2011年03月27日
以前目にした文章の中に、「日本人は自分の勤めている会社の事を、単なる従業員であるにもかかわらず『私の会社』『うちの会社』と呼ぶ事が多い。これは変だ。その会社の社長なり経営陣が自ら設立した会社をそう呼ぶのは理解できるが、従業員はあくまで単なる雇われ人であり、勤め先は彼らの所有物ではない。」たしかこんな意味の文であったと思います。出典は憶えていません。
今この文章を思い浮かべ直して思うのは、額面どうりに言葉を翻訳して解釈すれば確かにその通りかも知れんけど「間違っている所もあり、当たっている所もあり」という所に落ち着くのかなあ、と思っています。
ただ、少なくとも私の見てきた限りにおいては、平均的サラリーマン像に落ち着く人ほど会社の組織そのものに自分を没入させてしまう割合が多いかもしれない、とも思います。誤解を恐れずにいえば「会社生活が人生そのものになってしまっている」という感じの人ですね。「組織の中に自分を溶け込ませることで安心できる人」といっても良いかもしれません。
私にとっては非常に不思議な存在ですけど、「テープレコーダーの如く、会社の言うことをそのまま反復して口にできる」人も、こういう性格の人が多いような気はします。この商品が良いんだ、といわれれば、そのまま無批判に「良いに決まっていると素直に思い込め、人にもそのように言える」と言うか、「お仕事なんだから、売らなくっちゃ」と、是も非もなく、思い込めるというか。建前に過ぎないんだけど、それがさも自分の本音であるかのように思えちゃう。まあ、ある意味羨ましくもありますが。
まあ、得てして商品そのものの是非を真剣に考えれば考えるほど売れなくなってしまうものでもあるんですけどね。
何でこんなことをツラツラと書いてきたかというと、近頃目にする原発に関するあれやこれやを見聞きしているからです。ああいう会見を見ていて思うのは
この人どこまで本気でそう思っているんだろう
って。出来ることならこの人の目の前まで行って「あんた本気でそう思ってる?」って聞いてみたいです。まあ、会社に「こう言え」って言われたことは判ったから、アンタ個人が思っていることをちょっぴり言ってみ?って。
近頃よく聞く風評被害ですが、基本これだと思うんですよね。大本営発表が信用できない。真実味に欠けている。自分の事だけはカヤの外に置いているようである。
だから疑心暗鬼に駆られ、じつはこうなんじゃなかろうか、とか、本当はああいうことみたいよ、とか。アグネス・チャンですら香港から支援しますって行って逃げちゃうくらい信用できない。信用する気にならない。
で、一致団結して、とか言いながら管君。自民党の谷垣総裁に協力を依頼したということですが、あろうことかそのポスト名が「地震対策担当相」なんとか、そういう名前とくれば、「コイツ、全ての責任を俺におっ被せるつもりか?」と疑われても致し方のないところでしょう。
負け戦とわかってシンガリを勤めるバカもいません。まあここを上手く乗り切れたなら支持率最強の英雄になれるでしょうけどね。
で、嫌われたというか本心を見透かされたのかは知る由もありませんが、次に管君が始めたことが専門部署を作るだの、閣内の人員を強化するだの。結局は自分の言う事に「うんうん」と頷いてくれる所謂「イエスマン」を配置しているだけというね。臆病になっているんでしょうねえ。不安な状況に在ればあるほど人は、自分の話を聞いてくれる人が欲しくなるのが人情ってモンです。
でも、結局は自分が決断しなきゃ始まらないんですけどね。最高責任者なんだから。でも決断することが怖いので、決断も出来ず、人の意見ばかり聞いて回って、一人で悩んでいる。おそらく周りの人間に軒並み指を指されて批判されるような気分で、居ても立ってもいられない針のムシロ状態に思っている。それが今の状況ではないでしょうか。しかも周りの人間は地雷を踏まないように誰も表立って物を言いませんからね、今は。まあ鳩山君は別かもしれませんが。
かといってこんな状況で解散なんぞできる筈がありません。おそらくこういう人ほど、今の環境が変わることを病的に怖がるでしょうし、もちろん回りに人間にも「それだけは止めろ」と釘を刺されているでしょうし。
となれば、逃げ道は1つ。病気になって入院する。これでしょうね。多分。まあ、既に東京電力の社長に先を越されてしまったようですが。仲良く院内階段でもしてもらうのも良いかもしれません。
どうも日本という国は、日本語ひとつでどこででも会話が通じてきたお国柄の所為か、「阿吽の呼吸」で意思を伝えようとか、「雰囲気で察する」事を要求してくる風潮が強いというか。どうもきちんと相手を理解させようとする努力を怠る風潮があるような気がします。
この点、異民族との交流が日常茶飯事であった大陸の人間は、何とかして意志を伝えられなければ生死に関わることもあったでしょうから、意思を伝える・信用してもらう為のテクニックが上達しているような気はします。かっこいい事を恥ずかしげもなく言う所とかもさ。でも、こういうところは見習ってもいいんじゃあないかなあと思うんですけどね。
石原君がハイパーレスキュー隊の隊員に向かって涙して感謝の言葉を言ったというのも「上手いねえ。役者だねえ。」って思ったものです。あ、こういうことは言っちゃあいけないのか。感動の場面だしね。
昨日の夜は、同年の寄り合いがありました。あんまりこういうグダグダした席には加わりたくないんですが、せっかく会費も払っている以上、飲み食いがある機会には参加しておかないと回収もままなりません。で、まあ、こういう席にはいつもの事ながら、うるさいだけの賑やかしな奴も居るものです。
昨日もその手の奴で電気の配線工事をやっているのが来てました。そいつが言うには銅線が無いので仕事が出来ないとか何とか。声だけは大きいので、聞きたくなくても聞こえてきてしまいます。
でもまあ、そりゃあそうだろうなあ。被災地復興の事もあるし、とりあえず通信設備だけは確保しなきゃならんだろうし、生産開始を再開するクルマはプリウスのような銅線を大量に使うクルマからだから、メーカーは在庫確保に躍起になるだろうし。
ちなみに10円玉はほぼ純銅で作られ、その重さは4.5グラムとのことですが、近頃の銅の相場は1キロ750円との事。そこからすると素材としての10円玉は3.4円ほどの価値を有しているということか。うーん、あまり邪な事を考えてもあんまり旨みはなさそうだなあ。同様にアルミニウムと1円玉を見ると素材としての1円玉は0.21円の価値相当だなあ。そうするとまだ10円の方がマシか。いやいや思っただけなんですけどね。そういえば1万円札の造幣局からの引渡し価格が20円少々のようですねえ。あれを1万円で流通させようってんですからいい商売だなあ、日本銀行って所は。
話があちこちに行っちゃったので今日はこの辺でおしまい。
Posted at 2011/03/27 18:27:24 | |
トラックバック(0) | 日記