ph.1のウーノを受け取りに3日かけて宮崎まで行ってきました。
最後はとんでもないことになりましたが、無事帰還いたしました。
まずは最寄り駅から高速バスで成田へ向かいます。
今回は別府の病院に入院してる義父のお見舞いもかねていて、妻とは別行動で九州へ向かうことになりました。
最初ソラシドエアで予約入れたら妻がJetstarのが安いからとそっちにしろと言うので変更、羽田発が成田発になってしまったんですが、あとで聞いたら妻は大分へANAで行ったと。
なんでだ~。
でもJetstarのエアバス、適度に揺れて輸送機みたいでよかったですよ。
銀色だし。
銀色のジェット(by大滝詠一)
2時間ほどで気温が5℃は違うんじゃないかという宮崎に到着。
ph.1を譲ってもらうとしひろさんに空港まで迎えに来てもらって、途中ファミレスのジョイナスで遅い昼食。
余談ですが、九州が拠点のジョイナス、とても安いんで大分の義父宅行った時もお世話になってますが、残念ながら関東には八王子店しかありません。
美味しいのに。
そのまま駐車場へ行き、ph.1の受け渡しをしました。
ガンメタのph.1の初期生産で、ウーノに乗って25年、ウーノ博士(笑)のとしひろさんによると後期と違いクラッチやシフトなどはウーノ70と共通になってるそうです。
乗ってみると確かにクラッチが軽く、エンジンの吹き上がりも軽くて、昔の地味イタのHIROさんの70を思い出しました。
逆に、としひろさんが当時乗ってた45はもっとがっしりした印象があったので、面白いなと思いました。
この印象は経年劣化だけでは無い気もします。
僕もウーノに乗って20年の助六ですが(くどい)うちの25年ものの赤ph.2も別にパワーダウンした印象はないし、むしろこのph.1よりギシギシ言うくらいです。
元地味イタのえなさんの白ph.1後期型(88年以降)はもっとクラッチが重くてターボもどっかんだった気がするので、このウーノはずいぶんとマイルドで、あー80年代だなぁという懐かしさでいっぱいになりました。
もっとも地味イタの頃の懐かしさだから20年前になるんでしょうけども。
こちらはとしひろさんの日常カーの最終型セイチェントです。
このリアハッチの反り返った袖がキモだと思います。
遠くから見るとどこかの知らない地味な車、使ってみると細部のデザインにやられてしまうというのが、地味イタですよね。
エアコンガンガン効くそうですよ。
としひろさんは他にガンメタの並行595も持ってるんですが、助手席に乗せてもらったらすごい加速。
ウーノph.2のバカ加速を思い出し、ちゃんとトルクステアも生じてました(美点)
でも、それも誰かに売りたいみたいです。
なんでだ~。
車を受領して翌朝、宮崎を出発し、東九州自動車道で別府まで。
でも途中、山道をちょっと走る。
慣れてないので、まだろくなギアチェンジもしませんが、いい感じです。
昼過ぎにやっと義父の入院する別府の病院に到着し、お見舞い。
古い結核の療養施設のある病院です。
ここで妻とその妹と遭遇。
ついでに大分空港まで送ってけと言われたけれど、リアシートは倒してあり予備部品満載で、おまけにバンパーまで積んでるから駄目と言ったら怒ってた(苦笑)
もちろん足車なので、活躍できず少し残念。
この頃、翌日の22日関東地方に大雪の情報が入ります。
でもまぁ、昼過ぎから降ってその頃家に着くので大丈夫だろうとタカをくくっていました。
これで後ほど酷い目に。
帰りは別府港から大阪まで、さんふらわあ あいぼりです。
ほれぼれする素敵な船体です。
以前は九州から東京の直行便があったのに、それが廃止されていたのが残念です。
でも代わりに東名からウーノで走れるから、それも楽しい。
飛行機、車、船と今回は乗り物三昧です。
イタ車でフェリーに乗るのは初めてなので、少しドキドキしました。
特に上デッキに登る斜面が急なので、神経使いました。
さらば別府港。
夜景がとても美しい。
船内でお食事券でバイキング、安くて美味しい。
もっとも船らしい2等寝台の網をかけた物置き。
網ならキーも眼鏡も落ちてこないし、欲しくなりました。
翌朝6:30に大阪港に到着。
これはその乗り降りの様子です。
せっかくの関西なので少し寄り道したのもありますが、ちゃんと調べて行かなかったので、名古屋まで行くのに時間を食ってしまい、浜名湖SAに着いたのは昼頃。
高速のウーノの加速の伸びは良く、ターボラグも感じさせずまったくストレスありません。
30年まえの車だなんてとても思えません。
しかし天候は清水を抜けたあたりからおかしくなり始め、箱根の山を登り始めると急に降雪が始まりました。
それもかなり激しい。
周りの車のスピードも落ちて、ノロノロと峠を登っていきます。
うちと同じくノーマルタイヤ車も多いみたいで、ところどころで路肩に停車する車も。
雪が激しくなるにつれ、だんだん不安も大きくなってきて、必死にノーマルタイヤ雪中走行のイロハを記憶検索してました。
こんな山中で停まったら最後、立ち往生して動かなくなると思い、とにかく箱根の山を越えるのを第一に考えて惰性走行を心掛けました。
長いトンネルに入るとほっとして、抜けるとまたドキドキの繰り返しで、なんとか平地の伊勢原まで抜けました。
そこら辺から横浜まで除雪剤を撒いたと電光掲示板に表示されましたが、雪は収まること無く降りしきり、横浜が近づくと出口渋滞が始まりました。
これはあかんやつやと思いました。
としひろさんとメッセンジャーで状況についてやりとりしながら、付近にある地味車屋のガッティーナさんに避難することも考えましたが、行ったことないし、途中に急な坂道があったらアウトだし。
この雪の中オイル交換してくれませんか?と訪ねてみたかったですけどねw
あれこれ迷っているうちに海老名を通り過ぎてたので、仕方なく終点まで頑張ってとりあえず環八まで行ってみようと。
ここまで来るともうガッティーナさんの線は消えてましたが、環八も渋滞です。
こっちからだと普段でも必ず高井戸の手前で渋滞します。
迂回したいけど、片側一車線道路はエンジン不調の時に逃げ場がなく不安です。
その時目前に甲州街道の陸橋が見え、あ、陸橋も駄目だ、この積雪じゃ下りでどうなるか分からないと思い、とっさに側道へ逃げて左折しました。
ここから陸橋もないなるべく広い通りを走ることにしましたが、甲州街道も渋滞です。
水温計は110℃を越えてきましたが、どうやらそれ以上は上がらないみたいで一安心。
あまりに寒すぎてオーバーヒートしなかったんでしょうか。
一瞬排気警告灯が点いたりしましたが。
しばらく進んで右折して吉祥寺街道に入り、新しく出来た広い伏見通りを右折して自宅方向へ走ることにしました。
この頃からますます寒くなってきて、温風の出し方が分からないことに気づきました。
メッセンジャーでやり方をやり取りしますが、どうもうまく行きません。
凍えながらメッセンジャーしながらノーマルタイヤ雪中走行は非常に危険ですね(笑)
吉祥寺通りの渋滞もなかなか酷く、空いたら空いたで2速走行ですが、この頃からこのウーノ30年物なのに、雪中渋滞数時間とか、なんて耐久性なんだと惚れ惚れするようになってきました(凍えながら)
ようやく広い伏見通りに右折して、もう安心と思ったらこの先に鉄道をくぐる隧道が2本あることを思い出しました。
隧道の手前でいったんハザードを出して計画を立てます。
問題は登りなので、トンネル内で登りきれるだけの速度に加速するしかありません。
車の流れが途切れるのを見計らいトンネルに突入し、思った通り厚いアイスバーン化した斜面をクリアすることに成功しました、2回。
伏見通りが終わったところから自宅までわずか2キロです。
もう楽勝です。
と思ったら2車線道路で渋滞です。
まったく動きません。
車内は寒くなる一方です。
そうか、この先に長い緩やかな坂道がある、雪の時は坂道の手前で渋滞が起こる、そう気付いたときは後の祭りで。
僕の家は坂道の手前を右折して500mなんです。
そこで30分くらいムダに凍えて、左にファミレスがあったので、急遽批難することに。
もう夕方の6時過ぎでした。
ここで夕食も取り小一時間温まって出てきたら、車は雪に埋もれてましたとさ。
というわけで残りはなんだかんだ雪をかき分け帰ったので、以下略です。
今回の寒波はすごいみたいです。
みなさんのご無事もお祈りいたします。