
クルマで走っていて、皆さん気になるのがその道の最高速度/制限速度ではないでしょうか。高速道路はもちろん、一般道でも環七のように立派な片側2~3車線の道でも40km/h制限となっていて、まるでネズミ捕りのために存在するような道路もありますから、全く油断もスキもありゃしません。空いてる高速を気持ち良く走ってるはずなのに、そんな時ほどバックミラーばっかり気になっちゃう、というのは私だけじゃないはず。(ん??あのクラウンあやしいかも~、って感じでね)
皆さんそれぞれ、色々な対策をされていることと思います。探知機系を装備、ヤバイ場所をナビに登録して注意、常にバックミラーを確認、などなど。もちろん、制限速度を厳守して走れば捕まる心配もなく、また事故の恐れも多分減るんだろうと思います。でも実際の道路では、言うまでもありませんが、走行する車のほとんどが多かれ少なかれ制限速度を上回って走っています。本当に制限速度をすべてのクルマが厳守し、車間距離も教習所で教わる通りにとって走った場合に、平日夕方の首都高や都心の一般道がどんなことになるのか、いっぺん見てみたいものです。
数日前のこと、中央高速を走っていてふと、「これだけのいい道で、120km/hぐらいで走っていてもなんの危険もなさそうに思うのに、なんで100km/h制限なんだろう?」「いったいいつ誰が、どんな理由で高速道路の上限の速度を100km/hにしたんだろう?」という疑問を持ちました。で、ちょっと調べてみたわけです。ヒマですね。
1962年7月に、名神高速道路の栗東~尼崎間71.1㎞が開通し、これが日本最初のいわゆる「高速道路」(高速自動車国道)となりました。これに先立つ6月に、高速道路での最高制限速度100km/h、最低制限速度50km/hが設定されたとのこと。
さて、これを見て皆さん何か感じませんか?
そうです。高速道路の100km/h制限が決められたのは、今からなんと47年も昔なんです。
1962年6月といえば、池田内閣の打ち出した「所得倍増計画」実行の2年目で、日本がまさに高度成長の入口に立った時代です。
1962年6月といえば、大卒初任給が1万7800円で、1ドルが360円、つまりドル建ての月給は50ドルなかった時代です。
1962年6月といえば、ハナ肇とクレージーキャッツによる「ニッポン無責任時代」(シリーズ第1作)の公開1か月前で、あの画面の中の「昭和の風景」がまさにみんなの現実だった時代です。
1962年6月といえば、東海道新幹線の開業2年前で、当時最速の「特急つばめ」が東京~大阪を6時間30分で結んでいた時代です。東京~大阪間は距離にして500km強ですから、停車時間があるとはいえ平均時速は80km程度です。
1962年6月といえば、トヨタ・クラウンの初代がまだ現役で(2代目の発売は9月)、1453cc/60hpのエンジンで頑張っていた時代です。(このクルマがアメリカへの日本車輸出第一号だったそうですが、馬力不足でフリーウェイのランプを登れなかったそうです)
1962年6月といえば、いい年したオジサンを自任する私ですら、まだまだ生まれる前です。
もちろん、当時のブレーキは4輪ドラムが当たり前、タイヤも今から見れば極細のバイアスタイヤ、トレッドパターンやコンパウンドの性能なんて論ずるレベル以前で、高速でのブレーキング能力など推して知るべし、という代物だった時代です。
そもそも、国産車の公称最高速度がやっと100km/hをこえたのが1960年頃です。道路の舗装や路面状況だって、今に比べて劣悪だった可能性は高いと思います。
そんな時代のそんな技術水準の中で、高速道路の最高速度は100km/hと定められたわけです。多分、当時の人からすれば「時速100kmで走れる信号のない道ができた」というのは驚異的なことだったに違いありません。多くの人にとってクルマはまだ手の届かない憧れの対象であり、頑張って所有した人たちにとっても、時速100kmで巡航できるクルマってのはスゴイ、という時代だったんですね。
さて、ここで現代に戻ってみましょう。初代で60馬力だったクラウンは13代目の今、最も廉価版の2500ccでも215馬力になり、4輪ディスクブレーキ、ABS、エアバッグはもちろん、VSC、TRC、EPSなどわけのわからない名称の安全装備テンコ盛りです。もちろんタイヤだって長足の進歩を遂げ、ブリジストンREGNOの215/55R17あたりが標準です。加速力も、コーナリング限界速度も、ブレーキの制動力も、初代とは段違いに優れているはずで、幼稚園児と大学生ぐらい違うのではないでしょうか。
それでも、高速道路の上限速度は100km/hのまま、47年間据え置かれている訳です。
試しに、他の「スピード」がこの47年間でどう変わったか見てみましょう。まずは鉄道です。上記のとおり、当時は東京~大阪間が6時間30分でした。今は、最速で(新大阪まで)2時間25分、この47年間で平均速度は2.7倍になっています。64年に開通した新幹線でも当初は「ひかり」が4時間かかっていたので、現在の方が66%平均速度が上がってます。
飛行機に目を向けると、1962年初飛行の国産レシプロ旅客機YS-11の巡航速度が474km/h、2005年就航の最新鋭エアバスA380が巡航1041km/hですから、こちらは2.2倍になってます。
さすがに最高速度を250km/hとか無制限にしろ、なんて言うつもりはありません。でも、ちゃんとした高速道路や自動車専用道路ではせめて120~140km/hぐらいは認めてほしいものです。最近ではアウトバーンも速度制限のかかっている区域が増えているなど味気ないニュースばかりですが、ここはひとつ日本の心意気でバーンといっちゃいましょうよ、ハトヤマさん!!(高速無料化なんかしなくていいから、むしろこっちをやってほしいのがホンネ)
Posted at 2009/09/03 17:28:28 | |
トラックバック(0) |
クルマネタ | 日記