2012年02月12日
Racing on No.457全日本F3000特集号感想
本当は、細かくレポートするつもりだったが(したくなったが)
販売の邪魔をしてはイカンのでほどほどに。といいつつも結構なボリュームになってしまった。ノリにノッて記者名まで記してしまった。
■前向上 by遠藤俊幸
■チャンピオンマシンギャラリー
91年片山右京搭乗車両 by遠藤俊幸
CABIN T90 DFV
カラーリングが微妙に91年時と違うのは、(92年の)琢弥用に仕上げているためでは?との推察がされているが、ノーズコーンの先端のSHOEIロゴがその推察が間違っていることを示している。
琢弥はAraiユーザー
94年マルコ・アピチェラ搭乗車両 by大内明彦
TRY DUNLOP DOME F104
F3000でTRYを知った。(正確には前年からスポンサーをしていた)
だから今でもCMが流れると、あのTRYだ、と特別な感情を抱く。
海外コンストラクター製と比較して、日本人らしい細かさが随所に表れているデザイン。
丁寧にトップフォーミュラ史をなぞった(by遠藤俊幸)後に、
個人的メインイベント
■ロス・チーバーインタビューby大谷達也
一言感想。ザ・レーサー。
94年での引退以来一切働いていない。日本で得た報酬と投資で生活。
1ラップの速さでは誰にも負けない。
自分のスタイルは、アウト側の後輪重視で、星野さんのアウト側の前輪重視とは違っていた。
童夢から、チームルマンへの移籍は、エイドリアン・レイナードのつてで。
星野さんとは命を賭けて戦った。心から尊敬している。
決勝で遅い理由は予選とはドライビングスタイルを変えなかったから。物わかりが悪かった。
ベストレース:レースではなく、オフシーズンの鈴鹿テストで史上初めて40秒台を切ったラップ。
レースを辞めて日本の人たちとの関係を絶ってしまったのは大きな過ちだった。連絡先は誰に教えても構わないよ。
→星野へのリスペクトとの最後の一文には胸が詰まった。
本間監督や土沼エンジニア(当時)へのコメントがカット(予想)されたのは残念。
レースの写真は例の87年西日本と94年のテスト以外は91年一辺倒。自分は92Dの方が好きなので残念。
■星野インタビュー by遠藤俊幸
(チーバーのコメントを受け)嬉しいね~
セットは絶対に硬くなかった。ソフトで走りきれるのが、星野パターンの所以。
何から何まで気を遣って走るんだから当たり前。アタマも使わないと勝てない。
■AGSインタビュー by大谷達也
94年最終戦鈴鹿の1コーナーでアピチェラがアウトからかぶせてきたのは間違った行為。最悪の場合、死に至るケースがある。
小河さんの死を受け入れるのは容易ではなかった。
福井監督には本当にお世話になった
→福井監督とのツーショットは泣けた・・・
■全日本F3000全史 by石井功次郎
→ランキングリザルトには文句をいいたい。
エントラントとゼッケンの記述が無い!
どこのチームで、というのは重要なファクター。
見かけないカットの際には、ゼッケンが手掛かりになるしs
忘れていた事は、92年にヒーローズが、童夢F103を走らせていたこと。
あったなぁ。
■シャシー史 by大串信
童夢、奥による開発振り返り
その他オリジナルシャシー史では、92年のオフシーズンにムーンクラフトが走らせたMC060の記事が無かったのが残念。エラく格好良かったのに。
■エンジン史 by石井功次郎
無限・勝間田、ケン・マツウラ・松浦、今井自動車・今井のコメントを絡めながら全史を総括
■服部尚貴インタビュー by大串信
→F3000で大きく羽ばたいたレーサーと言えば、彼か、黒澤琢弥。
F3との差が圧倒的でF3000は肉体的にきつかった。
支給されるタイヤには、レーサーによって明らかな差があった。
F3000から撤退するとき、渦尻代表はスポンサーとセットでルマンにシートを用意してくれた。恩人。
印象に残った外国人は、ダントツでミハエル。フレンツェンも凄い。アーバインは微妙。ロス・チーバーは凄いと思ったことが無かった。
→ただ、ぼくの記憶では、乗ってイチバンインパクトがあったのはF3だと語っていたので・・・
渦尻氏はJLMCの顛末でやいのやいの言われることも多いが・・・
意外に辛い、レーサー評。アーバインは天才・長谷見に引退の覚悟を決めさせたレーサーだし、
■タイヤ史 by大串信
BSvsDLvsYH
唯一三つ乗り継いだチームがあって、それはセルモ。感謝の人、佐藤代表が振り返る。
■幻のオールジャパンF1チャレンジby Saka, Kazuaki(唯一、存じ上げないライター)
フットワーク、鈴木亜久里、ムーンクラフト、ヤマハ(松浦)
88年のMC030実戦投入がスポンサーの意向により、遅れたのが今でも悔やまれる。
F1目指すのに最優先としたいのは、チームはシャシー開発を、スポンサーは実績を。
結果的にこの4社でF1へのチケットを手に出来なかったのは・・・
■エディ・アーバインインタビュー
93年のF1日本GPでは、佐藤さんがセッティングしてくれたおかげで、8番手のグリッドを得た。
星野は本当にグレートだった。
■影山正美インタビューby
■土沼広芳インタビュー
ロス・チーバーはとにかく「イチかバチ」かだった
■浜島裕英インタビュー
■記録に残る男、和田孝夫 by遠藤俊幸
■小河等、村松栄紀 by林信次
→二つの写真集、36とD.N.F.と絡めて
スポット参戦した鈴鹿で亡くなってしまうというのがなんとも・・・
ぼくもテレビ生観戦していた
アタッカーを担当していたのは、右京や中谷さんではなく村松という記述は、
リザルトからではもう見いだせないのでこのような文献はありがたい。
ところで、
全然関係ないが、村松と言うと週刊プレイボーイ誌の村松康生も忘れられない。N1で中谷さんと舌戦を繰り広げたので・・・
■夢の先で散ったガイジンたち
ローランド・ラッツェンバーガー、ジェフ・クロスノフ
■そして終焉(と希望) by遠藤俊幸
高木虎之介インタビュー
踏んで攻めればタイムに反映されるマシンだった94~95年が最強に速いマシンで、それがトップフォーミュラの在り方。
■ガイジンたちと日本人のバトルは熱かった byアダム・クーパー
→懐かしい。日本に在住したライターで、レーシングオンでも活躍していた。
■終わりに by遠藤俊幸
→最高に最高。
締めは胸がキュンとしたね。
少しだけ引用すると、「星野も頑張ってるって、チーバーに言っといてよ」
ロス・チーバーをインタビューした大谷達也氏に、ありがとうと感謝の意を伝えたくなった程に感動したけど、術が無い・・・
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Posted at
2012/02/12 11:26:46
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