マジか!?
俺は別の意味で、同じ言葉を胸中に繰り返していた。
タンデムで峠を攻めるなんて、そんなに簡単なはずはない。リアシートに六十キログラムもの荷物が載っているのだ。車体姿勢は思いっきり後ろ下がりになっていて、バイクの挙動は大きく変わっているはずだ。それなのに、美奈子先輩は、まるで俺なんか乗っていないかのようにVガンマを扱っているように見えた。
俺は、先輩の身体の動きをなるべく邪魔しないように、タンデムシートの心持ち後ろ寄りに尻を乗せ、肘を張り気味にタンクの上に両の手を置き、両膝は開いてブーツの踝をタンデムステップのホルダーに引っ掛けるようにしてホールドした。白状すれば、せっかくだから密着したいという気持ちは消しがたくあったし、はっきり言ってかなりつらい体勢だったが、先輩のハングオフや切り返しの体重移動を見たいという気持ちも強かった。もっとも、そんなものがなくても、俺のことだから、恐れ多くて実際にはとても密着なんてできないのだろうが。
いつものように軽くフロントを浮かせながら、美奈子先輩のVガンマは小涌園前を発進した。そして、躊躇することなくアクセルを開けて、ぐんぐんと速度を乗せていく。ある意味、それは見慣れた風景だった。だが、視点を変えて見たそれは、まったく違うもののように見えた。
俺は、頭の中が混乱するほどの衝撃を受けていた。俺や宮田の走りと、先輩の走りは、全く違うものだった。
俺らが、それぞれのコーナーの間の短いストレート部分で、次のインを狙えるラインを争ってるポイントで、先輩は既にブレーキングを始めていた。一つ目の衝撃。こんなに手前からブレーキ掛けてるのか!?
ラインはかなりアウト側寄りだ。これが二つ目の衝撃。俺らは、どちらかと言えば車線のミドルからインを狙って極力最短距離を狙うようなラインを通っていた。全体を通して、先輩と俺らでは、俺らの方が走行距離自体は短くなるようなラインを通っている。それなのに先輩の方が圧倒的に速いということは、俺らは何かを根本的に間違っていたようだ。
コーナーへの進入では、先輩は5-4-3、必要に応じて2、とシフトダウンをし、すぱっと体重移動をする。連続したコーナーでは、俺の開いたひざの間を、先輩の身体が左右にすぱっすぱっとリズミカルに移動した。全ての操作がていねいかつ大胆で、なめらかに流れるようにつながっていく。そのため、実はそんなに速く走ってないんじゃないか、という錯覚さえ、起こしてしてしまいそうだった。
そして一番の衝撃。それは、コーナーからの立ち上がりだった、コーナー中間点とも言える、ようやく出口が見えてきたような地点から、最初からほとんどフルスロットルのような勢いで加速していくのだ。俺らなら、そこはスピードコントロールに懸命で、アクセル開ければスリップダウン、良くてもアウト側へ膨らんで失速、という場面だ。
『どんなにがんばって減速を遅らせても、タイム的には高が知れてます。それよりも、無理したシワ寄せがコーナー出口にきて、アクセルを開けるタイミングが遅れる方が、よっぽどタイムには響くんですよ』
頭の中で美奈子先輩の言葉がリフレインし、それが俺の胸にずどんと落ちてきた。
これか! こういうことだったのか!
小沸園前に戻って、Vガンマのリアシートから降りる。
「どうでしたか? 少しは参考になりましたか?」
ヘルメットを脱いで、ぷはぁ、ばさばさ、とやってから、美奈子先輩は俺に聞いた。それから先輩は、後ろでまとめていた髪を解いた。これは、少し長い休憩をするつもりのいつもの仕草で、俺や宮田あたりにとっては、嬉々として先輩との会話を楽しみ始める合図でもあった。
だが、今の俺は、とても先輩と話し込んでいる場合ではなかった。
「すごいですよ。なんて言うか、先輩すごいですよ」
すごい以外の言葉が出てこない。俺は自分がバカになったのかと思った。
「俺、なんとなく分かったような気がします。だから、もう少し走ってから帰ります」
俺は、居ても立ってもいられなくなって、ヘルメットも脱がずに、そのまま自分のNSRに跨った。
「え? あ、そうなんですか?」
「はい。先輩、お疲れ様でした。帰りもお気をつけて」
ぽかーんとしている美奈子先輩を後ろに残して、俺はNSRを発進させた。
しっぽが見えたような気がしたんだ。俺は、早くそれを自分のものにしたくてウズウズしていた。俺の身体のあちこちに、まだ先輩の感触が残っている。それを自分のものにしたい。俺は突き動かされるようにNSRを走らせた。

Posted at 2015/10/02 20:14:20 | |
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