今日はチョイと時間あるので…
最近、
巷で噂のあの話を解り易く書きますわ!!
タイトル的には…
『イスラエル人は古代日本に来たのか・・!?』
ある程度浸透してるお話しなので、皆さんは御存じかも知れませんね~
でも、あくまで嘘・噂で…
都市伝説で…
眉唾だと思ってる方は…少しだけ話を聞いて下さい。。。。。
日本の天皇家は、現存する皇室としては世界最古の歴史を持ってます。
日本建国から同じ血統を引く一族です。
まさに天皇家は日本の歴史そのものと言っても過言ではありません。
日本書紀によれば、神武天皇が帝国を創建したのが紀元前660年ですが、この時代は古代イスラエル王国がソロモン王の死(BC928年)後、北イスラエル王国(10支族)と南ユダ王国(2支族)に分裂し、北イスラエル王国はBC722年にアッシリア帝国に滅ぼされ、10支族はイスラエルの地から連れさられ以後
行方不明(失われたイスラエル10支族)になります。
南ユダ王国はバビロニアに滅ぼされ、2支族はバビロニアに連れさられますが(バビロン捕囚)、ペルシャ帝国がバビロニアを滅ぼし、ユダ王国の2支族は故郷に戻る事が許されました。
日本の建国は、北イスラエル王国の10支族が、国を追われ、東に向かい、アジア各地に散ってから、約60年後のことであり、日本の天皇家の家系図があまりにも北イスラエル王国のリーダーであったエフライム族と酷似し、日本の文化・風習が古代イスラエルのものとよく似ているため、失われたイスラエル10支族が日本にきて、エフライム族が日本を建国した…という説があります。
イスラエルから日本までは、直線距離で約10,000Kmなので、
例えば1日5Km進むと約5年で来れます。
ラクダや馬に乗ればもっと楽に来ることも出来たでしょう…。
決して現実味のない話ではないのです。
現在イスラエルでは、失われたイスラエル10支族の探索と帰還を図るため、「アミシャーブ」という専門の機関を作り、既にアジア各地でDNA鑑定も含め10支族の末裔を見つけています。
最も有力な候補として日本の天皇家を挙げてます。
「アミシャーブ」の探索によれば、シルクロードの終点にある日本にも「失われた十支族」が来日し、日本の中枢に大きな影響をあたえた証拠が多くあるとし、特に神道の祭祀にヤハウェの神殿の祭祀との偶然ではありえないような類似点が多く残っていると言っています。
また、聖書に記述にある「過越しの祭り」「仮庵の祭り」も日本の正月の祭りなどに残されています。
神武天皇の名前は、カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコトですが、
現在の日本語では意味不明で理解出来ませんが、これは古代ヘブライ語で考えると意味を成します。
古代ヘブライ後で、 カム・ヤマトゥ・イヴリ・ベコ・シュメロン・マクト
すなわち
「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」という意味になります。
ちなみに、サマリヤは、古代ユダヤの北イスラエルの首都です。
そんな訳で・・・話せばキリがありません。
イスラエル人は古代日本に来たのか?
・・・証拠を挙げれば沢山あります。
それが真実であっても・・・
ただ、現時点では
暗黙なのです。
今回は・・・
簡単にどうして?イスラエル人は10,000Kmも離れた日本に来たのか・・・
失われたイスラエル10支族の簡単な説明をしました。。。
私の得意領域はあくまで
『邪馬台国と日本古代史』ですので
(簡単に記しました↑『失われたイスラエル10支族』に関しては資料を参考にしました。)
最後に、タイトルの答え…
ユダヤ教も、もともとは多神教なんです。
(一神教に変わってゆくのはモーゼ以降です)
只今、グループ『日本古代史のミステリー 通説を覆せ!! 』では
邪馬台国最新論『吉備邪馬台国説』や『失われたイスラエル10支族の謎』
今後は禁断の『フリーメーソンの謎』などの新展開を考えてます。
興味ある方は↓!!
Posted at 2014/05/15 18:45:49 |
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