2011年05月23日
タバコ
タバコを止めて既に10年ほどにもなります。思えばいい時期に止められたのかもしれません。先日とある用事があって、久しく顔を出していなかった嘗てのお客さんのところへ顔を出したのですが、そういえばこの方、タバコも扱っていました。
震災の影響で、今はタバコも配給制に近い状態だそうで、コンビニくらいの扱い量ならば3日に1回くらい入ってくるところが、普通のタバコ屋さんでは1週間に1回になるのだそうです。この方くらいの販売量だと2週間に1回の入荷しかないのだとか。
しかも、10年ほど前にタバコを止めた人間にとって、今のタバコの販売価格は驚きの価格です。当時JPSの黒のボックスが250円だったかと記憶していますが、という事は1カートンでも2,500円です。いまどきは一箱450円とかもザラの金額なようですから、となると1カートンでまとめ買いする人は1万円出しても2カートンしか買えません。たけーなー。
タバコを止めて気が付く事はいくつもありますが、数ある気付きの中のひとつに「臭い」があります。
タバコを年がら年中吸っていると、常にその臭いの中に棲んでいるので気が付かないのですが、1歩外界に出てしまうと何とその匂いが臭かったことか、少々唖然とさせられます。初めてタバコを吸ったときの、あの焼けた煙とにおいの塊。ああこれがニコチンの味か、と思いながら、それが口中に流れ込んでくる時の強烈な苦味や異物感。
でも、これが馴れてしまうと、ホントどうってことなくなるんですよねえ。それどころか「うまい」なんて思えてしまうからおかしなモンです。馴れって怖いものです。中毒もね。
で、この臭いに馴れてしまっている人はタバコのにおいに鈍感になってしまいますので、他の人が臭いと思うであろう事にはトンと想像が及ばないんですよねえ。私も例に漏れずそうでしたけど。で、またこの事が実は喫煙者と非喫煙者を隔てるドーバー海峡程度には理解の断絶を作ってしまう原因だと個人的には思っています。
近頃は喫煙所を施設の一隅に、囲うようにして設置してあるのをよく目にします。もちろん設置者にしたら「ここで吸ってね」ということなのでしょうけど、実はあれってあんまり良くない事だとも思います。逆にタバコの負のイメージを増長させている。
そういう喫煙スペースに集煙機と密閉式の灰皿でも設置してあればまだいいのでしょう。しかし実はあれ、匂いがあそこに貯まってしまう分、余計にその一角だけが臭いんですね。
しかも、灰皿には大概水が入れてあります。もちろん確実に火が消えるように、という配慮でもあるのでしょうけどニコチンが溶け出した茶色い水ってのもけっこう臭うものです。一番肝心な臭いの拡散を防ぐ為のフタが欠けているんですね。臭いが気にならない人と臭いを知らない人の接点のズレがああいう風景を作ってしまっている。個人的にそう思っています。
ならばいっその事、携帯灰皿をきちんと持ち歩き、吸殻はもちろんの事、灰もきちんと吸殻入れに捨てる。また、よくある空気の澱んだ一角で集中的にタバコを吸わせるくらいなら、もっと開放された空気の通りのいいところで吸ってもらうようにして、すぐに臭いが拡散してしまうようにする。それともう1つ。タバコを吸うという行為がなんだかダークなイメージが浸透してきたこともあって、その喫煙行動自体がみすぼらしくなってしまっている方が増えているのかな、と。もっと堂々とカッコよく吸っていただきたい。
割合クルマを運転していてよく見かける光景が、吸殻をポイと外に捨てる、であったり灰をチマチマと車外に落としている様であったり。一番目に余る行動が信号待ちの時などに灰皿の中身を道路にぶちまけるバカタレですとかね。
ああいう所を目撃したりすると「何で今日はエアーガンを持ってこなかったのだろうか」と頭を掻き毟りたくなるほど悔しいのですが、今日だけでなく、いつもエアーガンは持ち歩いてなどいませんので誤解のありませんように。きちんと家の中に置いてきていますから。
結局そういうところを見るに付け思うのが、喫煙者は喫煙者個人個人で見れば、ものすごくきちんとそういうマナーなり、後始末なりを考えている人もいらしゃるわけですけど、やはり同様にものすごく鈍感で、無自覚極まりない人もいたりするのが現実かな、と。
で、そうした無自覚な人も、ものすごく意識的な人も一緒くたに「喫煙者というカテゴリー」に分類されてしまい、一緒くたにステレオタイプなイメージの中で固定されてしまっている。こういう感じでしょうか。
私自身は20歳にあと半年足らず、という時期からタバコを吸い始めました。もちろん、タバコを吸い始める理由は人それぞれでしょうけど、私自身の理由は「大人に見られるための小道具」としてタバコを持っていたかったのと、「そのタバコをカッコよく吸う俺」に憧れた、という感じでしょうか。
だからこそ、カッコをつけるために(その貧相なイメージには今となっては呆れもしますが)外国タバコばかりを買い求めていましたし、結果的にはJPSとマルボロの赤との付き合いが一番長かったのもそれですよね。
また、極初期はともかくとして100円ライターは絶対に使わないと固く心に決めていたのもそうした理由からです。そんな貧相なもん使えるか、という感じで。でも実際の本人は貧相だったんですが。
当初はすぐに止められる、と嘯いていた私でしたが結局ズルズルと引きずって結果的には13年ほどタバコとの縁は続きました。
止めようと思った直接の理由は、30歳も幾らか過ぎた頃になってから、アルコールを飲みながらタバコを吸うとゲホゲホと止まらなくなる喘息のような症状が頻発するようになったからです。今まで入院し、手術してきた箇所は首から上に集中していますから、元々気管支系・呼吸器系が弱いのでしょう。体力のピークを過きたということなんだろうな、と自分で思いました。
だから、ある意味タバコを吸い続けてこられる方は健康な証でもあると思います。ああした物を体の中に入れながらも、少なくとも表面上は健康でいられることはうらやましい限りです。
そうしたせっかくの健康体で生まれついた、もしくは体力を維持してこられているわけです。自身で止めようと決心されたのならばともかく、世間様からのマイナスイメージでせっかくの嗜好品を中断しなければならなくなるのは勿体無い事です。
そうならないためにも、嘗ての喫煙者として言えることは、一部の心ない喫煙者には喫煙者利益(?)の保護の為にもぜひ改心してもらい、人様に後ろ指を指されなくても済む様に。「俺が金を払って買ったもんなんだから、俺の自由にさせろ」などというガキのような言い訳は、いっぱしの成人なんですから引っ込めて、非喫煙者に嫌われないように。自身の保身を図る何がしかの防護策をきちんと講じる、という作戦をそろそろ考えてもいいのではないでしょうか。そう思います。
もちろんタバコの害だって少なからずなことは百も承知ですが、少なくとも現代社会にあってこれだけの利便性が享受できる環境である以上、「人体に無害」はありえない幻想だと思います。ならば、いい加減なところで折り合うのが現実的な選択でしょう。
まあ、健康健康と呪文のように唱え続けてあれやこれやと色んなことに手を出して、アンタいくつまで生きるつもりだ?と思うこともあったりなかったり。それはそれで醜くも哀れな生き様に思えます。かえって「死に時を誤った」と言うと怒られそうですが、そういうこともあるのかなあ、と。だったら人生50年と思いきり、時には毒だってあるさ、と大らかでいる方がナンボかマシな気はしています。
細かいことで、そう目くじら立てなさんな
これで良いじゃあないか、という時間の過ごし方をしたいですねえ。その時の小道具としてタバコがあってもいいじゃあないですか。
だからこそカッコよく吸ってほしいなあ。後ろ指刺されるようなみっともないことなどなしで。
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Posted at
2011/05/23 12:01:52
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