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ジムニー魂のブログ一覧

2012年12月14日 イイね!

東電OL殺人事件の被害者は反原発の為消された…???

東電OL殺人事件の被害者は反原発の為消された…???あの事件を追え!!
~東電OL殺人事件~


事件の概要

1997年(平成9年)3月19日に、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力東京本社に勤務する女性(当時39歳)の遺体が発見された。発見し通報したのは、このアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長であった。後に被告人となるネパール人男性ゴビンダ・プラサド・マイナリは、このアパートの隣のビルの4階に同じく不法滞在のネパール人4名と住んでいて、被害者が生前に売春した相手の一人でもあった。死因は絞殺で、死亡推定日時は同8日深夜から翌日未明にかけてとされる。

当初は、ありふれた殺人事件と思われていたが、日本を代表する大企業のエリート女性社員が売春を行っていたこと、無罪になった外国人を釈放せず拘留し続けたこと、DNA鑑定の真偽に問題があること、検察による証拠隠しの疑いなどにより、裁判史に残る事件となった


未婚のエリート社員

被害者女性は、慶應義塾女子高等学校をへて、同大学経済学部を卒業した後、東京電力に初の女性総合職として入社した。未婚のエリート社員であったが、後の捜査で、退勤後は、円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたことが判明する。被害者が、昼間は大企業の幹部社員、夜は娼婦と全く別の顔を持っていたことで、この事件がマスコミによって興味本位に大々的に取り上げられ、被害者および家族のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。


「原発の危険性を指摘」する報告書を作成していた

レポートの内容は、「原発の危険性を指摘」する報告書もあったようで、工務部副部長だった父親の遺志を受け継いだ内容の報告書などを作成したようです。
父親は、1949年に東大工学部を卒業、東電に勤務し、工務部副部長として将来の役員候補とされていましたが、原発の危険性を指摘したため、降格させれら、被害者女性が慶応大学2年のとき、52歳でガンで死亡したそうです。




複数男性と一緒にいた目撃証言

女性は平成9年3月8日午後7時ごろに、JR渋谷駅前で知人男性と待ち合わせ、2人でホテルに入った。同10時16分ごろホテルを出て男性と別れた後も、同10時半ごろから路上で数人に声を掛けた後、30歳前後の男性と連れだって歩く姿が目撃されている。
次に確認されたのは同11時半ごろ。殺害現場となったアパートの階段を、東南アジア系の男性と上っていくのを見た、という証言もある。
9日午前0時ごろ、現場の部屋から男女の声がするのを付近住民が聞いていたが、同0時半過ぎにはもう聞こえなかったという。


裁判史に残る事件

1997年(平成9年)5月20日、警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在(オーバーステイ)していたマイナリを、殺人事件の実行犯として強盗殺人容疑で逮捕した。マイナリは、捜査段階から一貫して冤罪を主張。当初は、ありふれた殺人事件と思われていたが、日本を代表する大企業のエリート女性社員が売春を行っていたこと、無罪になった外国人を釈放せず拘留し続けたこと、DNA鑑定の真偽に問題があること、検察による証拠隠しの疑いなどにより、裁判史に残る事件となった。





『東電OL事件 - DNAが暴いた闇』

東電OLを殺害したとして無期懲役に服していたネパール人のゴビンダ氏が、先頃、DNA鑑定という新証拠を得て再審無罪となった。本書は、先行して報道を続けた読売新聞取材班の足跡をまとめたドキュメントである。

 背景に、DNA鑑定が精度を高めていく歳月があった。事件が起きた97年当時は鑑定の「過渡期」で、鑑定結果が別人と一致する確率は2万余人に1人程度であったのが、新検査法の導入で4兆余人に1人まで高められてきた。

 警察署の冷凍庫で眠っていた、被害者の体内精液を採取したガーゼから割り出された型はゴビンダ氏とは一致せず、現場に残された1本の体毛とは一致した。すなわち、ゴビンダ氏以外の容疑者がいることを濃厚に示唆している——。検察がこの新証拠の開示を行うかどうか不明であった時点で、読売が記事化し、再審開始への注目度が増すこととなった。

 事件から15年。なぜに時間が空費されたのか。取材班は当時の捜査官や関係者を訪ね歩く。答えず、ドア開かず、インターホン越しに……足で稼いだ取材の上に、冤罪(えんざい)の構図が浮かび上がってくる。

 DNA鑑定が過渡期であったのは確かだったが、検察も弁護側も有力物証を見逃していた。加えてあったのは思い込みだ。被害者は「売春をしていた女性」、被疑者は「出稼ぎ外国人」。そういう偏見にとらわれなかった関係者は稀(まれ)だった。

 あとがきの冒頭、藤田和之東京本社社会部長は「正直に打ち明ければ、ゴビンダ元被告が東電女性社員殺害事件の犯人だと思っていた」と記している。本書でもっとも残る一行である。そう、評者を含め私たちの多くも漠然とそう思っていた。誤りを正すのは事実である。事実を求めて歩き、検証すること。その集積の上にジャーナリズムの意味と役割があることを改めて教えてくれる仕事だった。


今となってはこの事件の真実は藪の中…なのかも知れないが
真犯人は今でもどこかにいる!!


Posted at 2012/12/17 16:42:09 | トラックバック(0) | あの事件を追え!! | 日記
2012年02月21日 イイね!

法務大臣、しっかり死刑の執行を命じろよ!!

法務大臣、しっかり死刑の執行を命じろよ!!福田孝行(当時18歳・現大月)は、強姦の対象を物色しているうちにある主婦(本村洋さんの妻)に出会い強姦目的で住居不法侵入し暴行し抵抗されたために、殺害後屍姦に目的を変え、手で首を絞めて殺害した。
そして死後、漏出した排泄物をふき取って屍姦したのである。
また当時11カ月の乳児であった長女が泣き叫ぶので、床に叩きつけて失神させ、屍姦の後、再び泣き叫んで這って母の死体に近寄ろうとしたので、ひもで首を絞めて殺害した。
さらに,冷静に指紋をふき取り,死体を押入に隠しなどし、
地域振興券6枚(額面計約6,000円)などの入った財布1個を窃取して、その後、ゲームセンターで遊び、買い物をして友達の家に行った…。

『死刑』妥当!!

当然やろ!!


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本村さんの妻・弥生さん(当時23)と長女・夕夏ちゃん(当時11か月)
おふたりの御冥福を心よりお祈りします。
そして…本村さん、本当に長い闘いお疲れ様でした。

Posted at 2012/02/21 00:33:21 | トラックバック(0) | あの事件を追え!! | 日記
2012年02月19日 イイね!

ひき逃げ死亡事件~犯人を探しています!!

【拡散希望】
『ひき逃げ死亡事件!!』


兵庫・川西市で1月28日夜遅く、道路を横断していた女性が車にひき逃げされ、死亡する事件がありました。事件があったのは川西市の国道176号で、28日午後11時過ぎ、道路を横断していた女性が走行する車にはねられました。女性は籠野喜代子さん(66)で、救急車で病院に運ばれたが、約1時間後に死亡が確認。
現場は、阪急川西能勢口駅の東約400メートル。
事故の目撃者は「車は小型の四輪駆動車で、色は青に見えた」と話していて、前の車を追い越す際に籠野さんをはね、そのまま西に向かって逃げたらしい…。

その後、一カ月近く経った…今も
このひき逃げ死亡事件は未解決で、担当刑事さんが最近、聞き込みに来た情報では
該当車両は…なんと

青色のジムニー!!
(マツダAZオフロードの可能性も)
川西、宝塚、猪名川、豊能、池田、能勢近辺で、怪しい車両を見かけた方は、警察にご連絡を!!
林道や山間部に放置の可能性もあります。
<連絡先>
川西警察署:072-755-0110  内線433又は434

同じジムニー乗りとして、車を運転してる者として・・・
ひき逃げ犯は絶対に許せません。

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当方ブログ(2012年02月16日)
『少年は酒を飲んで友人の車を運転していたという…極刑にせよ!!』に沢山のイイね!!を頂き
ありがとうございました。

更には…
『何シテル?』に記載してました。

「只今、関係者各位と協力して、無謀なジムニーでの自然破壊行為(国定自然・山間部等)、更には某動画サイトにUPされた自然破壊行為と思われる動画を元に、ナンバー通報し実態を取材して社会問題として摘発しています!!」
(※オフロード場や地主方の許可が出ているポイントは除く…)
・・・に対しまして、多くの四輪駆動車オーナー&多種車オーナーから賛同を得て、貴重なご意見をメッセージにて多数頂戴しました。心よりありがとうございます。

 
Posted at 2012/02/19 16:42:41 | トラックバック(0) | あの事件を追え!! | 日記
2012年01月14日 イイね!

戦後最大のミステリー!!

戦後最大のミステリー!!あの事件を追え!!
~狭山事件~

~女子高生誘拐殺人の現場と証言~

昭和38年5月1日、埼玉県狭山市の女子高生、中田善枝さん(当時16)が夕方になっても帰宅しなかった。心配した家族は、学校・知人に確認したが行方は判らなかった。その日の夜、20万円を要求する内容の脅迫状が中田家の戸に挟まっていた(善枝さんの生徒手帳も同封されていた)。脅迫状には「刑札には名知たら子供は死(警察に話したら子供は死)。明日の2日夜12時に佐野屋(酒屋)に現金を持って来い。友達が車で行く」という内容だった。

これを受けて狭山署・埼玉県警本部は佐野屋の周辺、道路を張り込み万全を期した。翌日、犯人の指定した通り20万円に見せかけた包みを善枝さんの姉が佐野屋に持参する。が、犯人は佐野屋の北側(田畑)から徒歩で善枝さんの姉に接触。その間、約10分間に渡って姉は犯人と会話をしている。警察では、脅迫状にあった「車で行く」という内容を過信し田畑側は完全にノーマークだった。一方、犯人も警察の張り込みを感知し、その後同じように田畑を抜けて逃走。警察が追いかけたが逃してしまうという大失態を犯した。

翌日の新聞・テレビの報道は「警察の失態」が大きくクローズアップされた。同年3月の吉展ちゃん誘拐事件に続く不祥事に世論の非難が大きくなる。この問題で柏村警察庁長官が4日、辞表を提出するという展開となった。
その4日、地元の協力を得て善枝さんの捜索活動を続けていた捜査班本部は付近の入間川沿いの麦畑で埋められている善枝さんの死体を発見した。死体は乱暴された後、タオルで絞殺されていた。

更に、捜査本部が調査した結果、付近に「スコップ」を発見。このスコップで死体を埋めたと見た捜査本部はスコップの出所を調査し近所の養豚場の物であると推定した。そこで、養豚場の従業員(退職者を含めて)に対して絞込み、5月23日、石川一雄(当時24歳)を別件逮捕した。

-差別-
石川は、狭山市の通称「カワダンボ」と呼ばれる未開放部落の出身で土地を持たない貧農の子供として生まれた。学歴も小学校5年生までで、在学中も子守奉公をして生計を助けていた。その後、大手菓子会社の工場で勤務したが長くは続かず退社。やがて問題となった石田養豚所に事件の年の2月まで働いた後、兄の鳶職を手伝っていた。この石田養豚所も未解放部落出身で、部落出身の青年達の溜まり場所であった。この養豚所から被害者宅まで200mという距離である。

・・・が、何故この養豚場関係者が捜査の対象になったのか?
何故、石川が嫌疑をかけられたのか?
現在でも明確な回答が無いままになっている。
第一に問題のスコップが養豚場の物であるという立証ができず曖昧な点が挙げられる。
第二に、佐野屋の北側(田畑側)に残された犯人の足跡のサイズと石川のサイズがまったく異なっていた。
第三、善枝さんの姉や近くで佐野屋に張り込んでいた刑事たちは、犯人の声は40~50歳と証言しているのに何故、石川なのか(当時24歳)。
第四、石川は貧困故に小学校にも殆ど行けず、ひらがなが書ける程度で漢字の読み書きはまったく出来なかった。その石川が脅迫状を書けるわけが無いという点である。

更に不可思議な事は、石川被告の家宅捜査は3回行われたが、第一回の家宅捜査(5月23日)で徹底的に捜査して何も事件につながるものが出てこなかったのに3回目の家宅捜査で善枝さんのピンクの万年筆が勝手口の鴨居から発見された。捜査員自らこれを取らず被告の兄に取らせて写真を撮影するなど実に不思議なことが起こっている(尚、この第三回目の家宅捜査の時間はたったの24分間で、第一回と第二回の家宅捜査では2時間以上を費やしている)。公判ではこのピンクの万年筆が物的証拠として有罪の決め手になっている。

取り調べ中も「自供したら10年で出してやる」と自白を強要したり、留置場から浦和拘置所に移された後、この留置場の床に「中田よしエさん ゆるしてください」と書かれていたとして川越警察署が証拠として提出したりしている。が、前述の通り、石川は字が書けないのである(自分の名前、住所のみ漢字で書ける程度)。

その他の状況も含めて鑑みると「真犯人は別に居る」と見た方が素直である。だから尚更、警察は「何が何でも石川」という演出に走っていったと思われる状況が多々ある。だが、一審の判決は「死刑」、二審で「無期懲役」の判決によって平成6年12月の仮釈放になるまでの実に31年7ヶ月間を獄中で過ごす事を余儀なくされた。

警察のみならず加害者が「土地の者」ではなく「よそ者=部落」と捜査員から聞いた地元の人々は急に捜査に協力的になるなど差別による偏見、それによる捜査で石川が犠牲となったのではとの見方が世論では強く、改めて部落問題の根の深さを露呈した格好となった。

-五つ墓村-
この事件では中田家を中心に不幸な出来事が続いた…。
まず、事件後に中田家の農業手伝いのAさん(当時31歳)が自分の結婚式の前日に農薬を飲んで自殺。続いて、不審な人物を見たと警察に証言したBさん(当時31歳)がナイフを突き刺して自殺。さらに捜査線上に浮かんでいた付近の養豚場勤務のCさんが自殺した。更に驚愕したのは、佐野屋で犯人と唯一会話した善枝さんの姉が石川の死刑判決直後に自殺。善枝さんの次兄も自殺した。週刊誌は「五つ墓村」と書きたてた。

-公判-
昭和39年3月11日浦和地裁は石川に死刑を言い渡した。昭和49年10月31日東京高裁は死刑を破棄して無期懲役判決。これを不服として石川は上告。昭和52年8月9日最高裁は石川の上告を棄却し石川に無期懲役が確定した。

平成6年12月21日仮釈放によって31年ぶりに狭山市に戻った石川は、無実を訴えて再審請求を続けた。平成17年3月16日最高裁は石川の特別抗告を棄却する決定をした。昭和61年8月の第2次請求から19年間を経て請求棄却の決定だった。石川及び支援団体は東京高裁に第3次請求を行う予定。


これこそが部落差別が生んだ冤罪なのかも知れない。
この事件を知れば知るほど…
納得がいかない事ばかりで、ミステリーなんです。
事件は時間経過で風化してしまうけど、
本当の意味で納得出来る終結を望むもので有ります。


狭山事件を検証する
http://sayamacase.web.fc2.com/


Posted at 2012/01/14 16:34:10 | トラックバック(0) | あの事件を追え!! | 日記
2011年10月20日 イイね!

謎のメモ

謎のメモ最近、気になった事を・・・
(とにかく怖い話。 トピックから・・・)
10月14日放送の『スーパーJチャンネル』内の
追跡!真実の行方
ちょっと不気味なことがあった。

←行方不明になった妹を探してくださいという内容で、
最初に姉(洋子さん)がインタビューを受けた
妹直筆の手紙から親友が怪しいと泣いて訴える姉(洋子)さん
(似ていますが、タレントのあの方ではありません)


ここで・・・<事件概要>

1994年(平成6年)9月2日午後7時頃、主婦の嵐真由美さん(当時27歳)が、出産のため戻って
いた墨田区の実家から外出、当時1歳半の娘を残し、そのまま行方不明・・・。

◆行方不明当日の真由美さんの不可解な言動
事件当日、「同級生と会う」と姉に言い残し家を出た真由美さん。
ところが、行方不明の翌日、真由美さんの姉が同級生に確認したところ、会う約束はしていなかったという・・・。
さらに父によれば、外出前真由美さんは「どこか落ち着きのない様子」だったという・・・。

◆残された“謎のメモ”
真由美さんが行方不明になった日の夜、知人を名乗る男性“A”から、複数回電話がかかって来る。
翌日、姉の洋服ダンスから真由美さんのメモが見つかり、そこには「“A”と付き合っていたかったが、裏切られた」という内容の文と「ゴメンね」という言葉が・・・。
その日の夜“A”と会った姉が聞かされたのは、「行方不明になった日の昼間、真由美さんと会っていた」ということと、「真由美さんが死んでいたら、罰として刑務所に入るのを望みます」という不可解な言葉だった・・・。

◆“A”の不可解な行動
姉が調査会社に“A”の行動を調べさせたところ、“A”は’95年3月9日深夜、缶ジュースを2つ
持って山の中へ入っていったという。
その後警察は山の捜査を行ったが、何も見つけることは出来なかった・・・。

今回、我々は元兵庫県警刑事の飛松五男氏とともに、真由美さん行方不明に残された謎を追跡。
さらに、我々は“A”に会ったことがあるという、真由美さんの知人に接触!
真由美さんが知人に漏らしていた言葉、「“A”にお金ばかり使っている」が意味することとは・・・?

果たして、真由美さんは自ら失踪したのか、それとも事件に巻き込まれたのか!?
真実の行方を追った!

『スーパーJチャンネルより』

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問題は・・・
次に父親がインタビュー受けた画面の中にある・・・。
※写真を見てほしい。


父親の後ろには
「洋子のはなしは信じるな」というメモが貼られている。

えっ!! どういうこと・・・!?



行方不明者の情報
http://www.mps.or.jp/mp_list/index.cgi?ID=127
<情報提供はこちらまで>
●MPS(日本行方不明者捜索・地域安全支援協会)
TEL:042-426-9300


Posted at 2011/10/20 19:35:01 | トラックバック(0) | あの事件を追え!! | 日記

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