2011年02月11日
最初だけしか見ていないので、それをお断りした上で。
私は、ああいう労働争議が大嫌いです。ついでにいうと最低時給が云々というのも大嫌いです。「貰える筈」というところから出発するのではなく、「貰えるだけの価値を、私が加入したことによって創出できているのか否か」ということの方が気になって仕方が無いからです。だって、そうじゃあなけりゃあ、肩身が狭くて仕方ないじゃあないの。
つまり最低賃金を言うのはいいけど、仮に時給1,000円を取るからには「雇い主に@3,000円/時間くらいの利益」が出ていなければ給料の原資すら危うい(ありていに言えば給料泥棒ということ)訳で、あんた方それだけの労働力が提供できるだけの覚悟はあるんだろうなあ?とね。
あ、もちろん配置の妙ということはありますので、不利益部門であることを承知の上でそういう部署が存在している、ということだってありますので、絶対に、というわけではないんですけど。
もちろん、働く側からすればインフレ分位はベースアップしてもらわないと、相対的に自分自身の給料が目減りすることにもなりますから、それくらいは上がって欲しいなあ、という希望はあります。
ところが。
給料を払う側になって考えてみると、
上げた分、それに見合った程度に上がりが増えていくのか?
というところは考えるだろうと思います。
おそらく劇中の「NAL」はJALのことでしょうけど、JALといえば鶴のマークの航空会社であるわけで。
そこの卒業生たちは「給料とその後の年金分に見合った」労働力を提供し、経済効果を果たしてきた言えるのだろうか?とは非常に疑問に思うところです。在籍したことがイコールそういう待遇を得られる、とは別問題でしょうに。
そういう待遇を得た分の対価を会社に与えられなければ、それは貰いすぎであり、不当なまでの高待遇だった、ということだと思うのですが。
基本、雇い主と労働者はギブアンドテイクの関係だと思うのですが、こうした労働争議を先導する人たちは自らが経営者側に要求した上昇分に関してきちんとフォローをしているのでしょうか?つまり、払うだけ払わされる経営陣としては「きちんと売上を出してきてくれるのか?」という部分です。それをその時になって「今年はこういう経済状況であったので仕方がない」などと逃げられてはたまったものではないと思うんですけどねえ。
身近で耳にする経営者の方々の感覚として「従業員への給料の支払は遅らせられない」というものがあります。これはほぼ絶対条件に近い感覚です。これを間に合わせるために経営者の方々は銀行に頭を下げる(緊急の追加融資のお願い)ことも一度や二度でもないでしょうし、個人資産を会社に入れることも厭わないでしょう。
もちろんJALのようなサラリーマン社長ではそんな感覚はないでしょうけどね。
何となく感じる某○主党の「政権与党になればもっと思いのままの事が出来そうだ」という思い込みが今日現在の迷走の大元になっているような気がしてなりません。
あんな事言いやがって、もっと隠している資産があるはずだ。
俺が主導権を握ったら、もっと税金を思うがままに操つれるはずだ。
政権与党なら、もっといい思いが出来るはずだ。
権力ってものはもっと気持ちのいいもののはずだ。
こんなはずではない。なんでもっと思いのままにできないんだ。
..........などなど。
結局は貰うだけしか頭になかった、自分の腹を痛めたことがない、自分のケツを拭くことすらしたことがない、図体だけは大きくなった、ただの甘えん坊でしかない、ということだったような気がします。
自分がいくらの給料をもらうだけの価値があるのか。
自分がいくら分の利益を会社にもたらせているか。
この辺はきちんと一歩引いた目で見ておくほうがいいと思います。
批判はあるでしょうけど、例えば「結婚相手は年収1000万円の男じゃあないと嫌」というなら、数多の女性の中から、そういう男性に選ばれるだけの自分であるのか?という冷静な自己評価とかさ。「我思う」だけでは意味が無いんですよねえ。
クルマで言えば「このクルマに300万円なら300万円を投じようと思わせるだけの魔力を潜ませていられるのか?」というか。欲しいと思えばどうこうではないですよね、クルマを欲しい時って。横比較でどうこうではなく、そうまでしても欲しいと思わせられるか。
例えば発表当時のハイブリッドは以前はそうまでしても欲しいと思わせられるだけの魔力・魅力を潜ませていたと思います。エコや経済性なんてスパイスでしかなかった。ただただその圧倒的な先進性という名の後光によって「そんなモノはどうでもいい」と思わせられるだけのものになっていたからこそ、プリウスはビックネームになったわけです。また所有してからも「おおハイブリッド」という満足感を十分以上にユーザーに提供できていたと思います。
ところがメーカー自身がハイブリッドに安易に縋り始め、フルラインハイブリッドの様相を呈すようになるとハイブリッド車がインフレを起こしてしまった。これじゃあねえ。
ちなみに私的には現在の電気自動車に対してそれほど先進性と後光を感じておりません。つまり電気自動車だから免罪される部分が非常に少ないと感じます。つまり、電気自動車の対価に対する期待値に見合う中身に至っていないと感じます。まあ、ありていに言ってコケるだろうなあ、と。
もうすこし給料も含めて「払ってもらえるだけの価値」という視点を再考すべきように思います。
Posted at 2011/02/11 20:54:46 | |
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2011年02月11日
昨日、しばらく代車の任務を遂行してもらっていた黒インプ君が帰ってきました。
で、もちろん乗って帰ってきたのですが。
あれ?なんか。なんとなく..........?
もう少しエンジンの回り方は軽やかだったような気がするんだけど。あれーこんなもんだっったかなあ。エンジンの始動もちょっと重かったような気が?うーん。まあいいか。
途中、ちょっと加速をした場面があったのですが「あれ?こんなもんだったっけか?」という感じでした。相手はウィッシュ。1500CC:2000CCですから負けるのは仕方ないのですが、それでもこんなに抜くのに頑張らなくてはならなかった記憶はないのですが???
そんなわけで、家に辿り着いてから「まあ、オイルでも見てみるべ」と思ってみてみたところ。
おお?何だこの量は?
ちょっとこの場所が傾斜していることを考えてみても、ちょっとこれ多すぎないか?
ちなみにスティックの先から適正量までの長さのほぼ倍近い所までスティックが濡れています。
で、今日の先ほどまた調べてみましたが、どうも昨日目に見えた光景は私の疲れのせいだけではなかったようで、今日もまた同じくらいの量のオイルが入っていました。
おいおい。洒落にならんぞ。オイルって増えるもんなのか?んなわきゃねえよな。駐車場所を換えてもう一度測り直すとしたって、ここまで変わるもんか?
ちなみに前回のオイル交換は私自身がしています。もちろんその時は適正量の範囲内に納めました。
すると思い当たるのはお客さんの「ガソリン給油時」です。
まさかスタンドの店員が余計なことに点検サービスとか何とか言ってボンネットを開けて「オイルが少ないですけど入れておきますか?」位のことでも言ったのか?
それくらいしか思い当たる理由はないわなあ。
そういえばお客さん「油は入れといたから」って言ってたなあ。あのくらいの年代の人ならガソリンのことを油ってよく言うから気にもしてなかったけど、あれもしかしたらオイルのことを指していたのかなあ?
うーん、点検スティックが適正量位置の倍くらいの位置ということだと、そういえば1リットルのオイルのミニ缶位の容量分か?そうだとすれば辻褄は合うけど、本当のことだとするとひどい話だなあ、おい。
でもそのことをお客さんに聞いて、余計なご心配をおかけするのも何だと思ったので確認はしていません。そのことを言い出したところでどうなるものでもないですし、私が黙ってオイルを入れなおせばいいだけのことでもありますし。
ほんとうに良い人なんですよねえ、あのお客さん。私もいいう風に年を重ねたいものだ、と思うくらい。あやかりたいくらい。
でも雨の日は作業をしたくないので、まあ、オイル交換は週明けくらいかな。ついでに冷却水も交換しておこっと。
Posted at 2011/02/11 17:04:00 | |
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2011年02月11日
原典を読んでいないので偉そうなことは言えないのですが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だったかに中国の古書の一説に曰く、といった引用の仕方でこんなエピソードが紹介されていました。うろ覚えの記憶を頼りにご紹介すると
「男子の腹中には○○(←ここを忘れた)という、焼けた石がある。酒を飲むのは、この石を冷ます為である」
というような一説です。つまり男には「腹中に熱きものがある」のが当たり前、という事の裏返しでもあるります。もちろん男女差別で言っているのではありません。誤解のなきように。
この焼けた石を酒でいぶしつつ、溢れんばかりの熱量で以って大事を成す(べき)という事なのでしょう。
お仕事の面では、かつての上司であったTチーフ(最終的には所長職になられていましたが、私が直属の部下であった時期は課長職で「チーフ」と呼ばれていたため、敬意を以ってこの呼称をつかいます)は熱い人でした。瞬間湯沸かし器な性格の人でしたから私も仕事上で怒られた事は何度となくありましたが、そのくせ根に持つことは殆どなく、次の瞬間にはケロッと忘れていつもどうりの口調に戻れる、という特技の持ち主でもありました。
そのTチーフの口癖は「熱い商売」。
熱き気持ちで商売に向きあう。そういう気持ちでお客さんに接する。そうすれば、その気持は必ずお客さんに伝わるし、分かってもらえる。分かってもらえなかったときには仕方が無い。その人とは縁がなかったと思い、新しい気持ちで次の商売に取り組む。
新人時代にああいう人と一緒に仕事ができて幸せだったと思います。
トヨペットを辞めてしばらくしてから、たまたま出先でTチーフにお目にかかったことがあります。激励されましたねえ、あの時は。
「お前はなんのためにトヨペットを辞めたんだ。お客を守るためじゃあないのか?なら、それだけを考えればいい。」
こう言われたときには、相変わらず熱い心を持った人だなあ、と嬉しくなりました。勇気をもらったというか。
ただ、こういう方は得てして煙たがれるんですよねえ、残念ながら。
私自身に、腹中の熱く焼けた石が宿っているのかはわかりませんが、それでも消火活動にかこつけたお酒は飲みます。ただ、それだけだと鎮めたりない時もあるので、時たまふとお出かけしたくなる事があるのです。そんな時に欲しくなるのが、やはり熱き心を受け入れてくれるクルマです。
自分の意を十分に受け入れて反応してくれる操縦性と、手の中に収まる程度のアクセル反応と運動性を備えたクルマ。
お前が好きだ、と素直に言えるいえる程度に程よく引きしまたスタイルとコックピット。それだけでいいなあ。
そんな立ち位置のクルマが、私にとってのロードスターなんですよねえ。
ただ、前オーナーにとってのロードスター像は「魂たぎる、レーシーなクルマ」というものであったようです。車高が低すぎて、足を固めすぎ。もっと、ゆったりのんびり乗れて。でも、いざという時の俊敏性や運動性もほどほどに兼ね備えている。そういうキャラでいいと思います。
スポーティ、イコールペタペタの車高にほとんどロールしない足回りじゃあ、あまりにも貧困で画一的なイメージと言われても仕方ないと思うんですがねえ。せっかく個性的な車なのに。
でも、今はこういう車を1台確保出来ていられる境遇にあることは幸せなことです。何でもこなさなきゃあいけないから、という理由でミニバンなんぞで我慢しなくてはならなくなったらどうしよう、と思いますからねえ。
クルマ屋をやっててよかった。だって複数所有に言い訳がたちますからね。
お客さんの中に、かつてトミーカイラチューンのレガシイGTを乗られていた方があります。かりにAさんとしましょう。
Aさんがそのクルマを手放したのはしばらく前になるのですが、今現在の普段の足はアクティトラックです。もちろんお仕事のこともあってそうされているわけですが、なんとか昨年くらいから商売が軌道に載りだし、商いが拡大し始めているのは私も承知してはいます。
で、Aさん。
疼き出しているんですねえ、熱き心が。
目の前を大きな額面の金額が飛び交っており、新規の投資もしたりするには銀行からの買い入れも何千万という単位になっているでしょう。
売上も拡大していれば、それに伴う税金の額だって結構なものの筈です。心境とすれば、おあずけ喰らっている犬のようなもんでしょう。これだけあるんなら、そのうちのほんのちょっとでも流用出来れば「あれも買えちゃう、これも買えちゃう」。
だからどうしても私があそびに行った時などについつい口走ってしまうわけです。「柴田。いついつまでには必ず買うから、その時のためにポルシェ911のあのくらいの奴を見繕っておけ」とか「BMWの5はどう思う?」とか。私的には「どうせBMWにするんなら、AさんならM3くらいじゃあないですか?5は流石にデカ過ぎて持て余すでしょう?」と受け流すんですけど。
先日も顔を出したときにAさん「俺、なんだかこのまま終わりそうな気がしてきた。柴田、1年に2~3回でいいから俺好みのクルマを貸してくれる人っていない?絶対傷つけないから。」と言い出す始末です。うーん、こりゃあ、相当に溜まってきているんだろうなあ。
でも、商売の常として最初は初期投資がかさむものです。いくら利益率がいいとしても、今まで騙し騙しで過ごしてきた分もありますから、その先延ばし分の修繕費だってソコソコになるでしょうし。
なかなか人それぞれで、熱き心の諌め方も難しいようです。
Posted at 2011/02/11 16:18:59 | |
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