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2011年01月31日 イイね!

『九州王朝』は確実にあったのです…!!??

『九州王朝』は確実にあったのです…!!??『聖徳太子はいなかった 』
谷沢 永一 (著)
すべては伝説にすぎない―。日本書紀、三経義疏、法隆寺金堂釈迦三尊像の銘など、実在の根拠とされる文献や遺物のどこにどのような問題があるのか。誰がなぜこのフィクションを必要としたのか。その背景には何があったのか。江戸時代の考証から最新の歴史学の成果までを踏まえ、書誌学の厳しい目でスリリングに検証する。禁忌の扉を開き、実在論を完膚なきまでに粉砕した衝撃の一冊。

しかし、残念な事に「聖徳太子はいなかった」論ですが、この谷沢永一氏ではなく…
大山誠一さんという古代史学者が震源地です。
『〈聖徳太子〉の誕生』でこの説を出して、大きな反響を招きました。『東アジアの古代文化』という雑誌で、何度か特集を組み、そこに発表された主要な論文は梅原猛他『聖徳太子の実像と幻像』にまとめられています。大山さんはさらに、『聖徳太子と日本人』で自説を補強しました。今年になって、大山さんと彼に賛同する研究者による論集、大山誠一編『聖徳太子の真実』(平凡社、2004)がでて、かなり幅広くこの問題を扱っています。

次回は『聖徳太子の真実』をご紹介しますわ(*^^)v

あの有名な…隋の煬帝に送った
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」は聖徳太子が送った国書ではない!!
俀(タイ)国(倭国)と呼ばれ中国と通好していたのは・・・、
卑弥呼以降も連綿と続いた『九州王朝』だったのです。
600年と607年に遣隋使を遣わしたタイ国の王は、姓をアメ、字をタリシホコ、王の妻はキミと号し、
王子はワカミタフリと為すと記録されていています。
詳細な論証を読む限り、聖徳太子説に可能性はありません。俀国は倭国とは別らしい??ですが、
大和の国ではないのです。



『吉野ヶ里の秘密』解明された「倭人伝」の世界
古田武彦/著
言わずと知れた…我が師匠の書物でありますが。。。。。。

筑後川北岸中心説、筑後川流域中枢説を、熱心に批判攻撃し、「邪馬壱国=博多湾岸中心説」を主張してやまなかった古田氏ですが・・・(;一_一)
“九州説の中でも、島原説(宮崎康平氏)、筑後山門説(星野恒・橋本進吉氏等)、筑後川北岸中心説(安本美典・奥野健男氏等)、宇佐説(富来隆氏等)、京都郡・田川郡説(重松明久・坂田隆氏等)など…”
筑後川北岸、筑後川流域である吉野ヶ里から壮大な遺跡が発掘された訳ですから。。。
安本美典氏に相当に叩かれてます。

自分も今まで、2度“吉野ヶ里遺跡”にお邪魔して色々と勉強させて頂きました。。。
実際に発見された当時の衝撃は凄まじくて、連日訪れる見学者で長蛇の列。展示物を見るのに2時間待ちは当たり前の盛況ぶりでした。
この人達の群れは…正に日本の古代に対しての好奇心と探求心だったのでしょう。

とにかく…邪馬壹(台)国は…
九州にあった事は間違いなし!!(笑)




Posted at 2011/02/01 16:07:41 | トラックバック(0) | 古代史の本 | 日記

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