
この間、オルセー美術館の話を書いたら、建築家の友人とこんな話になりました。
彼女「芸術って言われると、なんか見まがえちゃう人、結構多いよね。」
僕「確かに、エラソーな評論家のセンセーが小難しい解説してるのを聞くと、特にそーだね。」
彼女「でも、建築を考えてると、日々の生活そのものにどうやって小さな感動や気付きを入れ込んでいくかって、すごく地面に近いところでのアートっていうのかな、そんなことを凄く意識する。」
僕「実際、僕は生きてるってことそのものが最高の芸術だと思うよ。評論家はメシのためにしょうがなく実は極めて主観的でシンプルなことを言葉で飾り立ててるにすぎないと思う。」
そうなんです。ゲージツなんて、「分かる」とか「分からない」なんてものとは180度対極に存在してるもんなんですから。究極の右脳型インスピレーションの対象に、がちがちの左脳型解釈を嵌めようなんて、空の広さをミリグラムで表わそうとしてるようなもんで、どだい根本的にお門違い。クラッシック音楽やジャズなんてのがその最たるもんで、音楽なんて所詮聞いてあるいは演奏して自分の気持が動かされるかどうかでしかないはずなのに、下らん議論が多すぎます。
何かを見たり、触ったり、噛みついたり、嗅いだり、全速力で走ったり、ヒヤっとしたり、アツって思ったり、悩んで落ち込んだり、あまりに嬉しくてボーっと歩いてて電柱にぶつかったり、舐めたらしょっぱかったり、カーブで曲がれるか怖い思いをしたり、ノドが渇いてしょうがなかったり、全部せーんぶ、人間の生身の体験と、そこへの気付きや驚きや悩みや辛さや喜びだし、それこそがゲージツです。
ってことで、僕はできるだけ自分の感情の振幅を振れさせるように、いろんなことをやってみよう、色々本気でチャレンジするぜ、というスタンスです。結果として大変なことになっちゃうこともありますが、それこそが生きてるってことだし、それこそが最高のゲージツなんだと思います。
昨日のミニツーリングも、強烈な風圧やカーブでのスリル、遠くに海が見えてきた時の感動なんかで、生きてるぜって感じがビンビンするゲージツでした。
ま、そもそも性格が極楽トンボなもんで、多少のことではクヨクヨしないってのが根っこにありますけどね。今日もトンボは勝手に翔んできまーす
Posted at 2010/05/16 10:34:49 | |
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