2010年09月10日
あれから、あちこちで話を聞き、調べてみてもいます。
少なくとも補助金打ち切りのタイミングについての記述に関しては、
「ただし、補助金申請額の総額が予算額を超過する場合には、募集を終了する。」
と書かれているのみで、その「申請」がどのタイミングの事を指すのかが明示されてはいません。
少なくとも申請手順を記したフローチャートを見る限りでは、自販連などで、データ入力等の前準備をして、センターに一括送付をする、となっています。
という事は、「次世代自動車振興センター」が、その申請額を把握できるのは書類整理が終わり、少なくともデータだけでもセンターにその内容と件数が送信されていなければ把握の仕様がないわけです。また新聞報道の表現を見る限りでも「申請額」となっています。
という事は、ボーダーラインは自販連から既にデータが送られているのかいないのか?という所かな?
先日ご紹介した「進捗状況照会システム」でいうところの「1.申請受付前」段階だと、おそらく補助金の受け取りは絶望的でしょうねえ。多分。この段階だと「何日申請分が全国の総額で幾ら」という統計が出て来様もないですからねえ。
微妙なのは、「データだけでも送付済み」な申請件数で申請額を把握していたのか、それとも「一括送付された書類」の到着を以って、申請額の数字に算入していたのか?という所でしょう。つまり「2.申請受付」段階まででいいのか、「3.審査前」段階にまで処理がすすんでいないとダメなのか、という点。
ちなみにアクティの人は今現在「支払手続中」に進んでいます。前回のタントの人は「申請受付前」です。届出日は9/7。
8/30にナンバーを取った人があるのですが、この人も未だに「申請受付前」表示なんですよねえ。7/14に新車登録をした人があるのですが、その分のデータを自販連が受け付けた、としている日付が8/3です。で、これが今現在「申請受付」という段階には進んでいるという状況です。
という事で、日程的にはお盆前位の日付けで登録・届出を済ませていないと現段階でも自販連段階でのデータ入力・書類整理が済んでいない・申請数にもカウントされていない可能性が強いかなあ、と想像します。
やっぱり「7月で戦いは半ば以上終わっていた」という見解で、大方において間違いではなかったように思うんですけどねえ。軽ならばともかく、白ナンバー車は車庫証明の壁がありますから、どうしてもそこで1週間ほど足踏みしてしまいますから。すると、どうしても登録までに1週間。納車までには最短で2週間近くを要します。逆算すればやはり契約は7月一杯までじゃあないと厳しいでしょうねえ。
あ、でもこれはあくまで私の住む地域の話ですので、自販連の処理能力が異常に高い地域ですとか、書類不備の発生率が異様に低いディーラーさんなんかだと、もう少し処理が速く進んでいた可能性は高いと思います。
さて、結果は如何に?という所ですね。
Posted at 2010/09/10 12:29:56 | |
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2010年09月10日
人のことを何だかんだ思ってしまたので、ふと「今まで自分はどんなクルマに乗ってきたんだっけ?」と思いだしてみることに。
免許を取って初めて運転したクルマは、母親の乗っていた三菱の軽トラックです。あれでよく走り回っていた。
あの頃は、兄貴に貰ったホンダのJAZZという50ccバイクを乗り回してもいました。あれはあれで楽しかった。
クルマを始めて所有したのはトヨペットに入ってから。初めの頃は新人研修もあったので、今から思うと不思議なことにクルマを持っていませんでした。よくあれで通していたよなあ。不思議なことに。
平成4年7月 昭和63年12月式ST170 コロナEXサルーン 1.8ℓ 5M/T 色グレーM
これが初めてのクルマでした。お世話になりました。ボコボコにしてしまいました。
何回修理したことか。このクルマで保険の事をシミジミと勉強いたしました。そういう意味では師匠ともいえるクルマです。
平成5年10月 ST190 コロナEXサルーンL 1.8ℓ 5M/T 色 ブラックM
初めて買った新車。これも思い出深い車です。トヨタの4000万台生産記念特別仕様車シリーズの中の1台でした。人生で初めてローンを組んでクルマを買いました。
ただ、惜しむらくは親にも黙ってましたけど、事故で廃車にしてしまったことですねえ。好きだったんですけど。
平成7年4月 平成元年12月式 GX81マークⅡツインカム24 2.0ℓA/T ベージュM
コロナで事故した瞬間、修理見積とローンの残高を頭の中で計算し、修理を断念しました。翌日、サービス課に依頼して修理見積を作ってもらいましたが、昨夜頭の中で計算した数字とあまりに符合していたのには自分でもビックリ。
事故処理でJAFを待っている間に考えた理屈は「FFは前輪が滑ったらおしまいだから、ここはやはりFRにするべきだ」という何だか分かった様な解らない様な理屈でした。それ以前に無謀な運転をしなければいいだけのことなんですけどねえ。
ということで、事故の翌日となりにある中古車センターに行って、たまたま目に留まったのがこれでした。「ツインカム24」というのに魅かれましたねえ。デジパネ(デジタルメーター)でしたし。パワーシートも付いてた。今になって冷静に考えると別にどうって事はないのですが、あれを所有してみたかったんです。若かったなあ。
平成9年4月 平成6年式GX90マークⅡ レガリア2.0A/T ウォームグレーパール
ツインカム24は、別にどうってことはなかったのですが、2年も乗って飽きてきたということもあり止めました。で次に選んだのがこれ。
結局半年位しか乗っていないのであんまり印象がないんです。まあ、クルマそのものも強い印象の残る車ではありませんでしたが。それでもフロントスポイラーだけは付けたっけかなあ?
平成9年10月 GX100マークⅡレガリア 2.0A/T パールホワイト
当時、社員限定のリース契約募集があったんです。おそらくどうしても台数が欲しい事情があったんでしょう。何かは分かりませんが。
期間は3年間。距離制限はナシ。3年間で幾ら払ってそのまま止めるか、それとも乗り続けるなら残り幾ら払えばそれも選択可能。そんな条件でした。どうせ私の場合3年乗ったら10万キロは超えますしね。じゃあ、3年乗ったらそれで止めればいいじゃん、という感じで。
当時所長が「誰か使ってくれる人は居ないか?」と泣きそうな顔をしていたので仕方なしに「今の車の支払と大差無い範囲に納まるのであれば構いませんよ」と言って、目出度く営業所の中での社員リース車第一号に。そんな経緯の車です。
平成10年12月 GX100マークⅡ トラント 2.0A/T ダークグリーンツートン
社員リースのクルマを3年乗り切るつもりだったんですが、なぜかこの頃オヤジが私の部屋に入ってくるなり「お前の車を譲ってくれんか?」と切り出したわけです。私的には「何言ってやがんだ、このオヤジは?」という感じだったんですが、仕方ない。自己中で言い出したら聞かないのは骨身に沁みてよく知っていますから。
そんな訳で久しぶりに買った新車を何故か1年で親父に取り上げられ、じゃあ、なんにしようかと首を捻り。悩んだ末にコロナを買う気にもなれなかったのでマークⅡに。
当時100系のマークⅡにはツアラーと呼ばれるグレードがあったのですが、本音で言えば2000ccツアラーのブルーメタ5M/Tで乗りたかった。のですけど、当時チェイサーの2000ccツアラーには5M/Tの設定があったのに、マークⅡには無かったんですね。
青という色にも未練はたっぷりあったのですが、ツアラーがいいという話はつまるところは「リアスポイラーが欲しい」という1点に希望は集約されているのだな、という事に気が付き、それだけのために犠牲にするものの多さを考えて、結局は特別仕様車の「トラント」に落ち着きました。色は無難な所を選ばず、あえてダークグリーンツートン(緑とは言ってもほぼ黒)を選択。おなじみのフロントスポイラーを前だけ付けて(こういうのはワンポイントだけでいいのです)。
でもこれは気に入って乗ってましたねえ。またしても3年後に今度は信号無視の車に横から突っ込まれて廃車することになるのですが、それさえなかったら今でも乗っていたかもしれません。
平成13年5月 NCP61イスト 1.5S A/T ライトブルーM
前述の通り、ゴールデンウイーク中の夜。交差点で右折しようとハンドルを切り始めた瞬間何故かすぐそこに車が来ていて。で、「ドン」って。赤信号無視をされての側突。あえなくマークⅡは廃車。で、どうする?と考えて保険金で買える範囲のクルマ、という事でイストに決定。
しかし買ったばかりの頃は寂しかったですねえ。照明が少なくって。だってイストってば、手元がスカスカなんだもんなあ。
これは今でも乗ってます。嫁さんが。
トヨペット時代はこんなクルマ遍歴でしたねえ。しかし早いなあ、代替期間が。お金貯まんない訳だよねえ。
で、この後はベンツC200とか、ちょっとサイノスに乗ったり、R32 GT-Rとか。まあそんなクルマ遍歴です。多分これからも色々乗るんだろうなあ。
Posted at 2010/09/10 08:49:42 | |
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