• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

自然に天然のブログ一覧

2010年02月03日 イイね!

スタンス、取ってますか?

スタンス、取ってますか?相撲協会の理事に貴乃花が選ばれたのは、けっこう驚きでしたね。

貴乃花の支持グループ以外にも、実は現状の相撲協会のあり方に対しての批判勢力が他の一門にも存在しているということが明らかになりました。今回貴乃花に票を投じなかったとしても、心の中では現状に疑問を持つ親方は他にも居ることと思います。

貴乃花が選ばれてからのメディアの報道姿勢を見ていて思うのは、「結局選ばれはしたが、果たしてどこまでできるのか見ものだ」というような高みの見物的姿勢が多いこと。「誰が貴乃花に投票したんだ」という野次馬根性もありますね。

相撲協会のあり方に対して、「こりゃあおかしいよ」と思う人は多いことと思いますが、メディアは切込みがいまいちです。相撲協会ににらまれると関連記事の取材がやりにくい、というメディア側の保身が働いているのでしょうか。日本のマスメディアは欧米に比べてその情けなさが際立ちますが、最近もその面目躍如たる形ですね。


さて、貴乃花の挑戦ですが、実際のところ相撲協会を大きく変えるのはまだ難しいと思います。でも、彼がスタンスを取って挑戦する、ということ自体にとても大きな意味がある、と僕は思います。

ある意味、相撲協会は今の日本の縮図というか、日本の悪い面をぎゅっと絞ってエキスにしたようなものではないでしょうか。過去の既得権にしがみつく年寄りが意思決定を牛耳り、不祥事が起こってもできるだけ隠し続け、明るみに出たとしても非を認めず、改革しようとする若手に対しては寄ってたかってプレッシャーをかけ妨害する。

以前も書きましたが、そんなことやってる集団は自滅へのカウントダウンを早めているようなもんです。

日本という国においても、既にそれなりの地位に上がった人々が、自分たちの既得権を守りたくて若い者の邪魔をする、というのは、当人たちにその意識がなくても非常に良く起こっています。政治の世界がそうですし、銀行や建設など、グローバル競争や自由化の波にさらされてこなかった業界でも大変よくある話。当人たちは、過去の成功体験も手伝って「お前ら何にも分かっておらん。物事には秩序というものがある」というような御託を並べながら、結果的に改革を押しつぶす抵抗勢力になるわけです。

皆さんが属する組織の中でも、多かれ少なかれこういう状況があるのではないでしょうか。問題は、そこで誰かがスタンスを取って変革に挑戦できるかどうか。相手の組織が大きくなればなるほど、簡単に押しつぶされそうだしやるだけ無駄だ、という気持ちになることでしょう。

でも、日本という国自体が本気で変革していかないと隣の国あたりにぶっ潰されてしまうかもしれません。ぶっ潰されないまでも、下手をすると経済的属国のようになってしまうかも。もちろん現在までの日本だってアメリカの経済的属国だったじゃないか、という見方もできますが、今度はたぶんプライドまでぺっちゃんこにされて下手をすると自由な生き方もできない、という可能性だってあると思います。

ちょっと悲観的過ぎるかもしれませんが、実は結構危機がそこまで迫っているのは間違いありません。隣の国がどうもしなくても、働く現役世代が減り、サポートを受ける高齢世代が増えていく国として、今のレベルの低付加価値+高コストの構造のままでは国民全体として生活レベルをぐんぐん下げないことには持たなくなることでしょう。


ということで、今の現役世代、そしてそれよりも若い世代は出る杭になって打たれることを恐れず、スタンスを思い切ってとって、挑戦していくことに本気で取り組むことが必要ですね。

貴乃花の挑戦はそれを教えてくれている気がします。



以上、いつものごとく勝手な戯言あしからず、でござりまする。
Posted at 2010/02/03 21:51:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一般 | 日記
2010年01月31日 イイね!

良いものなんだから、より高く!?

良いものなんだから、より高く!?この間香港に行ったときに、いろいろな店を見ていて思いました。

よくもまあ、世の中にはいろんなブランドがあって、それぞれ頑張って消費者に自分の商品を売りつけようとしてるもんだなって。

アジアの人たちも結構ブランド好きのようで、ショッピングモールを歩いている女性の多くが、垢抜けない服装の人も含めてルイ・ヴィトンのバッグ(あるいはそのイミテーション)を持っていて、ふた昔ほど前のバブル全盛期の日本をちょっと思い出しました。

考えてみると、いわゆる高級ブランドの大半はヨーロッパ系です。一部ハリー・ウィンストンのようなアメリカ系もありますが、例外的。日本発の高級ブランドといえば、何でしょうか?日本では和服、工芸品などの分野で有名な職人や産地による贅沢品が栄えましたが、ブランドというのとはちょっと違うかな?でも「輪島塗」なんてのはブランドみたいな感じだったのかも。レクサスは?これもちょっと違うかも。


ブランドというものを通じて、メーカーは消費者に「安心」や「憧れ」、「持つ喜び」、「自慢する楽しみ」などを提供しています。消費者はそれに対して、ブランドのないものよりも高いお金を払うことで応えています。全く同じ材料と工程、職人の熟練度でルイ・ヴィトンと同様のバッグを作っても、LVのロゴが入ってなければ当たり前ですが思いっきり安い値段でしか売れません。それどころか贋物呼ばわりされますね。

つまり、ブランドというのは結局のところ「購買者が感じる精神的な価値」に他なりません。別の言い方をすれば、「購買者に幻想を抱かせることで物理的実体以上に高められた価値」ということです。身も蓋もありませんが、そういうことです。


なぜ日本発の高級ブランドがないのか、と考えると僕にはなんとなく「日本人が真面目、というか、余裕がなくなるほど真面目すぎるから」というのが理由のように思えます。

日本のメーカーが作る製品の多くは、品質的にはとても優れてます。細やかな気配りにあふれ、個別の製品ごとのばらつきもありません。

ただ、そういう製品を一生懸命、一途に真面目に「いいものにしよう」と頑張ってしまう結果、消費者から見て「お!」となる面白さや驚きが逆になくなってしまい、「客観的に冷静に評価すると高い点数が付く」でも「ワクワクしたりあこがれたりする対象になりにくい」ものが多くなってしまうのでは?アップルのiPodなんて、技術的には特に最先端でもなかったのに、ユーザーとしてはとてもワクワクさせられたし、iPhoneになってますますはまってます。日本のケータイメーカーがiPhone作ろうとしても、ついついボタンをいっぱい付けちゃって、結局みょーにカッコ悪いものになっちゃうんでしょうね。

さらに、消費者に売り込むときにも真面目に「この製品はこんなに良くできてます。しかもお値段もお買い得!競合のあの会社の製品よりもお安いですよ」ってな感じにアプローチしちゃう。トヨタが、ホンダのインサイトに対抗してプリウスを安くして売ったのなんかがいい例ですね。

僕の個人的意見ですが、こういうことをやってるから日本のメーカーはダメになるんだと思います。

いいもの作ってるんだったら、必死になってどうやって高く売りつけるかを「実態的価値」だけじゃなくて「精神的価値」あるいは「妄想的価値」まで含めて考えに考え抜いて、こだわり抜いて売らないとダメです。だって、それだけ価値あるもの作ってるんでしょ。(実際には、もっとワクワクさせるものを作らないと、ってのもあります。平均的優等生の製品ではなく)

それができないから、日本の企業はほとんどの場合同業種の欧米企業に比べて利益率が低いように思えます。唯一頑張ってきた自動車産業だって、これからは大変です。韓国メーカーも「そこそこ良いもの」を作るようになってきたし、電気自動車の時代になったら中国、インドの企業も伸びてくるでしょう。単純に「いいもの作れば買ってもらえる」ってワケにはいきません。


時計の世界でも、例えばランゲ&ゾーネみたいに無理やり創業者の子孫を引っ張り出してきて、実際上は昔のブランドで作っていたものとは全く繋がりがなくても、そのブランドストーリーを強烈に宣伝するのと同時に時計マニアに受けるポイントをついてそれなりにコストをかけた良い製品作りを行い、実態的価値を大幅に上回る値付けを行いながらも、短期間に大きく躍進した、というようなことはセイコーには全くできてません。良い時計を作ってると思いますが、セイコーが500万円の時計を出しても今のブランドのままでは誰も買いたくなりませんよね。でもランゲだったら喜んで買う人がいっぱい居るわけです。


なんだかしょうもないことを脈絡なく書き連ねてしまいましたが、やっぱり日本企業ももっと「儲けるぞ!いいもの作ってるんだから、なんとしても儲けるぞ!!」という意志をむき出しにして、「良いものなんだから、より高く」買ってもらうことに正面から取り組むべきでしょう。

「デフレだから、どんどん安くするしかない、ちょっと品質が落ちても安いんだから消費者も我慢するよ」、な~んて考えてモノづくりをやっていたら、自殺行為だと思いますよ。中国企業の思うつぼにはまります。

人間、自分にとってドーデモいいものについては節約したいですが、自分が好きなものについては気に入った高いものを買うのは嬉しいんですよ。そういうときには理屈じゃありません。「言い訳」はいっぱいくっつけますがね。ですから、日本メーカーの皆さん、僕たちが喜んで高い金を払いたくなる製品を、僕たちがあこがれるようなブランドのもとに出せるように、必死に取り組んでいってみてはどうでしょうかね?だめ?



いやはや、いつものごとく、無責任な天然野郎のたわごと、しっつれいしやした~。




Posted at 2010/01/31 21:13:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一般 | 日記
2009年12月20日 イイね!

エコはエゴ。 そこんとこハッキリと、ね。

エコはエゴ。 そこんとこハッキリと、ね。さてさて、コペンハーゲンでのCOP15という環境の国際会議も、なんだかワケの分からない力づくの結末になってしまったようです。日本のお隣の13億人以上も人口のある大きい国が、まるでドラえもんのジャイアンみたいに我儘を押し通した印象です。まさに、国家同士のエゴの戦いですね。


でも、そもそもいわゆる「エコ」ってのは所詮は100%人間の「エゴ」だし、どこまで行っても「エゴ」でしかないということは一度みんなで確認したほうが良いと思います。「エゴ」のカタマリを感傷的な偽善の衣でくるんで、商魂の油でからっと揚げて、一般消費者に喜んでパクパク食べてもらってる、ってこと。


エコのキャッチフレーズとして、「地球に優しい」ってのがよく言われます。極地の氷が融けちゃってシロクマくんがかわいそう、って。ま、確かに絶滅の危機に瀕するシロクマくんには同情します。でも、「地球に優しい」ってのは違うでしょう。

なんでかっていうと、例えCO2が増えて温暖化がすすみ、仮にシロクマが地球の上からいなくなっちゃったとしても、さらに言えば、人類がいなくなっちゃったとしても、地球にとっては辛くもないし、寂しくもないってのは、言うまでもなく当たり前です。50億年ほど前、生まれたての頃の地球には大気もなく、とても生命が存在できるような環境ではなかったのですが、それも単に地球のありようのひとつでしかないわけで、生命のあふれる現在の地球と比べて、「客観的」にどちらが良い悪いと言う価値の違いはありません。


結局のところ「エコ」は、「現在の人類にとって、今の安穏とした暮らしを送れる居心地の良い環境を維持すること」を唯一至上命題とした、先進国を中心とした人類の「エゴ」による主観的な取り組みに過ぎません。それを、「地球に優しい」だとか、「シロクマくんかわいそう」だとか、センチメンタルな言葉で飾るのはやめたほうが良いでしょう。極めて冷徹に合理的に、現在の状況はどうなっていて、根本的な問題とその原因がどこにあり、どういう対策が必要なのか、というところを突き詰めて行くことが、人類の生存のために不可欠なのに、表層的な偽善と自己満足と商業主義に踊らされて終わり、ってなことになりかねない現在の状況は、実は結構危険なのかも。

例えば「マイ箸」ってのも、本当は国産の間伐材を使った割り箸を活用したほうがよっぽど森林の保全に役立つのに、「使い捨ては無駄に見える」という近視眼的思考が、持ち運び用の箸を売りたいメーカーと小売に上手く利用されているという説があります。間伐材の処分ができず、森が荒れてしまったりと言う問題もあるようだし。また、使い捨ての割り箸を焼却すればC02が発生するので良くない、と言われますが、野ざらしになった間伐材や端材も早晩微生物によって分解され、どっちにしてもCO2が発生するわけです。

はたまた、「江戸時代はエコだった。もっと江戸時代の生き方から学ぼう」と言うような趣旨の本を見かけたような気がします。だったら、きっと平安時代のほうがもっとエコだったでしょう。いや、それよりも縄文時代だし、それを言うなら、旧石器時代は僕の推定では相当にエコだったはず。じゃ、「旧石器時代の生き方から学ぼう」ってのは誰も言わないのはなぜだろう?おしゃれなエコバッグとかを持って「自分にできることから少しでも」なーんて、本質から相当ずれてるような気がしませんか。(この辺の「自分らしく、自分にできること」シンドロームについては、別の機会にお話してみたいです)


さて、仮に温暖化が進むとゴキブリが絶滅する、ってことが分かったらどうなんでしょうか?「ゴキブリさんを救おう」ってキャンペーンが始まるのかな?アース製薬やらキンチョーやらは、ゴキブリの敵って非難されちゃうんだろうか?もちろんそんなことありえませんよね。だって、ゴキブリは人間から見て「迷惑だし気持ち悪い害虫」なんですから。だから見かければ殺虫剤を吹きかけるし、コンバットで巣ごと退治しようとしても、誰にも非難されません。(ゴキブリ擁護活動家でも居れば別ですが)。でも、地球的視点で考えればシロクマとゴキブリの間になんら有意差はないでしょう。

結局、繰り返しますが今の「エコ」ってのは、今の安穏とした暮らしを送る人間にとって都合の良いだけの「エゴ」に過ぎない、ってことをみんなでしっかり確認して、じゃ、その目的(我々の生存)に向けての最適な手段は何か、というところを、みょうちくりんな欺瞞や偽善抜きに突き詰める作業が必要なんではないかなー、と思ってます。


ん~、今日はジムで走って泳いで疲れちゃって、頭がボーっとしてワケの分からん屁理屈こねくり回しちゃってます。燃費最悪のクルマで日夜走り回ってる僕にこんな話をエラそーにする資格、全くありましぇーん。どーもすんましぇーん。

ではでは。
Posted at 2009/12/20 22:48:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 一般 | 日記
2009年12月16日 イイね!

謹賀クリスマス あ~んど メリー新年!!

謹賀クリスマス あ~んど メリー新年!!東京には、昔ながらの”江戸”の面影を残すいい風情の町がところどころに残っています。
都心近くの人形町~水天宮付近もそういう一角。

で、数日前にそちらのほうに行ったら商店街の歩道沿いにずらっとちょうちんが並んでます。
そして、ちょうちんには「謹賀新年」の文字が。

いやー、さすが江戸っ子、気が早い!!
確かに、人形町あたりでクリスマスツリー飾って「メリークリスマス!」ってのも似合わないもんな~、なんて思って歩いてたらありましたよ、奥さん!!

水天宮となりのロイヤルパークホテルは、やはり敷地、ロビーからいたるところクリスマス一色で、クリスマスツリーなんかいったい何本あるんだろ、って感じ。ロビーには、お客さんよりツリーが多いぐらいの勢いで、どっちが客だか分かんない。中には、フロントでチェックインしようとしてるツリーまでいたのにはびっくりしました。(、、、、、はい、そんなツリーはいませんでした。どーもすみません)

ま、とにかく、ツリーがいっぱいだったんです。
でもそこはホテルもやはり地元商店街の一員、歩道のちょうちんにもちゃんと協賛してます。

ってなわけで写真の状況になった次第。「謹賀新年」のなかなか粋なちょうちんの向こうに、きらびやかなクリスマスツリーとライトアップされたトナカイさんたち。


ま、正月とクリスマスが一緒に来たぐらいのめでたさ、ってことで、よしとしましょう!!
Posted at 2009/12/16 23:11:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一般 | 日記
2009年12月09日 イイね!

「さらりーまん」がサイコー!!

「さらりーまん」がサイコー!!南の島の国王からの派遣で、某伝統的大企業で6ヶ月間研修生として過ごしたヒル・アン・ドーン氏が日本について書いた興味深いレポートを入手しました。

以下、一部抜粋です。なお、原文にできるだけ忠実に訳したため、一部単語の発音が誤っている可能性があることを予めご了承下さい。


****************

はじめに
東の大きな島国「はぽん」は、単一民族の国と言われるが、実は三種類の種族から成り立っていることが分かった。「さらりーまん」、「おーえる」と「そのーた」である。

「はぽん」の経済成長を理解するうえで、「さらりーまん」をしっかりと理解することがカギを握る。私は、国王の命を受け「さらりーまん」一族の研究に乗り出した。

外見
「さらりーまん」の外見には、誰が見ても一目で分かる程の明確な特徴がある。それは、"取り立てて特徴がない"という特徴である。それぞれの「さらりーまん」は身につけるものを各自工夫しているようなのだが、5人以上集まるとどれがどれだか見分けがつかなくなる。その証拠に、会合などではまず最初に「めいち」という名札をお互い交換して混乱を防ぐ工夫が一般化している。面白い事に、1対1の会合でも「めいち」が取り交わされる。多分どっちが自分で、どっちが相手か分からなくなるのだろう。我が国のように、顔に色を塗ったり、鼻に輪っかを通せば分かりやすい、と提案したが受け入れてもらえなかった。(ところがある日、「しぷや」という大きな村に行ったら、顔に色を塗って輪っかをいっぱい付けた若い女性ばかりで、故郷のポコタン村を思い出してホームシックになってしまった。) ちなみに、「さらりーまん」の装束は「おすつ」と呼ばれ、「ぼんくらしょう おーへいきょく」というエラい役所で印刷されているため、みな同じ外見になってしまう。なお、目立たず周囲に溶け込む彼らの能力は、かの有名な「にんぢゃ」の時代から数百年ものあいだ受け継がれてきた伝統芸能として、「かぷき」と並び称されている。

部族構成
「さらりーまん」には、我が国と同じように酋長をはじめとする明確な上下関係がある。我が国と違うのは、「さらりーまん」の間ではエラくなるほど仕事をしなくてもよい点である。我々の酋長が勇者として戦さの先頭に立ち、多くの敵を倒すのとはずいぶん違う。「さらりーまん」の酋長は「しゃちょー」と呼ばれるが、彼らは子分が運転する「くりま」(牛が無くても走る牛車のこと)で「かいちゃ」にやってきて、細かい字がいっぱい書いてある大きな紙の束「ちんぷん」を読み、お茶を飲み、「とりしめやく」と週末の芝刈りの話をしながら御飯を食べ、「かいき」の時には考えているフリをしながらしっかり睡眠を取る。おもしろいことに、「しゃちょー」をはじめとする部族の年寄りは昼間は働かないのだが、もう一つの仕事場を持っており、夕方になるといそいそと「きんざ」への「とーはん」出勤に備えるのが常である。さらに不思議な事に、夜になると突然「しゃちょー」の数が増殖する。これは「きんざ」だけではなく、「しんぱし」や「しんちゅく」などでも共通に見られる現象であり、ここだけのハナシだが私も数回「しゃちょー」になってしまったことがある。しかし注意が必要である。夜に「しゃちょーさん!」と呼ばれて気やすく就任してしまうと、給料がもらえない代わりに、目が回るような金額を「まましゃん」などと呼ばれるハデ好きの集金係のおばさんに寄付しないといけない場合が多いのだ。

昼の生態
昼間の「さらりーまん」たちの生活は以下のようである。彼らの一日はまず、健康的なスポーツから始まる。「ちゅーきん」と呼ばれるのだが、我が国の国技である棒倒しにちょっと似た競技で、「ちゅーきんでんちゃ」のドア目がけて皆が殺到する。ドアの中には倒すべき棒がないのに、あれだけ真剣にプレイできるのは不思議としか言いようがない。また、かれらは極めてポーカーフェイスに、この格闘技系スポーツを当たり前の如く行う。さすが「にんぢゃ」の末裔、大変よく訓練されたアスリートである。ごく一部、競技の最中に「さらりーまん」から「さわりーまん」に変身してしまう不届き者がいるようだが、市中引き回しのうえ島流しの刑を受けるため、最近は絶滅危惧種になるつつあると聞く。「しゃちょー」と同様、「さらりーまん」も「かいき」ではしっかり睡眠を取ろうとする。「かいき」の参加人数が少ないと眠りが浅くなるようで、できるだけ大勢を集めようとするのはそれが理由である。それ以外のときには、忍法「なりすまし」の練習と実践である。つまり”いかにして仕事をしているように見せかけるか”の勝負で、これによって「しゃちょー」や「とりしめやく」になれるかどうかが決まる。昼ごはんもアスリートらしく競技になっていて、立ったままで「ためきうとん」をどれだけ短時間で食べ終われるのか、日々勝負が行われている。しかし不思議な事に誰が優勝したのか、「すぽーつちんぷん」に書いてあるのを見たことがない。(これは「ちゅーきん」競技でも同じである)

夕方~夜の生態
「さらりーまん」がその本当の凄さを見せつけるのは夕方からである。彼らは「しゃちょー」と比べて「きんざ」に行く頻度は低いのだが、「ぽかちょうちん」という第二の勤務先に行くことで、一気に経営能力が高まる。私も何回か同行したことがあるのだが、”いかに自分の「かいちゃ」がダメなのか” ”今の「しゃちょー」達の問題は何か” ”そもそも「げんぱ」の問題を解決するには何が必要なのか” ”今の「ぢょーし」のどこをどう変えるべきか”といった重要な経営課題につき、極めて高い視点からとうとうと議論を行い、とどまるところを知らない。まさに、「のーあるとらはへそをかくす」である。場合によっては、”「はぽん」という国のあるべき姿” ”「はぽん」の政治が抱える問題点” ”近頃の若いもんへの提言”をはじめとした天下国家の課題にも明快な答えが出るため、つぎのつぎの「そうじだいじん」はここから生まれることは間違いない。「ぽかちょうちん」で貴重な経営論の勉強ができるのは素晴らしいのだが、翌日「はつかよい」の激しい頭痛のため出勤が難しくなるリスクは覚悟しなければならない。しかし、ここでも「さらりーまん」が凄いのは、どれだけ頭痛に悩まされようとも「ちゅーきん」競技をいつも通りこなし、遅刻せずに「かいちゃ」に来ていることで、我が国では考えられない。ただ、こういう日の「さらりーまん」は99%精神力だけでたどり着いているので、昼間は目を開けたまま気絶している。そして夕方になると復活してまた「ぽかちょうちん」に出撃するのだ。さすがは「にんぢゃ」の末裔である。また、「とくめーかかりちょー」や「きんたろー」と呼ばれる一族の英雄がおり、かれらの活躍は夜になると「てれぴ」という明かりのつく箱で見れる仕組みで、一族の士気を高めている。「とくめーかかりちょー」と「きんたろー」は、うりふたつの一卵性ソーセージである。凄いソーセージである。

我が国にとっての学び
これだけ凄い「さらりーまん」であるが、率直な意見として我が国が輸入や模倣をするのは残念ながら難しい。これは、「かいちゃ」の仕組みがちがうということではなく、「きんざ」や「ぽかちょうちん」が我が国に存在せず、彼らの真の力を発揮させるのが難しいためである。今のところ、変なアブラが地面を掘ればたくさん湧いて出るのを「はぽん」の「さらりーまん」が来て高い値段で買ってくれるので、我が国は当面その程度の付き合いで我慢するしかない、というのが結論である。

なお、「おーえる」というもう一つの重要種族については、私の6カ月の滞在では十分理解することができなかったことは誠に遺憾としか言いようがない。正確な理解のためには、今回のように「ごーこん」と呼ばれるグループインタビューを週に2~3回する程度では不十分であり、より深いお付き合いをする必要がある。次の「おーえる」研究者として我が国成人男子の68%が名乗りをあげていると聞いたが、今回の知見を持つ私以外に適任者が無いことは、いくら強調してもし過ぎではないと考える。

*****************
Posted at 2009/12/09 18:28:42 | コメント(5) | トラックバック(0) | 一般 | 日記

プロフィール

「やっぱりバブルだね http://cvw.jp/b/572203/44975398/
何シテル?   03/30 12:13
いい年して天然ですがよろしくおねがいします。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

12年、24万Km…今まで本当にありがとう 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/09/03 17:02:20

愛車一覧

BMWアルピナ B3 ツーリング BMWアルピナ B3 ツーリング
G21 BMWアルピナB3ツーリングのLCIモデルです。 これで6台目のアルピナですが ...
BMWアルピナ B8グランクーペ BMWアルピナ B8グランクーペ
アルピナ近年の傑作、B8グランクーペが納車されました。 RHD、アルピナグリーンにゴール ...
BMW 1シリーズ ハッチバック BMW 1シリーズ ハッチバック
コンパクトカーが便利な場面も結構あるので。実用車として良い車だと思います。
その他 その他 その他 その他
ブログを書くようになり、これまで時計の写真をちゃんと撮ったことがなかったことに思い当りま ...

過去のブログ

2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation