2011年04月20日
苦しい時こそ援助の手を差し伸べてくれる人が本当の友人だ、なんてことを聞きます。
私自身は宝くじを全く買わない人なんですが、大きなのに当たると途端に友人が増えるとか。そんな話を聞きました。F1ブームの時など、三重県の人はものすごく親戚・知人が増えたと聞きます。もちろん鈴鹿の為に、です。
似た感覚なのかもしれません。
私自身は親戚知人に対して「クルマを買って下さい」と頭を下げたことはありませんが、そういうことには全く躊躇いが無い人もいます。特に保険関係はそうですね。親戚知人から入る人が少なくありません。
で、
辞めてしまった後は知らん顔ができるところがすげえなあ、とか。そう思います。「少なくとも前の保険よりは良くなったんだから」とか、「最終的にはその人が決断をした」とか。保険こそ後のフォローだろ?とも思うのですが車のようなはっきりとしたメンテナンスが無いことから、ホッタラカシニなる事が少なくありません。
ちなみに前担当者が辞めてしまって、浮いてしまっているような契約の事を生保業界では「孤児契約」と呼びます。これは真面目な話。
前置きはともかく、原子力。どうも一人ぼっちで寂しそうです。
近頃どうしたことか「次世代エネルギー」と目されていた感のあるお仲間の新エネルギー源さんたちの姿も見かけなくなりました。
代表的なのが燃料電池ですかね。
そのほかにも声を聞かなくなったものとして「オール電化」とか「エコキュート」とか、ちょっと違いますけど「IH」なんてのも全く聞かなくなりましたねえ。「安全・安心」なんて散々言ってたのに。
こういうときこそ風力だの地熱だの太陽光だのと言った自然由来のエネルギー源にもっと脚光が浴びせられてもいいはずなのですが、なんだか元気がありません。
こういう風景を見ると、原子力って本当の友達はいないんだなあ、と思います。調子の良い時はチヤホヤされましたけど、一旦悪い評判が立つと「一緒にされてはかなわん」とばかりに潮の引いたようにポツンと独りぼっちにされている。
まあ、ふたを開けてみれば当たり前の話なんですけどね。
自然由来のエネルギー源に関してはエネルギー密度が低く、安定供給という面においても相手任せ(自然環境任せ)ですから、裏方さんとして原子力などの「安定供給が可能な」エネルギー源にレギュラーを張っていてもらわないと立つ瀬がありません。
少なくとも現状では、いきなり「君、明日から1番か3番打ってよ」と言われても動悸と息切れがひどくなってしまい、バッターボックスに立つことすら怪しくなってしまいます。スーパースターが居てこその賑やかしなんですね。特に負けることをなかなか許してくれない雰囲気の中では「あ、僕下位打線で良いです。できれば8番とか9番で十分。」とか言い出しそうな感じでしょうか。まるで私のようです。
車のエンジンと同じくエネルギー発生装置とは、瞬発力とトルクと最高出力の3拍子が揃っていないとお話になりません。特に気の短い人間のような種族にとっては、それは致命的欠陥に見えてしまいます。
この点原子力は、稼動状態に来るまでは時間がかかったとしても、その状態が非常に長続きしますし、1歩間違えば暴走してしまうほどに溢れんばかりのエネルギーを出し続けてくれます。というか常に冷却の必要があるということは、それだけ無駄に放出エネルギーばかり高く、変換効率そのものは実はあまりよろしくない、ということなのかもしれません。
でも、トルクと最高出力はお墨付きなわけですから、今動いて欲しい、という瞬発力の部分さえ誰かにカバーしてもらえばいいわけです。そこを水力と火力で、というわけなのでしょう。
さて、燃料電池。
一時は随分脚光を浴びてもいましたが、どうもパッとしません。クルマに搭載するなんて話もありましたが、そちらの風聞も近頃は全く聞かなくなってしまいました。
結局の所、溢れんばかりのエネルギー発生装置にはなりえず、しかも電気の助けがないと動き始めるのにも事欠く有様で、そんなわけですからサポートメンバーに指名されることすらないのが現実なようです。
さて、これから先、原子力にお友達が出てくるのでしょうか。
北朝鮮の金君はルパン三世の如く「おー友達になりたいわー(山田康夫の声で)」と言い募っているでしょうけど、彼にとっても原子力は諸刃の剣ですからねえ。ボタン押した時点で双方共に終わるのが目に見えているからこそ、米ソ共に「もう、じゃんけんするのは止めようか」と言い出しているわけですし。もっともじゃんけん以外の遊び方にはまだまだ熱心なようですが。
平和利用とは、善意とかボランティアという言葉以上に便利な言葉です。生命保険の勧誘において、「営業ではなく、情報提供です」と言い張るのにも似ている気がしますが、まあそれは措くとして。まあ、戦争という政治行為が最大の経済行為なのと同じく、原子力の平和利用も最大の経済行為に堕してしまっている感はあります。
という事は原子力の最大にして唯一のお友達は「お金」かな?嫌な話だけど。
作るのにお金。運用するのにもお金。廃棄するのにもお金。事故の後始末にもお金。関連業務でもお金。経済行為とすれば、これほどおいしいものも無い様な気もします。
なんたって、全部経費だしね!!ビバ 電気事業法!!
そんな中、「後始末にお金がかかるから、ちょっとの間だけだから増税してもいい?」なんて事まで言い出してます。復興財源といえば聞こえはいいですけど、義援金の配分ですら、あれほどもたついているのが現実である以上、あんな奴らに任せておけると思えるほど今の私は御人好しにはなれません。
80兆円規模の国家予算を「無駄を削れるだけ削った」その結果、なぜか90兆円規模になってしまい、俺ならもっと効率的な予算配分と政治主導をやって見せるぜ、と息巻いているような連中じゃあねえ。頭は元気か?
さて。となれば、やはり「安全な原子力」とするためには、最大のお友達と決別させるのが早道なんでしょう。
「儲からない・儲けさせない・儲け話にさせたりしない」
これが、一番原子力を安全にし、みんなのお友達にする近道のような気がします。アインシュタインも平和利用を訴え続けてはいましたが、理念だけではどうしようもないわけで、その辺がやっぱり学者の限界だったのかなあ、とか。
ちょっと偉そうなことをいってしまいました。
Posted at 2011/04/20 10:45:45 | |
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