
週末田舎暮らしをしているというとたいてい「別荘ですか?優雅ですねえ」と言われます。
ところが僕にとっては、田舎家は別荘ではなくて本宅なのです。
金曜日の夜に田舎家に一家揃って帰り、日曜日の夜、行楽帰りの渋滞がなくなってから実家に戻ってきます。
田舎家で何か特別なことをしているわけではなく、子供の宿題をやらせるのに苦労したり、朝食の支度を僕がやったり、雑草取りや庭木の剪定をしたり、薪つくりをしたりします。雨が降ると隣町のブックオフに家族総出で中古本をあさりに行くことが多いです。
ここではご近所のオトーサンとお付き合いがあります。力仕事の手伝いを頼まれたり、余った苗木を貰ったりお互いに家族が出かけていたりすると、男の手料理持ち寄って我家の薪ストーブの前で酒飲んだり結構頻繁に声がかかります。
定住しているご近所さんは1週僕が帰らないと、翌週には心配してくれています。
(カングーが目印になっているのです)
平日は僕の仕事の都合や子供の通学のこともあって、今は実家に居候しています。
日付が代わるころに帰宅し、朝は飯食う代わりにぎりぎりまで寝させてちょうだいという毎日ですからもちろんご近所さんとのお付き合いはありません。
睡眠時間以外に実家で過ごす時間は1週間でせいぜい20時間。夏休みや連休を合わせると田舎家で過ごす時間の方が長いのです。
僕の田舎暮らしの考え方は、自分にとってのいいとこ取り生活です。
都会には仕事と刺激とモノがあります。毎日魅力的な公演があって、世界中の料理が食べられて、真夜中でも打合せに人を呼べます。
そのかわり経済性や収益性が最優先されて、これでもかというくらい人間が詰め込まれて、街が過密になり高層化していきます。
都心に人が住んでいないのは、寝ている時間だけはお金を使わないから都心に住まれるのは邪魔だということなのかもしれません。
都会で働く僕たちは経済性や収益性という理屈で、徐々に徐々に郊外へ押し出されて住まうことになります。
ようやく郊外に住まいを構えても、通勤電車に詰め込まれて会社に着くまでにへとへとになり、休みの日に窓を開ければ隣家のブロック塀に視界を遮られ、TVの間抜けな笑い声が飛び込んできます。
家族で出かけても都心の百貨店がチープに陳腐化しただけのショッピングモールで食事するのに1時間もまたされたり、駐車場に入るのにまた30分待ちで家族だけ買物に行かせたら、駐車場に入る前に買物済ませて戻ってきたりとなんだか会社に出てる方が快適だったりして。
じゃあ自転車乗って公園でも行くかというと、ここも何かのイベントで人人人、おまけに売店と露店では人寄せのアナウンス。
郊外の住宅というのも、企業の論理で開発されていますから、結局休日も人が集まってお金を使わせるように街つくりされているんですね。
実家住まいが長くなり、そろそろ実家を建て替えるかという話題が出るようになりました。
もちろん僕が借金して建替える以外ありません。
今より少し快適になるかもしれないけど、ここで暮らすのに借金で縛られるのは勘弁して欲しいなと思うようになりました。
自分にとっては、これ以上郊外の生活を突き詰めても、都会になりきれない、かといって自然はもう破壊されてしまっているという負の部分だけがどんどん増幅されてくるような気がしたのです。
まとまった休みには、郊外のその外側へ日帰りか1泊で旅行に行ったりしていたわけですが、さすがに自然を感じるところへ行くと気分が晴れます。
こじつけですが、「休む」というのは人の脇に木があって休むなのです。木漏れ日で体が弛緩する感覚ってわかるでしょうか。
旅行に行った翌週はリフレッシュされたと実感できます。早起きできるし体の調子がいいのです。
ただ、実家住まいでは毎週家族旅行やピクニックに出かけるのは憚られます。山の神様の立場もあるのです。旅行も頻繁になるとチェックイン・アウトの時間を気にしたり、行楽の人の流れに巻き込まれてそれなりのストレスが発生します。
ひらめいたアイディアが都会と田舎のいいとこ取りです。
都会での生活は仕事のため、子供の学校のため、人付き合いのためと割り切ろう。
帰る家は自然のあるところで、都会には出稼ぎに来ているのだというのはどうだろう。
都会での生活には経済(収入)、文化(公演・音楽)、交友(グルメ・酒場)などの都会が突出している魅力だけを期待することにしました。
逆に家族の団欒や自然を感じることなどは、もう都会で期待するのはきっぱりあきらめようと考えました。
人を招くというのも、実家では座ってもらう場所もないので不可能です。来客も親戚づきあいも田舎家の役目になります。
好きなCDをヘッドホンで聞くのももう止めです。田舎家で心置きなくスピーカーを鳴らして聞くのです。
娘の電子ピアノも音を出さないように買ったもの、田舎家では山の神様が幼少のころに買ってもらったというアップライトピアノを運びましょう。
こうやって始まった週末田舎暮らし(週日出稼ぎ暮し)ですが、都会の棲家はもっと割り切ってもいいのかなと感じます。
せっかく実家があるのでそこに厄介になっていますが、都心の徒歩か自転車で通勤・通学できるところで、ワンルームに家族の人数分ベッドがあるだけ、あと勉強や仕事用に作業スペースの机くらいあればなお良いですが住環境は問いません。ここでは、都会の利便性を生かして何もストックしないで生活する。服や本は田舎家にストックしてあって、毎週必要なものだけ都会へ持ってくる。家族の状況によっていつでも引っ越せる、そんな最小のスペースを賃貸できたらいいかなと思います。
実行するチャンスが来なくてもかまいません。実家で暮らしたままでもいいのです。
田舎家に家族の拠りどころがあるおかげで、都会の生活はとてもフレキシブルに考えることができるようになったことが嬉しいのです。
さて、このブログを読んでいただいた方にお願いです。
「別荘」に代わって、我が田舎家を説明する適当な呼び方がないものでしょうか。
アイディアをいただけたら幸いです。