諸兄、吉備真備、玄昉といった反・藤原氏勢力が朝堂内で台頭し大きな力を持ち始めます。

宇合の嫡男で藤原氏による政治の継承を、理想としていたであろう広嗣にとって、これは耐え難い政治状況であったに違いありません。

政権奪回に燃える広嗣の動きは突出し、(ただし、他の藤原一族からの支持を得ることはなかったようです。)やがて天平10(738)年に、広嗣は橘諸兄らによって大宰府に左遷され、中央政治の場から追いやられてしまいます。
天平12(740)年の上表文の中で、広嗣は「時政の得失」「天地の災異」を指摘しています。
これはとりもなおさず吉備真備・玄昉たちが、疫病などで地方が苦しむ現実を顧みることなく、
ひたすら重い負担のみを強いる失政を行っていることを糾弾しているとも言われていますが・・・
そしてこの上表文の返事が到着しないうちに叛乱の兵を挙げます。
即ちコレが・・・・奈良時代最大級の争乱『藤原広嗣の乱』です。
『壬申の乱』以来初めてとなる、広嗣軍、朝廷軍合わせて数万という大軍が衝突した叛乱も、
叛乱軍の首謀者である広嗣の捕縛斬首で幕を下ろし終結します。

天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、
天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、天平16年(743年)には東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出し、これに加えてたびたび遷都を行っています・・・。
しかし・・・官民の反発が強く、最終的には平城京に復帰しました。
また、藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は橘諸兄が執り仕切っていましたが・・・
ここに・・・・・朝廷で台頭したのが、広嗣の従兄弟である
あの・・・藤原仲麻呂・・・・・藤原不比等の孫で・・

後の名を『恵美押勝』
光明皇后の覚えがめでたく、そのことにより異例の昇進をしたと言われ・・・・
仲麻呂と光明皇后の間に男女の関係があったと考えられています・・・。
藤原仲麻呂の絶対的な最高権力者になります・・・
しかし、天平宝字4年(760年)6月に光明が死去したことで、その権勢はかげりを見せはじめます。
その後、孝謙上皇・道鏡と淳仁天皇・仲麻呂との対立は深まり、藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとした「恵美押勝の乱」が起きます・・。
その仲麻呂誅伐を命じられたのが・・・吉備真備です。
この時、既に真備は70歳でした。
仲麻呂軍は敗れ・・・仲麻呂は湖上に舟を出して妻子とともに逃れようとすますが・・・軍士石村石楯に斬られ、その一家も皆殺しにされました。
仲麻呂の勢力は政界から一掃され・・・・、
淳仁は廃位され淡路国に流されます\(◎o◎)/!

代わって孝謙が重祚する(称徳天皇)に・・・。
以後、称徳と道鏡を中心とした独裁政権が形成されることになって行きます・・・。

そうです・・・次に登場が!! 『弓削道鏡』です(ー_ー)!!
「道鏡座れば膝三つ」・・・と言われる

後に「宇佐八幡宮神託事件」を起こします・・・。

面白いかな・・・・歴史は・・・・次から次と個性的な人物を・・・
登場させますね!!(^_-)-☆
Posted at 2010/03/12 17:22:22 | トラックバック(0) | 古代史関係 | 日記
2010年03月04日 イイね!

恒例の『出雲』に!!~古代史の旅~

恒例の『出雲』に!!~古代史の旅~明日・明後日(3月5日と6日)は・・・
『出雲』
行って来ます!!
大穴牟遅神
大己貴命
大汝命
大名持神
八千矛神
葦原醜男・葦原色許男神
大物主神
大國魂大神
顕国玉神・宇都志国玉神
国作大己貴命
伊和大神
伊和神社主神
所造天下大神
幽冥主宰大神

↑記・・全て大国主神様の別名です


《ジムニーネタ》
デスビキャップとパッキン、ローターを交換の為・・・

←パーツを取り寄せました(^O^)/
それから・・・例のオイルキャッチタンク・・・
新品をポチりました!!(^.^)/~~~
また到着次第・・・報告しますね(^_-)-☆






Posted at 2010/03/04 16:57:05 | トラックバック(0) | 古代史関係 | 日記
2010年03月03日 イイね!

『古代日本の信仰』と結びつた『桃の節句』~

『古代日本の信仰』と結びつた『桃の節句』~桃の節句の起原は古いです・・・
昔の日本には五つの節句がありました。
人日・上巳・端午・七夕・重陽です。

平安時代、当時この行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事だったのです。


その中の一つ「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となります。
上巳(じょうし)とは3月上旬の巳の日という意味です。
上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。
この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展したのです。
節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。
その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となったのですね。

その起源は1700年前頃の古代中国で起こった上巳節にさかのぼります。
昔から季節や物事の節目には災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、
川の水に心身の穢れ(けがれ)を流して厄を祓う行事や、杯を水に流して宴を催す曲水の宴などが行われていました。
つまり、季節の節目の邪気祓い行事として、老若男女を問わず皆の幸福を願う行事だったんです。
その上巳節を遣唐使が日本に伝えたといわれています。

日本でも古くから禊(みそぎ)や祓いの思想や、形代(かたしろ)という身代わり信仰があったため、
それが上巳節と結びつき、上巳の節句として日本独自の文化として定着していきます。
そのひとつが流し雛で、これは自分の体を草木やわらでこしらえた人形(ひとがた)で撫でて穢れを移し、それを川に流す神事が上巳節と混じりあったもので、今でもその伝統を守っている地域があります。

旧暦の3月3日は桃の季節でもありますが、それだけで「桃の節句」になったわけではありません。
昔から桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていたので、邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句になったのです。

また、桃は不老長寿を与える植物とされており、
百歳(ももとせ)まで長生きできるよう、桃の節句には桃花酒を飲む風習もありました。

日本の文化・・・大切に守って行きたいです。


《ジムニーネタ》
今回も、オイル交換のため・・・
WAKO'S(ワコーズ)S-FVスーパーフォアビークルを購入しました。

更に・・・
PMP NEWプレミアムパワー
F1 フューエルワン
お決まりですね・・・。
(^O^)/
Posted at 2010/03/04 00:12:42 | トラックバック(0) | 古代史関係 | 日記

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城戸賞で、過去一番いい点数をとった脚本!! 
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