2011年10月14日
いい加減、優先順位というものを考えるべきだと思う
「言葉狩り」という言葉があります。
放送禁止用語というものもありますが、まああれとはちょっと意味合いが異なります。
昨今の風潮でいえば「(表面的には)東北方面を悪く言う」ことがこれに当たるようです。「がんばれ東北」のスローガンの下、その趣旨に反する者は非国民と言わんばかりの雰囲気と言論封殺の動きは少々息苦しく感じます。
「放射能米セシウムさん」を、まるで揶揄するかに受け取れるような使い方をしたのは、流石にまずいとは思いますが、あからさまに言うとまずいとはみんな思ってはいても、どうも「口にしてはいけない雰囲気のようだ」という事で、まるで緘口令でも布かれているかのように、どこも一切口を閉ざしているのは如何なものかと?
こう言ってはなんですけど、茨城や千葉東京は言うに及ばず、遠く静岡の地にも十分に放射性物質が飛来している昨今です。まあ、このこと自体ある程度予想された事態ではあり、何を今更、と思っているくらいなんですが。
となれば、もっと近隣の地である北関東・東北太平洋岸などは濃淡の差はあったにせよ、海山関係無しにくまなくヤバかろう事は言うまでも無いと思います。だって結局今でも垂れ流しなんだし。枝野君が「直ちに影響のあるものではない」と言ったから安心だって言うわけじゃあないでしょうに。
3月中旬と言えばそろそろ田んぼをおこしはじめて次の田植えの準備を始める時期でしょう。
もちろん東北地方ではもう少し暦が下った頃から始めるのでしょうけど、いずれにしても放射性物質が十分に積もった頃合からわざわざ土を穿り返し始め、水を張り、種を蒔き、苗代を作って田植えをしたわけです。春野菜はともかくとしても、この時期以降は急激に緑が深くなりだし、植物たちは繁殖の最盛期に向けて一斉に「よーいドン」をする時期です。
普通に考えれば。
既に飛散予想地域はデータとして出ていたはずです。生物濃縮が行われる前の、食糧の生産準備そのものにストップをかけ、二次三次以降の被害を未然に防ぐくらいの知恵どうして回さないのか?回さなかったのか?
不思議でなりません。
農産物の風評被害云々を言う前に、風評被害をそもそも作らない動きだって出来たはずです。言ってしまえば被災地域周辺の100km圏内は総撤退とかさ。
植物人間への延命治療でもあるまいに、この先の見えない治療に一体この先幾ら注ぎ込もうと言うのか?しかもそれを税金という名の強制募金で贖おうという訳です。自分の懐が痛まないようにしつつ気楽に言ってくれるよなあ。
延命治療をしたいのなら、のべつくまなしに健康保険を濫用するべきではなく条件をいくらか付けるべきであり、それでも望むのであれば自費でやってくれって言うのは言っちゃあいけないんですかね?
まあ、今回の被災に関してあまりそういう事を言うと人非人呼ばわりされそうなんですが、それにしたって限度ってモノはある筈。
それでなくても元来からして補助金べったりだったような気がしますから、独り立ちっていう状態になりえるもんなのかなあ?という根本的な疑問もあったり。
ちょっと話は変わりますが今は超円高の時代に突入し、工業系の人たちはアップアップしています。ちょっと前まで110円あたりを行き来していたかと思えばいきなり今回はあれよあれよという間に70円台。
30%も為替が上がってしまうとドル換算では黙っていても30%値上げされている事と同様です。もしくは30%の売り上げ減。やっていけるはずがありません。となると、工業分野の方々は海外に逃げ出す他ありません、という状況です。
海外に出て行った後もきちんと日本に送金してくれていればいいのですが、そもそも論として日本円に換算する意味があるのか?も怪しいワケですからそのまま海外に定住ってのも十分にありえるだろうなあ、と。
じゃあ、その工業分野によって今までどれだけの人が徒食できていたのか?という事を思うわけです。
江戸末期、明治初期。
国勢調査が行われる前にも、もちろん軍事力維持(何人の兵隊が確保できるか)の事も含めて人口調査が行われています。それによると江戸末期でおおよそ3000万人程度が当時の日本人の人口だった事がわかります。
つまり、日本国内の食糧生産だけで維持しうる人口の上限は3000万人程度だという事です。
で、明治4年から大正9年までの記録があるわけですが、これを見ると時代が下るに従い順調に人口が増えています。大正9年の最後の記録となると5600万人弱。
当時は軽工業から重工業への生産の転換が次々に行われていった時代ですから、その農業以外の生産高増大の恩恵による「人口維持能力」は江戸末期に比べほぼ倍になっていたという事なのでしょう。
それが現在は1億3000万人弱(平成22年次)となってるわけですから農業生産以外の産業によって1億人以上の人が徒食できている、という事が言えるかと思います。あれだけ耕作放棄地がありながら、ですね。しかも農業といっても、食糧生産以外の園芸分野なども含めた数字でしょうから、純粋な食糧生産従事者数はものすごく少ないだろうなあ、と。
昔から不思議でならないのが農業従事者の収支です。あれだけ農産物が安い安いと言われ続けているにもかかわらず。結構農協にしてやられている様子は見ていても、それでも、どうにも切羽詰った雰囲気があまり感じられません。実は何だかんだ言って結構な収入に上るんだろうなあ、と邪推せざるを得ません。
てことは補助金か?一体幾ら嵩上げされてるんだろうって思います。でも原資は税金ですから、それすら工業生産品の売り上げの恩恵で下駄が履かされているってことか?
今回も例に漏れず話があちこちに行きかけているのでこの辺でまとめに入ります。
いい時代であるうちは工業・商業分野という孝行息子からの仕送りが潤沢にあった分、どういう使い方をされようが翌年には欠損分が補充できたのだろう、とは思います。
ところが、孝行息子の体力も青息吐息になってきた現在。
従来は第2・第3分野の上がりで支えきれてきた第一分野の産業が重荷になり始めています。しかも気が付いてみたらニートで引きこもりでもあったわけです。生活保護受給の常連ともなれば自力更生の気力などあろう筈がありません。
何かどっかで聞いた話とそっくりです。
本来ならば超円高の状況である昨今。海外からの農産物も以前よりは値が上がっているとはいえ、国内産のものと比べれば格安で入手できる道理なんですが?
でも、ここでも大声を出す事だけが得意らしいニート君が何故か幅を利かせているようで、今までの楽な状況だけは変えて欲しくない、と。
ところが孝行息子だって自分の生活がかかっている時期ですからねえ。何時まで聞いていられるのか?
リフォーム(改革)を叫ぶのはたやすい事ですが、本気で取り組もうと思えばお金の流れを変える事に直結します。その際、必ず立ちはだかるのは既得権益者との軋轢です。
それをどう、なだめすかし。多少の嘘もつき。「血も涙もない」位の罵声も背中に浴びつつ。如何に権益を引っぺがしていくか?
残されている時間はあんまりないような気がします。優先すべきものはどれかを冷静に考えておくべきだと思うのですが。
適正な比重の掛け方というバランスはあるはずだと思います。
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Posted at
2011/10/14 12:26:29
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