
以下、クルマ関連の話ではなく、忘備録として書くものなので興味の無い方はスルーしてください。
私がアメリカ駐在のために「名古屋空港」を飛び立ったのが、ちょうど10年前の2002年6月17日でした。
あれからもう10年(帰国して5年)たちました。早いものです。
そもそも会社では生産計画を担当していた事務屋であり、特段技術的なスキルがあるわけもなく、また英語力においては小学生以下である自分にアメリカへの駐在辞令がでるなんて、0.001%も想定しておらず、晴天の霹靂とはまさにこのことでした。
あまりにも唐突なので、当初は「会社ぐるみのドッキリ」か、それとも英語の出来ない事務屋をアメリカで働かせたらどうなるかという「壮大な実験」ではないかと考えたくらいです。
6月にまず単身で現地入りし、4ヵ月後に家族が渡米したわけですが、英語には苦労させられました。
運転免許の取得、家族用アパートの契約、自家用車(MPV)の購入、子供の学校入学手続き、子供の病院等など・・・・。
長女は小学1年生、次女は年中で渡米したのですが、駐在地には全日制日本人学校は無く、現地の小学校とプリスクールへ入学させるしかなく、毎日長女をクルマで学校まで送って行っていたのですが、「イヤだ、帰りたい」と泣く娘を置いておくのはつらかったです。
でも、子供の順応力は驚異的ですね。1ヶ月もすると友達と片言の英語で話すようになって、半年も経つと、学校の先生とも話せるようになっていました。
苦しいこと楽しいことが山のようにあった5年間でしたが、過ぎてしまうと楽しいことしか残っていませんね。
帰国する間際には「アメリカより日本」と言っていた家族達も、最近はもう一度アメリカに住みたいとと言うようになりました。
私は、アメリカで仕事をするのは二度とご免ですが、仕事抜きなら住んでもいいです。
↓ラスベガスのホテルニューヨークニューヨーク
↓毎年ハロウィンの季節になると空き地がカボチャ売り場になりました。
↓野茂英雄が地元のマイナーリーグに居たこともありました。
↓子供達はスクールバスで下校してました。
↓旅行で行ったショーの尾根遺産と娘達。
↓地元のバスケットボールチーム ボブキャッツです。
↓駐在初期のマイカー(MPVとビュゥイック)
↓ビュウイックの次に乗ったポンティアック
↓こんなアパートに住んでいました。 3LDK+3ベッドルーム
↓ニューヨークマンハッタンの夜景です。(中央は娘の残像です。^^)
こうやって過去の写真を見はじめると当時の状況がリアルに思い出されますね。懐かしいなぁ。
ん・・・? 「壮大な実験」の結果ですか? はははは、会社がどう判断したかですが、少なくとも私は最後まで英語は話せるようになりませんでした・・・・。苦笑
Posted at 2012/06/16 21:49:25 | |
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