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ジムニー魂のブログ一覧

2014年05月13日 イイね!

日本人なら日本語の語源を学ぼう!!

日本人なら日本語の語源を学ぼう!!『語源に隠された日本史: この国の仕組みや日本人の暮らしが浮かび上がる』
武光 誠 (著)

私たちがふだん使っている言葉のルーツから、古の日本人の知られざる暮らしぶりや社会の仕組みがわかる、歴史学者が書いた語源の本。

「ヤマト朝廷の時代から江戸・明治の世まで、その言葉が生まれたころの意味や使われ方にさかのぼる」…、本書は右の通り古代から明治期までの日本史の著名な史実、政治経済的事情、合戦、事件、世相、風俗、慣習、文化などに関連する“言葉”の語源を紐解くことによって、併せて歴史をも解説していくという、ユニークな歴史論です。
『語源』の解説は知れば知識になりそこから古代の日本を垣間見ることも出来ます。
ユニークな歴史論ですね。



注意:感想は私個人的な意見ですので、ご了承下さい。
Posted at 2014/05/13 16:16:04 | トラックバック(0) | 古代史の本 | 日記
2014年02月06日 イイね!

古代史最後の謎を、解き明かす???

古代史最後の謎を、解き明かす???『伏見稲荷の暗号 秦氏の謎』
関 裕二 (著)



伏見稲荷大社と秦氏は、「古代史最後の謎」ではなかろうか。
稲荷信仰最大の謎は、社数が多いことだ。日本各地で祀られ、八幡神と並び、祠の数で他を圧倒している。
その一方で、「なぜ狛犬ではなくキツネが結界を守るのか」その理由が、はっきりとしない。
伏見稲荷を祀りはじめたのは秦氏だが、秦氏も謎めく。
秦氏は朝鮮半島南部から日本列島にやってきた渡来人だ。山背地方(京都府南部)に根を張り、殖産に務め、ヤマト朝廷を豊かにした人々である。
秦氏はアメーバのような存在で、血のつながりで固まっていたのではなく、大規模な職能集団と考えた方がわかりやすい。飛鳥時代に秦河勝が聖徳太子に寵愛されたという話は有名だが、秦河勝以外で、歴史に名を残した人物がいなかったのは、そのためだ。
もちろん、だからといって、秦氏が日本の歴史に影響力を持たなかったのかといえば、そんなことはない。「日本の基層文化を築きあげたのは秦氏だった」といっても過言ではない。 なぜ、古代で最大の勢力を誇り、日本の基礎を築いた秦氏が、差別される民になっていくのか。なぜ稲荷信仰は、日本各地に伝播していったのか・・・・。


巷で人気の関さんの本は久しぶりだったけど
正直言ってつまらない。。。。
確かに秦氏に関して、とても掘り下げて書かれていますが
東漢との関係や、時代背景をもう少し俯瞰に書かれてないのが残念です。
書き方もくどいし流れも悪い。。。
梅原猛氏のなどを紹介し、秦河勝に背負わせた重荷の内容を展開していますが・・・
論点が多岐に渡り、幅広い例証により書かれた内容だったかな。。。
内容的には、個人的推測が多く興味深いですが、この内容では関氏の魅力が感じられなかったかな。。。(笑



注意:感想は私個人的な意見ですので、ご了承下さい。
Posted at 2014/02/06 16:49:59 | トラックバック(0) | 古代史の本 | 日記
2013年11月12日 イイね!

邪馬臺国は九州…

邪馬臺国は九州…『邪馬台国の滅亡―大和王権の征服戦争』
若井 敏明 (著)

邪馬台国論争を解決する鍵は何か。『記紀』を丹念に読み解き、邪馬台国の位置が九州北部であったことを論証。大和政権が邪馬台国を滅ぼし、どのように全国を統一したのか、その真実に迫り、新たな古代史像を描きだす。

邪馬臺国は九州山門(やまと)にあった地方政権だった…と
確かに邪馬臺国は九州の中にあったとは思うけどね。
纒向遺跡は邪馬臺国ではなく。大和政権の遺跡であると位置づけている点などは納得出来ます。

AD247邪馬台国の使者、邪馬台国と狗奴国の争いを伝える。
大和政権の祭祀(祈年祭、月次祭、新嘗祭)の拡がり。
四道将軍の派遣、地方制圧…出雲と但馬の服属。
王族封建:丹波、吉備(造山古墳)。
纒向:崇神・垂仁・景行の王宮。
北九州:邪馬台国を中心とした倭国、大和政権にとって最後の抵抗勢力。
景行天皇の九州遠征。
仲哀天皇・神功皇后の九州遠征、敦賀。仲哀の戦死、朝鮮半島からの鉄入手、田油津媛の誅殺、邪馬台国(山門)の滅亡(AD369?)。
応神を伴う凱旋とオシクマ王の排除、大和政権の列島統一。
そんな流れですね~

注意:感想は私個人的な意見ですので、ご了承下さい。
Posted at 2013/11/12 21:14:39 | トラックバック(0) | 古代史の本 | 日記
2013年10月24日 イイね!

百人一首に隠された謎!?

百人一首に隠された謎!?『百人一首に隠された藤原定家の暗号』
関 裕二 (著)

伝統的な正月かるたとして名高い『小倉百人一首』。人口に膾炙するこの百首を撰んだのは、『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の選者であり、中世を代表する名歌人・藤原定家。しかし、定家ほどの名人が撰んだにしては、『百人一首』には駄歌が多いと言われ、かの正岡子規も『歌よみに与ふる書』の中で、『百人一首』を酷評した。では、いったいなぜ藤原定家は、わざわざ『百人一首』で名歌を捨て、多くの駄歌を拾ったのか?『百人一首』はなぜ天智・持統という二人の古代天皇から始まり、百人一首を使った札ゲーム『青冠』では、この二人が“無敵札”となるのか?『百人一首』をめぐる大いなる謎解きに、人気歴史作家が果敢に挑む。

百人一首のパズル的な解説よりも歴史の流れがメインなので、「絢爛たる暗号」や「QED」を読んだでた方が良いかもですね(*^_^*)


注意:感想は私個人的な意見ですので、ご了承下さい。
Posted at 2013/10/24 20:37:09 | トラックバック(0) | 古代史の本 | 日記
2013年09月14日 イイね!

むかしむかし…九州に王朝があったのです…。!!

むかしむかし…九州に王朝があったのです…。!!『ここに古代王朝ありき―邪馬一国の考古学』
古田 武彦 (著)

厳密な文献解読で九州王朝の存在を立証した著者が、発掘成果を踏まえ、古代日本の全体像の再構築を試みる。なぜ、かの古代王朝は日本史上から抹消されたのか。長文の書き下ろし「日本の生きた歴史」を新たに加えて、待望の復刊。

今回は久しぶりに古田先生の本を…
仕事やら他の事で忙しかったので、ボチボチの読書でしたよ。
九州には、王朝があった。・・・それは間違いない。
私もそう思います。
邪馬台国も九州です。
詳しくは、また『日本古代史のミステリー 通説を覆せ!!』で書きます。



注意:感想は私個人的な意見ですので、ご了承下さい。


Posted at 2013/09/14 20:06:31 | トラックバック(0) | 古代史の本 | 日記

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