10年前のあの朝の事 はっきり覚えてる。
シビックのオイル交換で ディーラーに8時に車いれて 待合室でTV見てた
写ってるのは 主婦向けのトークショー
8:50am
突然画面が切り替わり 煙の上がるWTCが写る
・・え・・?
待合室の人達が皆 慌てて携帯電話を取り出し掛け始める
何が起きてるのか分からず 呆然としてTVを見てた
名前が呼ばれ 慌てて支払いを済ませ すぐ傍の事務所に向かう
9:00am
事務所に到着すると 皆、大会議室に集まりニュースに釘付けになってた
「こんな事故・・ ありえない。なんであんな低いとこ飛ぶの?」
皆が混乱しながら話していた。
9:03am
画面に黒い影が横切り
同時に大きな爆発
愕然として立ち尽くす同僚達
一瞬 静まり返った部屋
誰かが呟いた
「事故じゃない・・ 攻撃だ・・」
WTCの客先の事務所で 9時半の打ち合わせの予定で 同僚が3人向かっていたはずだが 誰ひとりとして携帯は繋がらない
客先にも もちろん繋がらない。
10:00am
大会議室に戻り画面を見ていると 突然煙でいっぱいになった
「サウスタワーが崩壊しました!」
同僚達が 顔を覆い泣き崩れる
携帯で誰かと話していた同僚が 携帯から耳を離し呟いてた
「今 友達が WTCで・・ すごい音がして電話きれた・・」
同時に出張で出ていた社長から電話が入った
「○銀行のRさんに電話して!無事を確認して!」
なんと答えて良いのか分からず
「・・もうないんです。 ○銀行 なくなっちゃったんです。」
そう言うしかなかった。
それからは 次々入る信じがたいニュースを聞きながら 繋がらない電話を掛けメールを打ち続け 気が付けば夜になってた。
あれから毎朝毎晩 橋から見えるWTCの煙を見ながらの通勤だった。
グラウンドゼロには どうしても近づけなくて 初めて足を踏み入れたのは2005年だったかな。
毎年 光のタワーが上がるたびに 閉じ込められたままの人達がやっと解き放たれるような気がして ほっとした。
時が経つにつれて 皆少しづつ癒されていくのを感じてたけど
今年の9/11は
東日本大震災から6ヶ月目と重なり 今までになくずっしりと感じる。
家が流された後 無事は確認したものの 連絡が途絶えたままの友人
いまだに救援物資を届け続けてる友人達
食べられなくなってしまった 地元の野菜やお肉
本当に安全なのか確信もてないまま 避難地域の外で
いまだに修理の終わらない家で暮らす親。
自分ひとりの力はわずかでも 出来る事を続けていく。
そして 誰かが載せてた言葉を忘れずに。
「
あなたが生きた今日は
昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」
- 趙 昌仁 著 / 金 淳超鎬 原書、小説カシコギ
"
Today, which you have spent idly,
is the tomorrow of somebody who died yesterday
and was desperate to live."
-Kashikogi by Cho Chong-in
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Posted at
2011/09/12 12:41:20