2016年11月23日
商売の行方 2
長らく日陰の存在であった中古車部門、静岡トヨペットの営業所内ではマイカーとかセンターとか呼ばれていました。
あくまでも新車のサポート部門という位置づけを象徴してたのが毎年1月末に行われ、2~3月通期で必達目標なる数字示される、決算シーズンを前にした全社員決起大会なる集会の中のひとコマでした。例えば車両販売の年間成績優秀者表彰や累計販売1000台・2000台、とか年間100台セールスの表彰なんかもこの中で行われました。
その中で中古車部門の営業所長たちは全員壇上に上がり、もちろん目標数字を朗々と誓うのですが、必ずといって良いほど一緒に謳いあげられるのが新車支援策としての一律5万円の査定アップとか、解体車援助金3万円対策とかが含まれるのが常でした。
もっとも中古車の査定アップのお願いは決算期に限らない話で、いつも査定アップにマイカーセンターに走るのがいつもの日常光景でしたし、解体車対策も常に行われていた話だったんですけどね。
で、その全社員決起大会のラストには。
恥ずかしげもなく「必達(ご丁寧に日の丸入りの)」と書かれた鉢巻を全員で締めて
「やるぞー」なんて全員で唱和しちゃったりなんかする訳ですね。
竹槍特攻隊かよ、みたいな感じ。ついでに指定された大きさの紙に営業所の目標数字を書いて、各営業所長が一人一人目標を読み上げる、なんてひとコマもあったなあ、そういや。そういえばついでに全社員大会の時って開催年によってまちまちですが、サービスの人達はマネージャー以外は来ていなかったような気がするなあ、そういえば。この辺にもなんだか意図的な地位の差を感じますねえ。
でもまあ、それらのことは個人的にはどうでも良い話で、覚えているのは累計新車販売2000台だったかを達成された沼津の方の営業マンが話されていた内容ですね。
その方はサービスアドバイザー出身だと思いますが、営業に回された時に何から始めたかという話が印象に強く残っています。
その方曰く、所詮自分にはメカしかできないので営業車(自家用車)に工具を積み、知っているお客さんの所に行った先々でちょっとした軽整備や故障診断をして回り、それが今でも日常の行動の基本との事でした。結局は常日頃のフォローが大事なんだろうなあ、と。
もちろん前置きとして、アドバイザーとして長く営業所のフロントにもいらしたでしょうから、そこで常に見知っているお客さんが既に何十人となく居てくれていたでしょうから、新人営業マンと違って既に顔を出せる所が最初からそれなりに有ったという事も大きいのだろうとは思います。
そうした話はさておき、無施策・無思慮・無展望のディーラーへの変革の波はメーカーからやってくるのが常でした。
営業の主役交代の変化の波第一弾は、おそらくカーロッツの営業開始からだったでしょうか。全国で見ても有数の自動車ディーラー集結地であるらしい静岡県浜松市和田町を中心とする通称「自動車街」で、試験的にメーカー資本で巨大中古車販売店がスタートするというプランです。
今現在、カーロッツ浜松がメーカーの当初の意図通りに動けているかはさておき、少なくとも開業当初のその規模や体制への力の入れようには正直驚かされました。あくまでも個人的には、ですが。
値付けは少々高額設定とは思いますが、それでも価格に見合った足切りラインの高い高品質車を大規模展示場にトヨタ資本で大量展示してあるわけですからね。一方でカーロッツに全く無関心なマイカーセンターの人間にも半ば呆れました。
カーロッツが今現在失敗しているとまでは個人的には思いませんが、あまりうまく行っていないようには思える原因として、地元ディーラーとの連携があまりにも無い事と、仕入れる車・ラインナップの重要性をカーロッツの仕入れ担当者・マネージャークラスが理解していないことはあるかな、と。所詮サラリーマンなだけに、ね。
そんな事はさておきカーロッツの開店と前後してガリバーやビッグウェーブ、アップルなどをはじめとした中古車買取店への対抗のためか、トヨタディーラーの中古車センターでも「あ・かいとり」をトレードマークとした中古車の買取を始めています。で、ほぼ時期を同じくしてディーラーの中古車オークションでの買付も始まっています。ついでに中古車査定基準も大きく中古車オークションの評価基準に擦り寄った改定もありましたねえ。
ディーラーの業者オークションでの商品仕入れですが、全く販売には関与しない職としてのオークション担当が静岡トヨペット内では定年間近のおじさんたちのタイミング調整のポジションとして活用されていた事もあって、新車販売の現場にいた私からすると非常に馬鹿げた行為を繰り返している事も目にしています。ぶっちゃけ静岡トヨペットの西部地区と東部地区で同じ車を競り合い、身内同士で値を吊り上げていた話とかね。
そうした流れと並行して順調に新車販売は下降線を辿ってるのですが、そうした流れを何とかして断ち切りたいというメーカーの支援策のひとつとして営業マン個人に1台づつ営業用パソコン支給されました。静岡トヨペットでは平成10年の秋口からですね。
本来ならば初期投資分は業務人数の削減と円滑化でペイする筈だったのでしょうけど、そんな気配は全く無かったなあ。Eメールによる営業成果の報告は始まりましたけど、相変わらずFAXと電話による報告も並行して続けられていましたし。
個人の営業用パソコンは当初から新車見積作成機能だけに留まらず、サービスの入庫状況等の担当顧客の整備情報や営業の日常の行く先・活動回数・活動内容を記入する事によって自身(営業所の親機からは全員分のデータが見られる)の営業活動の内容管理なども出来るという優れもののシステムでした。
ゆくゆくは中古車の基本価格検索や中古車査定書の作成の他、活用範囲は新車だけに留まらず中古車の在庫車検索や中古車の見積り作成、その他自動車保険等の個々の保有保険契約の内容確認や継続・新規・契約変更の試算など、様々な分野に発展していく筈のものだったと思うのですが、如何せん、運用する側・活用する側の関心の低さと、機械なんぞに使われてたまるか的な妙なプライドなどもあってかあんまり活用されている雰囲気はありませんでしたねえ。そもそも保険継続の試算すら一人で出来ない営業ばかりでしたし。
もっとも当時はコンピューター自身の急激な性能向上を目前に控えていた時期(たしかwindous98だったかな?当時のOSは)でもありましたから、今なら難なくこなせる業務も中々に手間どっていた事も普及を妨げていた一因かもしれません。
平成15年まで私自身は静岡トヨペットには在籍していましたが、当時を思い起こせば新車営業事務所内の空気は冒頭に書いた全社員決起大会のような雰囲気そのままという所長が殆どでした。特に夕方以降ですね。所長にとっては夜の最終報告数字が控えていますから遅い時間になればなるほど次第に上役の表情は険しくなり、雰囲気は暗くなっていったものです。
でも、どうすれば普段の活動が新車販売のネタになるか・つながるか、という私的にはよほど建設的と思える内容の営業会議の議題には殆どお目にかかったことがありません。毎回の営業会議の最後は大体所長の思う数字を各営業担当に「自発的に」「やります」と約束(=白状・告白etc)させないと営業会議は終わらないのが常で、そういう目標数字を各自が白状するまでに持ち込ませる尋問の儀式というのがいつもの営業会議のパターンだったような気がします。
あるとき事務のお姉ちゃんに「何で毎朝の営業会議ってこんなに時間がかかるんですか」と無邪気に聞かれた事がありますが、そりゃあ何の罪の意識もない人間に無理矢理罪(ネタの有る無しが全く考慮されない今日の契約目標)を白状させられる儀式なわけですから時間がかかって当然ですよねえ?
今にして納得しましたが、私は上司にとって
「数字を挙げるつもりのない・挙げてこない」という意味においての犯罪者だった
のですね、当時。そりゃあ検察官としては怒るわけだ、確かに。会議終了後はどっと疲れが出た理由が今になってやっと分かりました。こんな事いつまでもやってりゃ、そりゃあ衰退するわな。新車販売なんか。まあ保険の世界も似たような事やってるけど。
という訳で、当時を思い出して今更ながらどっと疲れたので今回はこの辺で。多分続くといいなあ。
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Posted at
2016/11/23 12:40:44
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